Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

心の中の基礎工事から始める(その1)  [01/18/2009]


This question is frequently asked by people who are concerned about the state of today’s world and want to correct it. More often than not, it is asked in a form that indicates the cause of their hopelessness: “What can one person do?”

I was in the process of preparing this article when I received a letter from a reader who presents the problem (and the error) still more eloquently: “How can an individual propagate your philosophy on a scale large enough to effect the immense changes which must be made in every walk of American life in order to create the kind of ideal country which you picture?”

If this is the way the question is posed, the answer is: he can’t. No one can change a country single-handed. So the first question to ask is: why do people approach the problem this way? (17 “What Can One Do?  1972” in Philosophy Who Needs It)


(この質問は、現在の世界の状況を懸念し是正したいと思う人々から、ひんぱんに問われる。しばしば、そのような人々が抱いている絶望の根拠を示す形式で問われる。つまり、「ひとりの人間に、いったい何ができるのか?」と。

私が、この文章[訳注 ランドと弟子が会費を徴収して会員に送っていたThe Objectivistに掲載されたもの]を書いている最中に、この問題(と、その間違い)を、さらに雄弁に表現するお手紙を、ある読者からいただいた。その読者は、こう記してきた。「あなたが描く理想の国を創造するために、アメリカ人の生活のあらゆる歩みにおいてなされなければならない巨大な変化が起きるようにくらいに十分効果的に、あなたの哲学を広く社会に伝播するには、ひとりの個人はどうしたらいいでしょうか?」と。

もし、これが、この質問が提起されるやり方ならば、答えはこうである。この読者にできることは何もない。誰にしても、一国を独力で変えることはできない。だから、問われるべき最初の質問は、こうなる。なぜ、人々は、こんなふうに問題を考えるのか?)


★前に3回にもわたって、原爆とアイン・ランドに関する文章を紹介しました。また、今度も複数回にわたっての紹介となります。前にもおことわりしましたが、アイン・ランドは短い言葉でカッコよく決めるのが得意の作家ではありません。一瞬の描写の中にすべてを凝縮させる俳句のような表現形式を生んだ日本ではなく、粘り粘って説明描写を尽くして物語世界を構築したドストエフスキーを生んだロシアで生まれて育ったアイン・ランドです。「息を長く」して、おつきあいください。長く厳しい冬を耐えて楽しむ精神で、お読みください。

★今回の文章は、そのまんま、です。特に説明も不要です。個人主義を賛美したアイン・ランドですから、もう何度も、直接的にせよ間接的にせよ、「いったい、ひとりの人間に何ができるでしょうか?」と質問されたに違いありません。この質問は、字義通りの意味を意味していません。こう質問する人間は、ひとりの人間にできることの具体例を教えてもらうことを、想定していません。

★こういう質問をする人間は、「まずは、どこのトイレでも、自分が使ったトイレは綺麗にしてトイレから出ましょう。トイレを出るときに、便器をチェックしてください。ちゃんと顔を近づけて便器をチェックしてください。汚れていたら、ふき取ってください。床にゴミなんか落ちていませんか?」と、答えられたら、ふざけられたと憤慨するかもしれません。答えた人間は、本気で誠実に、質問に答えただけなのに。

★こういう質問をする人間は、「まずは、どんな小さなことでもいいですから、あなたができることをしてください。他の人が何ができるかは、他の人の問題ですから、あなたがトヤカク言うことはありません」と、答えられたら、気分を害するかもしれません。

★こういう質問する人間は、最初から、自分自身は何もする気はありません。こういう質問する人間は、「ひとりの人間では何もできないから、自分にできることはタカがしれているから、してもしかたないんだ・・・」という無力感に呪縛されているのだから、可哀相なのだ、という見解は、あまりにこの種のタイプの人間の狡猾さを甘く見ています。

★こういう質問する人間の困った点は、自分自身は何もする気はないのに、自分の安楽さを増大させること以外には関心はないのに、私は、ちゃんと世の中のことや社会について考えているのだよ〜〜賢いでしょう〜〜という身振りだけ、口ぶりだけはしたがることです。

★「いったい、ひとりの人間に何ができますか?」と問うタイプの人間は、中途半端です。実に中途半端です。「自分の安楽さを増大させること以外は何も関心はない」という自分自身の度し難い利己主義を素直に認め実行するほどには、自分の安楽さを増大させることに徹底していません。そのことに徹底していれば、ほんとうは自分にとっては答えなど、どーでもいいような類の質問を、知的虚栄心から出た類の質問を、他人に投げかけて、他人の時間を無駄にしません。

★こういう類のしょうもない質問をする学生は、自分に正直な人間が多い桃山学院大学には、めったにいませんが、たま〜〜に出現します。こういうのは、国公立大学にでもいれば、中途半端馬鹿優等生無自覚偽善軍団のお仲間と自分のしょうもないプライドをお守りしあえるのかもしれませんが、桃山あたりだと、「アホか、こいつ暗いし、うざいわ」ということで、誰にも相手にされません。

★ですから、教師に向かって、その類の質問をします。教師は学生さんへのサーヴィスが仕事なので、「こいつ、うざいな〜どういう家庭に育つと、こういう不正直な小賢しい口だけ達者な奴が育つんじゃ・・・」と思っても、顔には出さず、それなりにテキトーに答えます。私は、この種の学生が帰ると、研究室の窓を開け放って、空気を交換いたします。徹底できる奴は、教師なんか相手にしている暇はない。teacher's petなんかになる学生は、馬鹿に決まっています。

★私は、自分の気分が良くて楽しければOKです。自分の生活が快適であればいいです。しかし、私自身の快適さを支えてくれるのが、社会のシステムです。インフラです。トイレは水洗で清潔で肛門洗浄装置(あくまでも、これにこだわる私)がついている。台所でもお風呂でも、水も熱いお湯もちゃんと出る。冷暖房設備があって、ちゃんと作動する。インターネットが使える。郵便も宅配も確実に届く。適切な価格で安全でおいしい食材や食品が手に入る。適切な価格で快適な衣類が手に入る。治安がいい。空から爆弾は落ちてこない。女だから外国人だからといって差別されない。社会が平和で安定して繁栄していないと、私自身が快適に過ごせません。だから、社会に関心を持たざるをえない。「前世紀にもどらないでよ〜〜」と、祈るような気持ちでありますよ。

★私が無自覚に無思慮にした悪しきことは、伝わって、私に返ってくるんで、自分の言動に油断しちゃいけないと、悪い頭も鈍感な心も使います。それだけで、もういっぱい、いっぱいです。55歳になっても、人間商売に、まだまだ慣れておりません。社会や他人のことなど考えずに、かつ心配しなくてもすむのならば、それに越したことはないのですが。

★ところで、マンハッタンには、ユダヤ人の歴史に関するコレクションでは全米第一だとかのThe Jewish Museumという博物館があります。ちょっと南に向かって歩くとグッゲンハイム美術館やメトロポリタン博物館があるあたりの五番街沿いの93丁目にあります。向かいはセントラル・パークです。小さな小さな博物館ではありますが、有名な大きい博物館みたいに、入り口近辺に警官がいます。ユダヤ博物館ということで、反イスラエル勢力のテロが懸念されるのでしょう。たったひとりの警官でも、いると迫力あります。本物の銃が重そうで、メタルの光沢がまぶしい(私がアメリカ人ならば、銃フェチだったかもしれない)。

★ここの博物館は、ユダヤ系アメリカ人の寄付で運営されていて、受付の御老人も老婦人も、いかにもお金持ちが暇つぶしのボランティアでやっています〜〜という風情の、極めて上品で知的なムードの方々です。入館者も、服装の趣味が良く、その材質は上質であることがすぐにわかるような上層中産階級か、それ以上の階層に属する、いかにもインテリ風な方々です。静かに、しかし熱心に館内の展示物を見て回っておられます。私みたいなアジア系は誰もいません。

★受付で、「寄付させていただきますわ〜〜」とか言って、地味ではあるがクロコダイルの黒いバッグから小切手帳を取り出して、サラサラと金額書いて、署名した小切手を切り離して、受付のオバサマににこやかに渡している上品なご年配のご婦人が、おられました。カッコいいなあ〜〜♪私は、昔から、ユダヤ系と中国人に興味津々なのでありますよ。

★ここのギフト・ショップには、『偉大なユダヤ系アメリカ人』とか『ユダヤ系女性列伝』みたいな、ユダヤ系著名人のことを書いた本が何冊も売られています。私は、全部めくって調べたのですが、アイン・ランドはどの本にも紹介されていませんでした。なんでやねん。

★こういうところが、実にアイン・ランドです。ほんとに、これこそ、(Ayn)Randnessです。「アイン・ランド的ありかた」です。ランドは、ユダヤ系ですが、イスラエルとどーのとか、ユダヤ人系結社とつるむとか、そういう力を借りて自分の立場を築くことはしなかった人です。ホロコーストのことを、やたら書くこともしませんでした。自分が書いた小説や思想書だけで、自分が生み出した言葉だけで、精神共同体を作った人です。ユダヤ人がどーのこーのじゃないでしょう、個人が問題なんだよ、を貫いた人です。

★20分も歩けば体が芯から冷えて、冷えると右脚がひどく痛む(10年以上まえから。理由不明です。歩けりゃいいよ)のですが、外気にさらされた皮膚が痛くて涙が出てくる寒さのなかを、石の舗道を歩きながら、ほんとうにアイン・ランドって、困った作家だな、分類に困る作家だなと、私が好きな作家らしいなと、苦笑いしながら、私は帰りました。

★アイン・ランドは、健全なユダヤ的商業倫理を扱いながらも、祖国を持たないがゆえに究極のゲゼルシャフトを夢想するユダヤ的想像力を持ちながらも、ユダヤという民族性にこだわることがないので、「ユダヤ系作家」として分類することができません。フェミニズム系素材を扱いながらも、被差別集団としての女性像は蹴飛ばしているので、「フェミニスト作家」として扱うこともできません。アメリカ合衆国を賛美しながらも、アメリカの土着の風土の匂いは皆無の作家です。この人の才能は、ニューヨークみたいな、とてもアメリカ的でありながらアメリカでないような趣の抽象性がある街でなければ、マンハッタンのような石とガラスと煉瓦で造られたミクロコスモスでなければ、花開くことはなかった特異なものだなと、あらためて私は思いました。

★さて、さて、問題は、私の体重がまた増加しつつあることです。寒いところでは、カロリーの高いものを補給しないと、やっていられません。寒い街は、チョコレートがおいしいです。意外かもしれませんが、ロシアのチョコレートやケーキは、素晴らしくおいしいですよ。アイン・ランドもチョコレートが大好きで、中年過ぎには肥満に難儀したそうです。

★今年の冬のように、例年になく寒いマンハッタンは、スターバックスは、どこも混雑しています。外にいれば、半端でなく冷えまくりますから、疲れますから、暖と休息と熱い飲み物を求めて、人々がスタバに避難します。私も、外出して20分も歩けば疲れ、スタバでホット・チョコレートを補給して休息して、しばらく歩き、またとことん冷えて疲れきって、別のカフェに逃げ込み熱くて甘い飲み物を補給するということを繰り返して、やっと帰宅します。ああ・・・デブっていることの鬱屈と自己嫌悪が、戻ってくる・・・あの不快で情けないお腹のだぶつきが、戻ってくる・・・夕食は、Amish Marketで買った具沢山のクラムチャウダーだけにしておこう。