アキラのランド節

セクハラ? [11/08/2001]


勤務先の教員用メイルボックスやコピー機や印刷機が置いてあるコモン・ルームの前の廊下の壁面に、同僚の経済学部の教授がしたセクハラの記事の載った新聞(朝日と読売の地方版)のコピーが張ってある。当然だが、この同僚は辞職した。女子の大学院生二人にしつこく、メイルや携帯で、食事や映画に誘ったとのことである。この同僚は「好感を持たれていると思っていた。いやがられてると思わなかった」と弁明したらしい。20代の女の子から見れば、父親以外の50代の男なんか、半径1メートル以内に侵入されたら気持ち悪い存在でしかない。そんなこと、わからないのか??自分が20代のとき、50代の女性にどう感じたか思い出せばわかることだろうが。ば〜〜〜か!!まったく、暇なやつだ。どうもこの年代の人間(ベビーブーマーとそれ以前の世代)って、「生涯、恋をしなければ!」とか言う恋愛妄想偏執者が多いのだよね。恋愛なんてしなくても幸福でいられるのに。強迫観念みたい。宗教かもね。セックスだけなら、男性は金出せば、できるところいっぱいあるでしょう。ただより高いものはないから、きちんと金を出しましょう。金がないのなら、おとなしく論文書いていましょう。勉強は貧乏人の最高に安全な娯楽ですから。

ただ、こういう男側からの一方的なお馬鹿ケースはさておき、大学教員と女子学生間のセクハラについて、私は女子学生にも同情しない。「権力関係にある相手に、ノーとは言えない」という台詞を聞くと不思議になる。大学院に理不尽で横暴な教授がいることなど珍しくはないが、別に一国の独裁者でもない。銃を持っているわけでもない。ノーと言っても殺されるわけではない。ノーと言えばいい。「うるさい!」と怒鳴ればいい。「いい子ぶりっこ」は、長期的に見ると、ろくでもない目にあいますよ。大学や大学院なんて永遠にいる場所でもない。学会で立場が悪くなる?それは、あなたの能力不足でしかない。学会は日本だけにあるわけではないし、就職にしろ、公募をきちんとやるところはあるのだから、業績があればどこか決まるものだ。食ってはいけるよ。要するにノーと言わないのは保身と打算があるからでしょう。保身も打算も悪いことではない。拒否せずに不快に耐えたかわりに、それに見合うだけのものが得られたならば、それでいい。それに見合うものがなくて、やらずぶったくりだったというケースは、自分の頭が悪かったのだから、小心だったのだから、判断ミスをしたのだから、もうしかたない。女だからって、馬鹿には誰も同情しないし、助ける義務も暇もないよ。

このほかに、教師と恋愛関係になったのだけれども、いろいろありまして痴情のもつれの果てがセクハラ告訴になったという事例もある。だいたいが、教師などと懇意になりたがるという、貧乏な学生根性がいけない。あまりにも視野が狭く、無知だ。勝手に不幸になってろ。ただ、こういうこと、重々承知しているけれども、はっきり復讐するつもりで確信犯的に告訴した場合に、私は反対しません。ぐじぐじ恨むよりは、はっきり復讐する方がいいです。不毛だし時間の無駄だけれどもね。まあ、馬鹿な男の教師などいくら消えても困らないからいいのだ、どんどんやって、どんどん。スペアはいくらでもあるからね。

私はセクハラにあったことはありません。ストーカーもされたことがありません。亡き父は、少女時代の私に、この世の中では、女には色気より殺気が大事である、ホステスや芸者ではないのだから堅気の家の娘に愛嬌など必要ではない、愛想がいい娘など見ようによっては気の毒なものである、他人にヘラヘラ笑うもんじゃない、と教え諭しました。実にありがたい教えでありました!