アキラのランド節

SOPという発想(その2) [12/18/2001]


前からの続きです。思い出してみると、私が受けた大学の授業は、無茶苦茶であった。哲学の最初のクラスに出たら、その教授は、すぐに「ニーチェの運命愛」について話し出した。哲学とはなんぞや、などという説明はいっさいなかった。田舎の頭の悪い女の子は、ニーチェなんて知らないよ。日本史の教授は、ひたすら平安時代の「荘園」について語った。キリスト教史の教授は、コンクラーベ(冗談みたいだが、バチカン法王庁の会議をそう呼ぶ)の話を延々とした。キリスト教思想の教授は、親鸞の『歎異抄』の話ばかりだった。保健体育の教授は、「脳卒中」の話ばかりだった。自分が脳卒中から生還したばかりだったからだ。芥川龍之介と帝大で同期だったらしい元旧制高校教授の英語購読の老教授は、私がhallを「広間」と訳したら、「だから、僕は貧乏人が嫌いです。hallは西洋のお屋敷では玄関ホールのことです!」とか言って、倦怠期の夫婦の心理合戦みたいな、イギリスのえらく渋い(つまり、くら〜い、じめじめした)短編小説を、新入生に読ませて喜んでいた。英米文学概論などは、アメリカ人の神父たちが英語でしゃべっていたが、宿題として何が出されたのかさえ、聞き取れなかった。まったく、ほんとうに無茶苦茶だった。3年生からの専門教育に移っても、ことは同じだった。「1930年代の英詩」というクラスでは、開口一番「え〜〜みなさんもご存知のようにモダニズムは・・・」と教授が始めて、私は、もう何もわからない。モダニズムなんか聞いたこともない。文学批評のクラスでは、突然、ある英詩を出されて「ニュー・クリティシズム」で批評せよと言われた。何が何だか全然わけがわからない。基本から丹念にわかりやすく説明するってことが、なぜできないの?シェークスピアのテキストが弱強五歩格で読み上げられないと責める前に、あんた自分で読んで見せなよ。シェークスピア劇朗読のレコードを(あの頃テープやCDよりも、まだレコードが一般的で)学生に聴かせるくらいの親切(?)さが、なんでなかったのかしらねえ、あの人々には。一方的に、たらたらしゃべるだけで、優雅にも暇なのが、1970年代から80年代の大学教授だった。

というわけで、私は、授業に出るのはやめてしまった。クラブや同好会で遊ぶか、アルバイトしているか、映画見ているか、ラブ・レターせっせと書いている以外は、図書館で勝手に本を読んでいた。このように、私にとっての大学教育の内実は、社会に出て職業人としてやっていくだけの専門性、実践性(SOP度)はゼロに近かった。「幅広い教養」というには、その内実は、あまりに雑多過ぎて、教養と呼べるようなものでもない。しかし、私は、だからといって大学の文学部に入ったことを後悔してはいない。なぜならば、その理由のひとつが、単に学問の切れ端をかじっているだけでも私は面白かったということだ。私の頭には何も入っていなかったので、何を聞いても関心をそそられて、授業には出なくても、その関連の本などを読んで喜んでいた。それはそれで、十分面白かったのだ。その頃の雑読は、今の私の基礎になっている。二番目の理由は、私が女なので、両親は大学出たら見合いでもさせて嫁に出せばいいと考えていたことから来ている(1970年代って、地方ではまだそんな感覚ですよ。嫁入り前の娘は・・・という感覚)。親は娘が就職しないならばそれはそれで構わないと考えていたので、私は放し飼いにされていた。だから、文学部で遊んでいてもよかったのだ。三番目の理由は、私が教師という職を得ることができた、ということに関係している。文学部という場所で得た雑多な断片的な知識を、雑談などで役立たせる機会のある教師という職につき、こういう雑多なものを総動員して論文をでっちあげる文学研究者になったから、あの文学部の無茶苦茶な教育内容は、無意味ではなかったと、かろうじて言えるのだ。

ということは、そうでなかったら、「無意味ではなかった」と、言えないことになる。たまたま雑学が好きだったこと、女であり、かつ実家の家計が逼迫していなかったこと、かつ英米文学系の教師になったこと、この三点がなければ、私が受けた文学部の教育内容は無意味だったのだ。この三点は、文学部の学生の共通項にはならない。ということは、雑学を喜ぶ前に、まず食ってゆける、金になる専門知識を得なければならない人間、就職しなければならない人間、教師にならない人間には、文学部は無意味だということになる。ということは、大方の人間には、文学部は無意味ということになる。文学部に女子学生が多いのは、彼女たちが切実に、経済的自立を考えていないから、無自覚に文学部にやって来るのだ。また、文学部に子どもを送り込む家庭は、家計に余裕があるか、大学の内実に無知かどちらかなのではないか。つまり、文学部成立は、自分の力で食っていかなくてもいいだけの人間を遊ばせておけるだけの余裕が家庭に、ひいては社会にあるということが前提条件になるのだ。ということは、社会全体の経済的豊かさに、文学部の存続はかかっているのです。

もちろん「無意味なものなど世の中にはない」という一般論は成立する。「無用の用」の意義も確かにある、しかし、この「無意味ではなかった」は、「経験しないよりは、ましであった」という意味に近いのであり、積極的肯定的に評価できるようなものではない。「考えようによっては得るものが多かった」と言うことでしかない。考えようによっては、何だって得るものは多いのだ。つまらない男(女)とつきあっても、得るものはあるだろう。下らん人間と関わったことをプラスにできるかどうかは、それを経験した人間の個人的属性に依存している。文学部の教育が、ある個人の資質とうまく合体して、素晴らしい文化的産物を生み出すこともある。文学部などに、ときに稀有なほどの才能ある「名物教授」がいたりして、学生に多大なインスピレーションを与え活性化したりする。しかし、それは文学部教育の成果ではなくて、その「名物教授」の個人の才能のせいだ。そして、名物教授はめったにいないからこそ、「名物」になりうる。ほとんどは、機能不全の教授たちなのだ。文学部の教育は、受ける側も、与える側も、何を受けて、何を与えるのか、マニュアルがないのが現状であり、かつマニュアル通り教えるべき内容も実は欠落しているのだ。だ。

はっきり言って、文学部は、SOPを作成しようにも、マニュアル化するべき実質的な作業内容がないのだよ。だから、手順もないの。そこを、下手にSOP作成すると、「名物教授」的個人芸はつぶされるだろう。で、もっと何もなくなってしまうだろう。文学部的なるものって、SOP的発想になじまない。その「文学部的なるもの」の中身は、「生きること」という漠然としたファジーなものだからだ。このファジーさは贅沢なものであり、無駄なものと退けられても、弁明の余地はないです。しかし、私は、文学部というものが消えた大学って、世界って、息が詰まると思うなあ。消えてもかまわんものだとは思うけれども、消えたらこの世界は住み辛くなると思うよ。日本の天皇制みたいなものよ・・・いっぺん、消してみる?