Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第3回 哲学なき小説は無用  [07/06/2008]


In my own case, I seem to be both a theoretical philosopher and a fiction writer. But it is the last that interests me most; the first is only the means to the last; the absolutely necessary means, but only the means; the fiction story is the end. Without an understanding and statement of the right philosophical principle, I cannot create the right story; but the discovery of the principle interests me only as the discovery of the proper knowledge to be used for my life purpose, and my life purpose is the creation of the kind of world (people and events) that I like, i.e., that represents human perfection. Philosophical knowledge is necessary in order to define human perfection, but I do not care to stop at the definition; I want to use it, to apply it in my work (in my personal life, too?but the core, center and purpose of my personal life, of my whole life, is my work).  (“May 4, 1946 Philosophical Notes on the Creative Process” in The Journals of Ayn Rand.)

(私の場合、理論的思想家であるし作家でもあるようだ。だけど、私をもっともひきつけるのは作家のほうだ。思想家のほうは作家であるための手段でしかない。でも絶対に必要な手段ではある。それでも手段でしかない。最終的には物語を書くことが目的なのだ。正しい物語は、正しい哲学的原則をちゃんと理解して述べることができなければ、生まれない。哲学的原則を見つけることが私の関心であるのは、それが私の人生の目的のために使用される適切な知識を見つけることになるからだ。私の人生の目的は私が好きな世界を創造することだもの。つまり、人間的完璧さを表現する世界。そういう世界。私が哲学的に考え知ったことは、私が考えるところの、どんな人間が完璧なのかという問題をはっきりさせるために必要となる。だけど、私はそれだけでは終らない。そこでとまる気はない。私は、私の作品に適用させるために、私が哲学的に考え知ったことを使いたい。私の個人的生活においても、使いたい。しかし、私の個人的生活、私の人生全体の核心にあるものは、中心にあるものは、その目的は、あくまでも私の作品なのだ。)

★これは、ランドの創作ノートからの抜粋です。面白い小説は多いです。いろいろあります。すごい才能だなと感心する小説も少なくありません。しかし、生きる指針になり、かつ読んで面白い小説は、なかなか見つけることができません。指針など示せないほど状況が複雑だからとか理由はいろいろでしょう。しかし、物語を作るということは、世界を提示するということです。提示された世界は、ある世界観を土台にしています。その世界観こそ哲学です。思想です。

「無思想の思想」なんてありえません。人間は生き方を選ばなければならないのです。たとえ無自覚でも、選んでいるのです。選んでいる以上は、いえ生きている限りは、自分の思想の結果を引き受けなければなりません。お気楽に生きているつもりでも、選んでいるのです。ランドには、多くの小説家(特に日本の作家)に欠けているように思える、「自分が思考する、あるべき世界観を提示せざるをえない作家としての自意識」があります。