雑文
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(註)以下の話は、児童文学のクラスで話そうと思って、今のところ保留してある話です。

人類に愛はまだ早い、いや永遠に早い=利他主義なんてやめておけ論 「幸福な王子」は究極のハード・ボイルドだ!(1)


毒にも薬にもならないことの素敵さ

毒にも薬にもならない人がいます。平々凡々な日常にぴたりとはまった方々です。馬鹿にしているのではありません。これは大切な資質です。平和で無事な毎日を維持するために欠かせない資質です。あえて申し上げれば、保母さんとか保父さんとか、幼稚園や学校の先生をしている方々とか、お役人の方々には、安定した社会を支えるために、是非持っていていただきたい資質です。薬は副作用があります。劇薬でしかない抗ガン剤は、ある種のがん患者にだけ効き目があります。薬になるような強烈な人格の持ち主は、別の環境においては、毒にしかならないような破壊性、加害性があります。よく「教師にもっと個性的な人材を」という意見がありますが、馬鹿言っちゃあいけない。教師に特別な個性とかユニークさなんてなくていいのです。教えられる子供にとっては、行動の予測可能な程度に、常識どおり行動し反応する人、情緒の安定した「ふつう」の人が安心です。加えて、決して人間嫌いではなくて、教師がつとまる知識があれば、それで充分です。セクハラするよう人間でなければ、感情が激変しやすいカルシウムと鉄分不足の人間でなければ、いいのです。「毒にも薬にもならない先生」は、貴重なありがたい人材です。 同様に、子どもには「毒にも薬にもならない物語」を提供した方がいいのです。人生は、世界は、基本的には安定して平和で予定調和であると、勧善懲悪であると、当分は思ってくれていたほうがいいのです。子どもは身体と同じく、ゆっくりゆっくり自分の心を育てねばなりません。そうした悠長な時間には、平凡こそがふさわしい。

こういった観点からすると、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」は、とんでもないハード・ボイルドです。硬すぎて子どもの歯には負えません。まあ、噛み締めたつもりで、飲み干して忘れればいいでしょう。が、大人は、この「童話」の危険さをちゃんとわかっておかなければなりません。


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