アイン・ランド作品紹介

Atlas Shrugged
『肩をすくめたアトラス』 (1957)
Amtrak

この小説の表題のアトラスとは、言うまでもなく、ギリシア神話の天球を支える巨人アトラスである。簡単に述べれば、この世界の政治や経済や文化を支えている頭脳と才能と責任感を持った人間が、彼らや彼女らの能力に依存してそれを搾取する人々に自分たちを搾取させるがままにしないで、「ストライキ」を始めたら、この世界はどうなるか、つまりこの世界を支えるアトラスのような人々が「もうやめた」とばかりに「肩をすくめた」ら、この世界はどうなるか?というのが、この小説内容である。『肩をすくめたアトラス』は、ペーパーバック版でも1063ページある長編小説であり、プロットも複雑で登場人物も非常に多い。掛け値無しでヒーローと目される登場人物でさえ4人もいる。この小説が、「ジョン・ゴールトって誰?」("Who is John Galt?")という文で始められているように、この小説を推進する主要プロットは、ヒロインのダグニー・タッガート(Dagny Taggart)が、このジョン・ゴールトが誰なのか、何を目論んでいるのか、を追求する謎解きである。時代は具体的に設定はされていない。便宜上、ヒロインを中心にプロットを以下のように要約してみる。


ダグニーは、無一文から祖父が設立し発展させたアメリカ屈指の大鉄道会社「タッガート大陸横断鉄道」(Taggart Transcontinental Railroad)(以後TTRと記す)の鉄道運行部門担当副社長である。34歳の若さながら、無能な社長の39歳の兄ジム(James Taggart)を歯牙にもかけず、大鉄道会社を運営する。少女時代から、彼女とこの鉄道会社は一体だった。代々発展してきたこの鉄道会社は、人間の可能性と有能さと責任の象徴だった。創業者の孫娘という立場を秘めて、毎夏をすごすハドソン河渓谷沿いの別荘近くにあるTTRの駅の夜勤電話番をアルバイトで勤めるほど、彼女は鉄道の全てを熟知し知悉したがった。大学でも工学を学んだ。


最近、彼女は、銀行家や音楽家や法律家から鉄道技師まで、どの分野においても、なぜか優秀な責任感豊かな人材に限って仕事を辞めて失踪してしまうことが多くなっていることに気がついている。そのために、以前では守られていた物資の納期とか工事の進展とか、鉄道の安全な管理などのシステムが正常に機能しなくなっている。それに加えて、人間の創意工夫と努力を促す自由競争による社会の発展を信じるダグニーが危惧しているのが、政府の政策だった。政府は、自由競争を排した資本主義経済体制から、発明家や産業家や労働者が努力と頭脳で獲得した利益を国家が管理して「必要に応じて」国民に分配し、国民みなが繁栄できる「協同的共生社会」を実現する経済体制へ移行しようとしていた。その大義の実現のために、政府が採る政策は、次のようなものである。適者生存の弱肉強食の企業間競争を排するために新奇な製品を発明して売り出したり、新事業を開拓したりことを制限する「反競争法」(Anti-dog-eat-dog Rule)の施行。優れた製品やサービスを提供できるがために市場を独占できる企業は独占的になり公共の福祉に反するので、すべての会社にとって規模に応じて必要な利益が得られるようにする「機会均等法」(Equalization of Opportunity Bill)実施。社会の安定した全体的協同的発展のために、労働者や従業員の固定化、離職や転職や解雇を禁じる「10ー289号指令」(Directive 10-289)の発令と徹底。ダグニーの兄は、自分の無能さを思い知らせる有能な産業家、企業家たちへのルサンチマンから、政府に加担して行く。彼は自分が楽に怠惰に生きて、社長の地位と金が保証されればいいと考えるだけの卑劣な人間だが、口では「最大多数の人々の幸福の実現が正義」だと唱える。


アメリカの産業はじょじょに衰退し、労働者は労働意欲をなくしていく。と同時に、前からの現象であった「人材の失踪」に拍車がかかり、TTRも含めたどの産業、商業分野も無責任と責任転嫁と無能と投げやりな人々のみが残される状態となっていく。社会の停滞と不安と増していく混乱の中で、人々の間には、答えようもない問題には"Who is John Galt?"と言う奇妙な習慣が、すでにいつからかできあがっていた。ダグニーは、そのジョン・ゴールトこそ、社会から有能な人材をどこかへ流出させる「破壊者」だと考えるようになる。ダグニーは、その破壊者から自分の鉄道会社を守らなければならない、最後までその破壊者と闘わなければならないと固く決心している。


休暇の旅行中にダグニーは、廃業された大自動車工場の廃屋に打ち捨てられたモーターの残骸を見て驚愕する。工学を専攻した優秀なエンジニアでもあるダグニーには、それが現行の輸送機関の問題をすべて解決できるような前代未聞の画期的モーターの完成品が人為的に破壊されたものとわかる。その未来を開くモーターの設計者をつきとめるために、ダグニーは様々な調査をするが、その設計者はわからない。


実は、そのモーターの設計者こそ、ジョン・ゴールトだった。彼は勤めていた大自動車会社が売却され、新しい経営者が「能力に応じて労働し、必要に応じて収入を得る」システムを導入し理想的な共同社会としての新しい企業を作りたいと発表した時に、会社を辞めた。自分が設計して完成させたモーターを破壊して失踪した。能力のある者は労働過剰になるばかりで、収入は労働量や功績ではなく、家族数などの必要に応じて分配され、それも労働者の投票で決定されるという全体主義的システムのために、この自動車会社は、倒産する。なぜならば、有能な者の辞職と故意の怠慢が多くなり、無能な者は収入が保証されているので一層に怠惰になり、また労働者間の嫉妬反目(同僚の結婚や出産は、自分の収入の減少につながるから)は増大し、息の詰まるような相互監視の環境は、生産性を激減させ労働者の志気を壊滅させたからである。この現象を予測して早々と会社を捨てるだけの見識と勇気を持った男についての噂が、"Who is John Galt?"という流行りことばの起源になったのだった。


ジョン・ゴールトは、有能な人間の能力を搾取して、有能な人間の美徳を利用して自分は楽をして生きようとする寄生虫的人々に汚染されていく社会に見切りをつけて、新しい社会を創設しようと、賛同者を募ってコロラド山中に別社会を建設する。失踪した人材たちは、この別天地「ゴールト峡谷」(Galt's Gulch)を拠点として、この新世界にふさわしい人物を探し救出するために、「旧世界」では人目につかない労働で社会に埋もれながら活動していたのだ。ゴールトは、10年以上もダグニーの鉄道会社の下級労働者をしながら、いずれダグニーをも「新世界」に誘うつもりで彼女の行動を監視していたのだ。真相を知って驚くダグニーだが、祖父から伝わる鉄道会社を見捨てるわけにはいかない。  社会はさらに停滞、混乱し、物資の輸送や交通がマヒし、農産物や工業製品も生産量が減少し、かつ生産地から消費地の都会まで物資は流通しなくなる。停電などエネルギー資源の管理、利用システムも破壊していく。ゴールトは全米へのラジオ放送を通じて、新世界樹立の必要性、旧世界の搾取的構造破棄を唱えて、彼と彼の仲間の大義を国民に伝える。政府はあわてるが、混乱した社会に秩序をもたらす人材が政府機関にはいないので、ゴールトと妥協を図ろうとするが、ゴールトは拒否する。政府機関は彼を捕まえて拷問にかける。ダグニーや「新世界」の仲間たちは、ゴールトを救出する。ダグニーも、ついに旧世界に絶望し彼らと行動をともにすることになる。システム機能不全のために混乱は一層拡大し、その収拾をつける責任ある機関も人材も旧世界にはいない。繁栄を極めたニューヨークにすら大停電が起き、アメリカ合衆国は破滅の道をたどる。しかし、ゴールトたちにとって、この終末こそが、アメリカの破滅こそが、「彼らのアメリカ」建国の真の始まりなのだ。