アキラのランド節

やはり旭さんが好きだ! [11/18/2004]


初心に帰ります。ランド節はもっと短いものを、もっと定期的に書きます。日記代わりにもなるような。みなさん、よろしく!

先週の週末の11月13日と14日は広島にいた。広島大学で日本法哲学会があり、その統一テーマが「リバタリアニズムと法理論」だったんで、会員でもないのに入り込んで聴いてきた。私が会員の文学系の学会って、たかだか3時間ほどの短いシンポジウムでさえ、居眠りしている会員や私語している会員がいるのに(学生じゃあるまいし)、あの法哲学会というのは、朝から夕方まで、ず〜〜と発表して熱心に質疑応答していた。頭脳も身体も、すこぶるタフな会員ばかりの学会である。私も負けずに、昼休みに原爆ドームとか観て回ったぞ。合掌。

しかし、せっかく東大の法学部出ても、官僚にもならず、弁護士にもならない人々もいるんですね。変わってるよね?

私が、その著作とかを何冊か読んだことがある有名研究者の人々を、至近距離で見学できたのも面白かった。その優れた著作の印象から「英国製のツイードのブレザーを着た枯れた白髪白皙痩身の老学者」を勝手に私が想像していた某有名研究者は、実物は「レザー・ジャケット着た、俳優の緒方拳をもっと端正にしてでっかくしたワイルドな精力的な感じ」の方でありました。いまどきの哲学者は、男優みたいでレザー・ジャケットか。

実は昔の同僚ですっごい馬鹿なのがいて、たまたまそいつが憲法学者だったので、憲法の研究者に対しては偏見を私は持っていたのであるが、「そうか!優秀な憲法学者もいるのだ!」と、あたりまえのことにも感心した。日本国憲法とリバタリアニズムの相性の悪さについて発表しておられたな。

東京大学の院生というのが、やたら美青年だったり、愛らしい可憐な少女(私ぐらいの年になると、35歳ぐらいまでの人々は少年少女に見える)だったりして、これにも今更ながら驚いた。昨今は、偏差値の高いところに美男美女が集まるもんだってことは、よく知られているのにね。日本の階層差もいよいよもってして露骨になってきたようであります。

反リバタリアニズムで発表していらした方々は、強硬で頑固そうで感じが悪くて不細工だった。親リバタリアニズムで発表してらした方々は、柔軟でオープンで感じが良くて美形が多かった。これ、ただの観察です。別に他意はありません。

ともかく、ひさしぶりに頭を使ったような気がする。とは言っても、もちろん、私に発表内容や質疑応答の内容が理解できるはずないよ。でもすっごく面白かったという感慨は事実。大いに知的刺激を受けましたです。これから、あの学会の年次大会には、毎年もぐりこむことにした。隅っこで聴講することに決めた。と、15年来の知り合いの法哲学学会の某会員の方に話したら、「僕が推薦人になってあげるから、入ったら?」という話になりまして、ドサクサにまぎれて入会した。ははは。いいんだろうか?会費も今日振り込んだ。そういえば、英文学会やアメリカ文学会の会費は、まだ払い込んでないなあ。

ところで、昨日の17日の夜にあの石原東京都知事の書いた『弟』っていうのが、テレビドラマ化されていて、たまたま観てしまった。五夜連続の記念番組なんだってさ。なんか、私はよくわからんのよ、あの兄弟というか、あの一家が。石原軍団なんて、更にわからない。ああいう男のつるんだのは、ほんとによくわからん。石原裕次郎って、要するに甘ったれて暴飲暴食酒池肉林がたたって血液ドロドロ、コレステロールいっぱいになって癌になって早死にしたんでしょ?若いときの映画会社の操り人形スター時代はいざしらず、何かあの人は他に成就させたの?あの都知事さんも、何か成就させたの?私、このお兄さんの書いた文学作品って、最後まで読めたためしがないけど。あの家族の人気というのは、日本人大衆の「擬似貴族」への憧れみたいなもんかしらん?

で、思い出したのが、最近出版された小林旭さんの聞き書き自伝『熱き心に』(双葉社)でありました。

今までにも旭さんの伝記っぽい本はあったのだけれども、今度のは、その類のいい加減なインタビュー記事集めたようなものじゃない。旭さんの話を聞いてまとめているライターなり聞き手が、ほんとうに旭さんのファンなんだよね。それも、静かに長年見守っていたファン(まあ私に似てるといいますか)らしくて、聞き所が鋭いといいますか、的を射ているといいますか。

だから、旭さんもほんとに率直に話している。だから、この本には、プチ昭和実録史みたいな生々しさがある。ほんとギリギリ許される範囲まで、旭さんは正直に語っている。美空ひばりとの結婚、離婚、再会のことも、山口組組長のことも。「美空ひばりは、山口組組長の愛人だった。結局、ひばりに執着した組長さんに二人は無理に別れさせられた」説を、副島隆彦氏が『学問道場』の有料版「今日のぼやき」で開陳しておられた。う〜〜ん・・・・あなた、どう思います?

旭さんが、この『熱き心に』においてほど、生い立ちについても、ここまで赤裸々に語ったことはないですよ。両親との確執もないけれども特に情愛も通わない、だけどさほどの問題もなかった淡々とした人間関係(だいたいの親子関係って、こんなもんだと思うのよ。家族って、たまたまいっしょに暮らすはめになった人間関係でさ)についても、正直に語っている。「家族の思い出」なんて奇麗事にはしない。いいカッコはしないの。

あくまでも、「オヤジ」と「オフクロ」は、よくわからんが縁の深い他人であり、落ち着いてしみじみと話なんか一度もしたことがないし、親がどういう人間だったのか全然ほんとはわからない、というのは、よくある親子の風景なんじゃないの?老親を入れた介護サーヴス付高級老人ホームにも、見舞いには一度も行かなかったというのも、旭さんは正直に話している。寝たきりの老親に会っても話すことなんかないし。してあげられることもないし。だいたい親子の仲睦まじいおしゃべりなんて嘘っぽいもんね。そういう「家族ごっこ」のできない人なんだよね、旭さんって。

私は、仕事が終わって大学の近くに借りているマンションの部屋(正門から歩いて8分!)に帰る道すがら、解放感からか、つい旭さんの若き頃のヒット曲の『ダイナマイトが150屯』(ちっくしょう〜〜恋なんか吹っ飛ばせ〜♪)とか『ギターを抱いた渡り鳥』(赤い夕陽が〜〜荒野を〜〜染おおめてええ〜〜♪)とか歌ってしまうのだけどさ。まあ、我ながら自分のその声の大きさに驚いたりするんだけど、あの一連のヒット曲だって、旭さんは「何も考えないで、ただ歌ってた」と言っている。「北帰行」とか「さすらい」とか「熱き心に」とか「昔の名前で出ています」とかも、何も考えずに歌ってヒットしたんだって。歌詞の意味がしみじみ胸に迫り、その歌を理解できたのは、かなり後になってからだって。ほんと、旭さんってカッコつけないんだよ。正直なの。しょうもない理屈は言わないの。能書きはたれないの。無駄口はたたかないの。仕事だから黙ってやっただけなの。

石原裕次郎が病気で倒れたときの話が面白かった。昔の日活の俳優仲間たちが、病院にかけつけたのに、石原軍団が面会させなかったんだって。一度も。絶対に。旭さんも宍戸錠も見舞いさせてもらえなかったわけ。そればかりか、亡くなったときも、絶対に会わせなかったんだって。

何だろうね、これ?病気で痩せすぎてやつれてカッコ悪くなっているから、かつての仕事仲間に会わせるのは、ボスの不名誉になるとでも子分たちが思ったのか、本人が拒否したのか知らんけど、なんとなく、「へえ・・・暗い連中・・・」って気がしない?ボスのことを慮っているというよりは、自分たちだけで独占している感じで、セコイ。偏狭。視野狭窄。石原カルト。アイン・ランドを囲む馬鹿弟子集団みたいだって?うん、弟子をはべらせていた頃に書いた『肩をすくめるアトラス』は、確かに暗いよ。スケールは大きくなり思想性は顕著になったけど、暗いわさ。あの小説には邪気があるよ、確かに。『水源』の持つ清冽さや瑞々しい理想はないよ、あの小説には。何の話?

だいたいさあ・・・私は、あの『弟』っていうドラマ眺めていて、思ったのよ。ああ、旭さんのライバルは、石原裕次郎ひとりではなかったんだなあって。石原裕次郎って、ひとりではないんだよね。石原慎太郎とか、石原潔(石原兄弟のオヤジさんで造船会社の重役だったそうです)とか、石原軍団とかバックについている集合的存在なわけ。個人ではないわけ。あの人は、なんかいつも誰かとつるんでいるわけ。ひとりで世界に対抗していることは全くないわけ。でも、旭さんはひとり、なわけ。数に頼らないわけ。頼れないわけ。

黙ってはいるけれども、旭さんは、全部自分でやってきたんだもんねえ・・・借金作って、身一つでヤクザさんに興業の手配してもらいながら、場末のクラブやキャバレー回りして借金全部返したんだもんね。アル中になりかけたかもしれないし、ヤクザさんとのお付き合いで薬中になってたかもしれないけれども、ともかく身体ひとつが元手で、後ろ盾などなく、働いてきたんだもんねえ。日活映画であれだけ働いていても、スタント・マンもつけずに危険な場面も演じていても、給料は石原裕次郎よりはるかに低かったんだもんねえ。欲がないから搾取されちゃって。

旭さんは、自分でも言っているように、頭がいいとかインテリとか何か深遠に考えているとか、そういう人ではないですよ、そりゃ。育ちがいいとか、そういうこともないですよ。強引さに押し切られて美空ひばりと結婚してしまった、なんか気の弱いところもある人ですよ。でも、正直で働き者でまっとう。地味ながら、日本人のかなりの人々の心に根付いている。天才だから、その凄さが世間に理解されないのよね、旭さんは。その大衆性の中にある非凡さが理解されんのよ、旭さんは。ほんと、みなさん!小林旭は、日本映画界のアイン・ランドであります!

石原裕次郎の歌など歴史に残るもんか。あんなじめじめした暗い歌なんか残るもんか。旭さんの歌は、残るわい!絶対に残るぞ。名曲ぞろいなんだから。哀しくもスカッとした大陸の風の匂いがするような歌ばかりじゃないか。あの旭さんの「渡り鳥シリーズ」は、渥美清の『男はつらいよ』シリーズを作り、加山雄三の『若大将』シリーズを作り、中村敦夫の『木枯らし紋次郎』を生み出してきたんだから。なんだ、石原裕次郎なんか、よかったのは『嵐を呼ぶ男』だけじゃないか。後世の日本映画史は、小林旭のほうに、石原裕次郎よりはるかに多くの頁を割く。間違いない!

私は、今日もとっぷりと暗くなった坂道を、「夜がまた来る〜〜思い出つれて〜♪」と歌いながら帰るのだ。気分は、ギターならぬ、採点しなきゃならないテスト用紙の入ったバッグを抱えた渡り鳥。