アキラのランド節

国策としてのブンガク産業?(その2) [03/10/2002]


ゼミ旅行で行った沖縄にまた行きたいな、と思いつつ書きます。沖縄の揚げ菓子「さーたーあんだぎー」を食らいながら書きます。第二次世界大戦後の冷戦強化期におけるアメリカ南部文学ブームへの「疑惑」の話です。ことわっておきますけれども、これから話すことに、確かなevidenceはありません。推測材料があるだけです。確固とした資料がいっぱい目の前にあるならば、ここで書かない。さっさと注と参考文献リストつけて論文にしている。だいたい私ごときで集められる「きちんとした」資料ならば、とっくに誰かが集めて書いているだろう。どのみち、事実など一庶民にわかるものでもないにしても。実は、誰にもわからないのかもしれないけれども。あ、すみません。この続編にはさらに続編があって、だから(その3)で、やっと完結します。悪しからず。

私が冷戦期のアメリカ文学について、たまたま調べる必要があったとき、「あたりまえといえばあたりまえだけれども、変なこと」に気がついた。冷戦強化期のアメリカは、戦後の繁栄を謳歌していたから、出版物も多くて、もちろん文学作品もいっぱい出版された。当然だよね。冷戦期だから、核の脅威とか、核戦争後の世界とか、核戦争による世界の破滅の救済とか、宇宙からの救いとか、そういうテーマはいっぱい書かれた。国内に浸透する「赤の脅威」への恐怖(妄想?)から、「内部にもぐりこむ敵」というのが発想されて、「地球人に化けて地球征服をねらうエイリアン」という設定が多く生まれたりした。もちろん、だからスパイ小説も。しかし、こういうのは、主にエンターテインメント、大衆娯楽小説の世界の中で扱われるものであって、アメリカの高校や大学で教えられるような、文学史に載るようなメイン・ストリームの文学作品は、不思議に「冷戦的状況」を描かなかった。少なくとも、冷戦そのものを主題にすることはなく、"leading serious writers"たちは、「社会的政治的文学から離れ、個人的省察やら個人的彷徨などを好んで」書いた。こういうことは、Richard A. Schwartzという人が書いたCold War Culture: Media and the Arts,1945-1990(Facts On Files.1999)っていう分厚い事典みたいな本の中の文学の項を読めば、書いてあるよ。

だけど、このこと自体はさほど不思議でもないよね。二つの大戦を通過した。この二つの大戦の間には大不況があった。ホロコーストがあって、原爆や水爆まで作られちゃった。ソ連は、着々と勢力範囲を拡大し、ロケットも先に打ち上げちゃった。戦勝国の繁栄に浸るアメリカ人といっても、個々の人間たちは、もう自分たちの非力と小ささを思い知らされていたにちがいないよね、ほんとは。国自体は世界の大国の座に昇りつめても、恐怖や不安は国民の心の底にあるよねえ。感謝祭のパレードで「アメリカ!アメリカ!」と歌って、不安を誤魔化すしかないよね。誤魔化しているっていう自覚があるほどの余裕もないんだよね、ほんとは。公的領域の不条理な制御不能さの中では、もう個人的領域に逃げるしかないよ。その個人的領域自体、絶対的なものでもないし、安全でもないけれども、無力な一個人としては、砂の中に頭突っ込んで、体は外にさらしたままという間抜けたことになっていても、そうするしかないよね。

だって、ひとりの人間にとっては、自分の感じること、自分を中心とした半径2メートルのことだけが、リアルじゃない?政治権力ゴッコが好きな変態ならいざ知らず、ふつうの人間には、リアルなものって、自分の感覚と、身近な衣食住とか、家族と友人とか恋人とか、そういうものだもの。どうせ、大きな世界見てもわからないなら、見てもしかたないと思うよね。私なんか、はっきり言って、スズキムネオもタナカマキコも本当には関心がない。だって、何が起きているのかサッパリわからないもの。表面はああでも、ほんとはどうなんだ?と思っても、わからない。それをわかろうと、いろいろ情報集める能力も、集めた情報を分析する能力も私にはないもの。こういう日本の状況に追いつめられる一般ピープルの一人であるなあ、私も、という自覚はあってもね。自覚したからって、状況は変わらないし。土曜日の夜は『恋のから騒ぎ』見て、ケケケと空しく笑うだけよ。

だから、冷戦期のアメリカの文学者は、直接に冷戦は語らず、冷戦という状況の中の個人の世界を描くことで、その個人に投影された冷戦の影を描くという間接的な語り方をするしかなかったよなあ、と共感するよね。見えない理解できない状況は書けないからさ、見えることを書くことで、見えないものの影を見ることによって、理解できないことへの恐怖を癒すしか手はないよね。書くって、そういうことだから。だから、「あたりまえといえばあたりまえ」なんだけど、なんかひっかかる。なぜかというと、こういう個人的領域に逃げるというのは、私もやっていることだけれども、これほど政治的な行動はないでしょう。これは、暗黙のうちに、「このままでけっこう。どんなアホらしくても、私はそれを変える気はないし、変えようと他人と協力するほど人間を信じてもないし、動くのが面倒です。」と言っているわけで、現状維持を表明しているようなものよ。現状の政府や政策支持と同じことだよね、これは。

つまり、結局、事実上は、アメリカの冷戦後のメイン・ストリームの作家たちは、冷戦期の国策を支持したことになるよね。それと、こういう作家のこういう作品が、メイン・ストリームにはいったということはさ、大新聞の書評や、高級文芸雑誌の書評が褒めて、名前の確立した評論家や記者たちが認めて、何かの文学賞を受賞したからこそでさ、だから「そんなもんか、これはいい作品なんだな」と読者が買って、図書館が買って、少し経てば高校や大学のテキストに使われて、流通する。メイン・ストリームに殿堂入りを許される作品の決定権は、文壇=文学序列づけ産業が握っているよね。

この冷戦強化期において生産された文学作品のメイン・ストリーム入りを決定する「目利き」=主流派文芸評論家たちって、「赤い時代」(The Red Decade)真っただ中の1934年に共産党のプロパガンダ文芸誌的役割で創刊されたものの、「政治の僕(しもべ)であってはならない、文学は!」とか言って、早々と「脱ソ連化」して、特に40年代以降は、ハイブラウな政治文芸雑誌として、まさに文壇のメイン・ストリーム雑誌になった『パルティザン・レヴュー』(Partisan Review)の執筆者たちでありますよ、大方は。この雑誌は、しだいに「脱政治化」していって、今日に到るけれども、だいたい、文科系知識人は、この雑誌に書かなければ、アメリカでは「本当のインテリ」とは目されなかった時代があったんだわさ。私の好きなMary McCarthyとかHannah Arendtも書いていたんだわさ。Irving Howeの言う、いわゆる「ニューヨーク知識人」(New York Intellectuals)っていう人々ね。ほとんどが、ユダヤ系だった。Maryも母方の母方が東欧系ユダヤ人。父方はアイリッシュでカトリックだから、どのみち本流ではない。ヴァッサーでは、いまいち肩身が狭かったかも。もしくは、30年代にヨーロッパからアメリカに逃げてきたユダヤ系亡命知識人ね。前に「ランド節」に書いた、例のアシュケナージ系ユダヤ人のことを書いたアーサー・ケストラーなんかも。ここらあたりも気になるが・・・。

中でも、戦後の大御所は、Lionel Trillingっていう人で、このおじさんは、文学は「リベラル・イマジネーション」で書かないとあかんと言い張ったのよ。この人、コロンビア大学英文科初のユダヤ系主任教授(戦前は、ユダヤ系アメリカ人ではなれなかったのだよ、一流大学における人文系学問の花形教授は。アメリカの大学における英文科は今でも強い!)になったんで、えらく影響力あったんで、はっきり言って、戦後のアメリカの文学研究は(=そのまねっこの日本のアメリカ文学研究も)、この人の傘の下にある。「リベラル・イマジネーション」って何かって?簡単に言えば、移ろう現象ではなくて、個別のしょうもない事象ではなくて、政治的に偏らなくて、人間の普遍的な姿を描くのが、その「広さや、抑揚変化や、複雑さ」を描くのが、まっとうな文学で、それを研究するのがまっとうな文学研究だと考えること、なんよ。それがリベラルなこと、アメリカの「伝統的思想」だというわけよ、この人は。

そりゃさ、元左翼で、ソ連に幻滅して、文学は政治の僕ではあかん、政治のプロパガンダの道具になってはいかんと、「やっぱりリベラル・イマジネーション!」と提唱するのはわかるけれども、この人、アーサー・ミラーが親共産党ではないかと疑われて、「赤狩り」にあって、非米活動委員会に喚問されたりしても、別に作家の自由なる精神のために、かばったわけでも、闘ったわけでもない。ニューヨーク知識人の中で、「これって変じゃない!?」「こんなんコンフォーミズムじゃない!自由でも何でもない!」とナイーヴに騒いだのは、「マルクス読んだことないけど、『パルティザン・レヴュー』の左翼青年たちのアイドルだったんで、そこに劇評書かせてもらって作家のキャリア始めた美人のバッサー女子大出のお嬢さん」のMary McCarthyぐらいなものだった。「女が何を言ってるんだ?」とばかり、彼女の発言は無視されました。この人、美人すぎて、損もしているし得もしているけど、作家としては損だったような気もするなあ・・・過小評価されてきたと、私は思う。しかし、まあ女だったから無事にすんだのかも。非力な女の物書きが何言っても影響力ないからね。だから、何でも言ってしまえという手もあるが。その彼女も、4番目に結婚した8歳年下の男が、外交官(まあ、しばらくして役所やめたけど。ニクソンににらまれたらしい)だったから、亭主の立場をおもんぱかったのか、だんだん政治的発言はしなくなっていったけれども。で、イタリアの旧跡めぐりみたいな本書くようになってさ。つまらんわあ。何の話か?あ、リベラル・イマジネーションの話。

ともあれ、「リベラル・イマジネーション」って、しっかり国策にそっていたんだから、governmental imaginationと言ってほしいよ。Lionel Trillingぐらいの人物(この人の奥さんDiana Trillingっていうんだけど、この奥さん、いかに自分の亭主は偉大だったかを、自伝『旅のはじめに』(野島秀勝訳、法政大学出版局、1996年)に書いているんだけど、言うに事欠いてHannah Arendtも、うちの亭主にほれていたから、私に冷たくあたったとか書いている。亭主が立派だったから、あたいは他の女に大いに嫉妬されたとか書いている。アホか、こいつ。)が、それを意識していなかったなんて、ないと思うよ。だいたい、30年代の左翼って、この時代の本流でしょ。この人、本流にいたがる人なんじゃないの?勝ち馬に乗っていたい人なんではないの?冷戦期の元左翼系知識人の変わり身の早さというより、「知識人」て、本流にならないと、「知識人」と言われないんじゃないの?

それに、アメリカの作家って、書くための時間を確保するために、その時間を確保できる金(かね)の獲得のために、ロックフェラー財団とか、グッゲンハイム財団とか、フォード財団とか、そういう大財閥から基金もらうじゃない。基金もらうために、作品の梗概とかテーマの説明とか執筆計画とか願書に書いて、応募して、審査されて、パスしたら、金もらって書くでしょう。税制の違いとかもあるけれども、「芸術育成のために金出す財閥って、いいなあ〜〜カッコイイなあ〜〜それぐらいの金持ちならいいなあ〜〜」とおめでたく私は感心していたけれども、審査するからには、なんか方針あるのではない?やはり非政治的内容で、かつ、たっぷり(現状維持国策支持的に)政治的なのが選ばれるのではないの?金を出す側に都合のいい内容に金出すって、当然よねえ。ただより高いものはないよね、やはり。

ところで、『冷戦とアメリカ文学』(山下昇編・世界思想社、2001年)っていう本は、日本では初めての、冷戦とアメリカ文学に関する論文集で、この分野では初めてアイン・ランド論が登場した本でもあります(私が書いた。日本初に書いたのは、私が知る限り、京都大の足立幸男氏「人権と福祉国家---ランドの道徳・政治理論」『転換期の福祉国家と政治学』収録論文・岩波書店、1989年)。この本の帯のキャッチコピーは「作家は冷戦を如何に闘ったか!」であります。なんか、これだと、冷戦状況と作家が戦ったみたいだ。ほんとは、「作家は如何に冷戦から逃げつつ冷戦に利用されたか?」が正しいよね。と、私は勝手に思うのだ。続編は、いよいよフォークナーについて、アメリカ南部文学であります。皆さん方には、どうでもいいことでありますよ・・・でも、私にとっては、はっきりとさせておきたいことなのだ。大学院入学以来の私の無知なる25年のために。

話は逸れるけれどさ、アメリカの女性の大学進学率って、十九世紀以来ずっと上昇しっぱなしだったのに、第二次世界大戦後に、冷戦期の繁栄期に、下がったの。大学に入っても結婚退学する女子学生が多かったの。先進国では晩婚になっていくものなのにさあ、この時期は結婚年齢が早まった。なんか、アメリカ人全体が、男も女も家庭第一で、個人的領域の充実と幸福に埋没したのが、この40年代後半から50年代だったらしい。こういうことは、Elaine Tyler Mayって歴史学者が、 Homeward Bound: American Families in the Cold War Era(Basic Books,1988)という本に書いている。この「家庭回帰」現象を、この歴史学者は、アメリカ人全体の心理、一種の退行現象でもあったけれども、それは「国策」でもあったのだ、と書いているよ。「ソ連封じ込め」(containing policy)の一環としての「家庭封じ込め」(containment at home)だって。そうやって、国民を非政治化させたんだって。それぐらいのことやる国ならば、文学産業の国策利用ぐらい、簡単にやるんじゃないの?ねえ?