アキラのランド節

トイレと下着と『国家の罠』 [8/30/2005]


今日は、今年2月のニューヨークのゼミ旅行以来久しぶりに、元教え子で、今は韓国語の先生を務めるB嬢と会い、近所のイタリアン・レストランでランチをした。ランド節を読んで、私に貯金がないと知って、B嬢が同情してご馳走してくださった。ありがとうございます。私は、持参した『肩をすくめるアトラス』をプレゼントだと言い張って、彼女に押しつけた。別れ際に、霊能者に私が鑑定してもらったことが話題に出て、「いや〜90歳まで確実に長生きするって言われちゃってさあ〜、90歳じゃあ女だってはげるんじゃない〜?心配だわ〜どうしよう〜〜」と私が言ったら、「いや〜センセイ、今は、レディース・アデランスがありますから、大丈夫ですよ!」と、彼女が力強く励ましてくれた。安心して私は雨の中を日傘さして帰った。

9月1日からロシアに行ってきます。6日の朝には成田に帰ってくるので、正味4日間しかロシアにはいません。まずはモスクワに行って、国内線に乗り換えてサンクト・ペテルブルグ(アイン・ランドの故郷!)に行って、2泊して、それから寝台車の夜行列車でモスクワまで行き、モスクワで一泊して、帰ってくるという短い日程です。ただただ、アイン・ランドの故郷を見たいだけだから、これでいいです。

モスクワやサンクト・ペテルブルグと日本時間の時差は6時間(6時間遅れ、ロシアが)ですが、今はサマー・タイムだから5時間です。成田からモスクワまでは飛行機で10時間くらいらしいです。ニューヨークに行くよりは、圧倒的にラクなようです。

ロシア語わからないので、パック・ツアーに参加して、食事つきの添乗員付きで気楽で優雅なる(?)ロシア旅行するつもりであったのだ、ほんとうは。ところが申し込んだツアーが、参加人数が集まらないということで不催行になった。では・・・と日程を変えて、また別のツアーに申し込んだら、キャンセルが出て、これも不催行になった。で、他の旅行会社のツアーを問いあわせたら、そっちも不催行だった。なんでだ?

しかたないんで、ホテルと航空券とVISAの手配はしてくれて、食事はついていないが、ホテルと空港間の送迎はしてくれて、申しこめば日本語ガイドつきのオプショナル・ツアーもできるというフリー・ツアーで行くことにした。ホテルは、普通の三ツ星クラスを頼んでいたが、友人がロシア旅行経験者の同僚の方から聞いた話によると、そのホテルは治安上問題があるらしい。だから、旅行会社に頼んで、五つ星クラスのホテルに宿泊先を変更してもらった。予算オーバーだから、日程を短縮せざるをえなくなった。

最初の10日帰国案のときは、翌日が衆議院選挙の投票日だけど、疲れてさぼるはめになるといけないなあ・・・とか気にしていたのだけれども、6日帰国ならば、大丈夫ですね〜

今回のロシア行きに備えて、私はロシア関連の本をかなり読んだ。いろいろ読んで知ったさまざまなことの中で、一番ショックだったのは、ロシアでは「トイレが汚い」らしいということだった。これは、大問題であります。日程を短縮し、宿泊先もエルミタージュ博物館に近い最高クラスのホテルに変更したのは、そのせいもある。博物館内でもよおしたら、必死でホテルに帰ればナントカなるだろうし、正味4日間ならば、耐えられるだろうと。

たかがトイレが汚いくらいで何だ、「サブライム」がどうのこうのと言っているくせに小心者めと、哂わば哂え。私を殺すのに、刃物なんていらんのじゃ。汚いトイレに連れて行けばよいのであります。

私が南山大学に入学したのは、フランク・ロイド・ライトの弟子のアントニン・レイモンドの設計によるキャンパスが気に入ったこともあるが、中学だか高校のときに英検受験のために行ったときに入った南山のトイレがとても綺麗だったからだ(今は、知らんよ)。今の勤務先の桃山学院大学も、キャンパス内は管理清掃が行き届き、トイレも綺麗でウオッシュレット装備であり、私は大いにありがたく満足している。ありがとうございます。

今まで学会とか研究会なんかで出かけた大学で、もっともトイレが汚かったのは、某有名女子短大であった。なんかねえ・・・女子大や女子短大でトイレが汚いというのは、どう弁明しても最低なんではないだろうか?顔は洗わず寝ても、トイレはしつこく洗い化粧するというのが、女性の最低限の教養ではないでしょうか?私が女子大の学長だったら、トイレ状況は、まめに自分でチェックしますがねえ・・・

とにもかくにも、何が怖いかと言えば、私にとって一番怖いのは、トイレが汚いということである。私は夢などめったに見ないが、ごくごくたまに見る悪夢のひとつが、どこのトイレの扉を開けても、汚いトイレばかりで用が足せないというものだ。この夢は、ほんとうに苦しいし辛いし怖く、かつ切ない。

ロシアのトイレに話を戻します。駅の公衆トイレとかが汚いのは日本でもよくあることだが、ロシアでは、博物館みたいな公的なところでも、相当なものらしい。「どうやったら、ここまで汚せるか?」と、思わず沈思黙考したくなるほどの汚れ方らしい。それから、伝統的ロシアのトイレは、腰掛の洋式ではなく、しゃがみ式で、かつ和式便器の「キンカクシ」というような前後を示すものはなく、穴だけがあるらしい。しかし、ロシアの人のなかには、その穴を「あえて」避けて、なさる方がすこぶる多いらしい。

  で、もっとショックだったのが、ロシア語通訳者である米原万里さんの最近出版された抱腹絶倒エッセイ『パンツの面目ふんどしの沽券』(筑摩書房)で紹介されていた驚愕の事実である・・・

なんと、少なくとも、第二次世界大戦後のシベリアの強制収容所のトイレにおいては、ロシア兵は大きい方をなさったあとに、お尻を拭くという習慣がなかったそうなのだ。なさった後は、そのままズボンをサッサと上げて、お帰りになるソ連兵ばかりだったらしい。昔のロシアのトイレには他のトイレとの間仕切りがないし、大らかにも一般のロシア兵は捕虜と同じトイレでも平気で御使用になったので、抑留されていた日本人捕虜の方々は、そういうのを何度となく目撃するはめになったらしい。日本人捕虜たちは、捕虜だから「落とし紙」すら配給しないのかと、ソ連の非人道ぶりと捕虜虐待に憤っていたらしい。ところが、実はそうではなく、ロシア兵そのものが、そんなもの使う習慣がなかったのだ(今は知らんよ)。

この習慣が60年たったあとに、ロシアから消えているということは絶対にありえないよね・・・トイレは床といわず壁といわず、しっかり汚すという伝統が、きれいに消滅しているということはありえないよね・・・ロシアのトイレの壁には、指の形で大便がなすりつけられているそうなんである・・・指アートですね。ドストエフスキーの『罪と罰』にも、チェホフの『桜の園』にも、トイレの描写はなかった・・・知らなかった・・・ロシアはトイレがやばいとは・・・

私は、真剣に、ロシアに行くことを諦めようかと思ったぐらいだ。アイン・ランドがアメリカに亡命したのは、祖国のトイレが汚かったからではないか?アメリカのトイレを見て、帰国するのが嫌になったのではないか?伝記が言うように、アイン・ランドの母親が、長女のランド(=アリッサ・ロウゼンバウム)の正直すぎる言動に危惧を感じて、このままソ連にいるとまずいと判断して、ランドをアメリカに送ったというのは、事実の一部でしかないのではないだろうか?

さらに前述の米原万里さんの『パンツの面目ふんどしの沽券』によると、「つい最近の」ソ連時代末期でさえ、ソ連には女性には絶対に欠かせない生理用ナプキンは製品化されていなくて、ソ連の女性は自分で作っていたらしい。パンツというかパンティのような下着も、自分で作っていたらしい。ウエストともものところにゴム入れた、「ちょうちんブルマ」(若い人は知らないよねえ、ブルマなんか)のような形だったらしい。アイン・ランドはアメリカに渡って、(稚拙なものであろうと)生理用ナプキンが市販されていて、かつパンツもズロースも市販されていたということにも、大いに感動して亡命したのではないか?1926年あたりのアメリカならば、すでにそうなっていたと思うよ。

で、私はハッと気がついた。13年ぶりに気がついた。

ソ連が崩壊してまもない頃に、栗本慎一郎氏の『パンツを脱いだロシア人---国家と民族の「現在(いま)」を問う 』(光文社、1992年)という本が出た。この場合の「パンツ」とは、政府の意味である。それまでの共産党独裁のガチガチの社会主義国家が崩壊して、ロシア人は政府など頼らず、自国の通貨など信じないで、生き抜いていかざるをえなくなった。もろ、ぎりぎりむきだしの個人の人間存在に帰らざるをえなくなった。そのことを、「パンツを脱いだ」と、栗本氏は表現なさったのであります。

で、生き抜いていくために、ロシアの人々が街頭でパンツを売っている姿を、それも台の上でパンツを並べて売るのではなく、ただ一枚のパンツを両手の指先で広げて、道行く人に見せて客を待つ「にわかパンツ屋さん」の姿を、自由市場経済に放り出された庶民の戦いの実例として、栗本氏は、『パンツを脱いだロシア人』の中で、紹介なさったのであります。栗本氏は、そのパンツがちゃんと工場生産された新しいものであり、その一枚が売れると、「にわかパンツ屋さん」は、ポケットとかから、また新しい同じパンツを取り出し、それを両手で広げて、指の間にはさんで、通行人に見せるという作業を繰り返していることを、じっくり観察して記述なさったのでありました。

私は、この本を読んだとき、「パンツを一枚だけ広げて持って売るなんて・・・わびしいなあ・・・」と、自分が日本に生まれていてよかったなあと、私もロシアに生まれていたらパンツを街頭で売っていたかもしれんと、大方の読者が思うことを思っただけだった。しかし、事実は、栗本氏や私が想像したのとは違っていたらしい。

旧ソ連では、下着は自分で作るものだった。男性の場合は、おそらく、パンツなんて穿いていなかったのだろう。シャツの前垂れなんかをお尻に回してパンツ代わりというのが、西洋の男性のかつての習慣だったらしいではないか。ということは、ソ連崩壊直後のロシアにおいては、既製品の、工場生産品のパンツとは、「わざわざ仰々しく麗々しく広げて」見せて売るに値する「贅沢品」だったのではないか?市場経済が導入されて、やっと晴れて庶民も、金さえ出せば、「既製品の真っ白なパンツ」が穿けるようになったのではないか?「既製品の真っ白なパンツ」とは、自由な市場経済のシンボルたる商品だったのではないか?

さすがの栗下慎一郎氏も、旧ソ連時代にはパンツは自分で布地を切って縫って作るものだったということを、ご存知なかったのだろう。実は、「にわかパンツ屋さん」は、「わびしい物売り」ではなくて、憧れの商品を仕入れて売る「たくましき自由市場参入者」だったのだ。

米原万里さんの『パンツの面目ふんどしの沽券』には、下着にまつわる笑えない事実も紹介されていたよ。冷戦時代のベルリンに駐屯していたソ連の将校の奥さんたちは、ベルリンのデパートで、西ドイツから流れてきて販売されていた「レースのブラジャー」とか「ナイロンの綺麗な色のスリップ」とかを見て、「うわあ〜綺麗ね!」と買ったのはいいけれども、まさかそれが下着だとは思わなくて、ブラウスの上から身につけたり、ワンピースみたいに着たりして、堂々と街を闊歩したそうだ・・・まさか、奥さんたちは、そんな綺麗な手の込んだものが、下着とは思わなかったそうなんである。

私は、日本で教師やっているドイツ人の御宅で、「卒塔婆」をインテリアとして飾ってあるのを目撃してギョッとしたことがあるが、ベルリンの人々が見た下着を上着にして歩いているソ連人女性とは、日本人にとっては、赤い長襦袢をコートのように肩にはおって風にたなびかせている外国人女性みたいなものであろうか。あるいは、腰巻をスカートにして優雅に歩く外国人の少女みたいなものであろうか。

ああ・・・ロシアに関して勉強するつもりが、思いもしないことを知る羽目になったものだ。心配が尽きない。

ところで、いろいろさまざまに読み漁ったロシア関連本の中で、読んでもっとも面白かったのは、佐藤優(まさる)氏の『国家の罠---外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社、2005年)だった。例の鈴木宗男氏の右腕として、ノンキャリアながら外務省のロシアン・スクールの実力者として、卓越した情報分析官として活躍しながら、「背任」と「偽計業務妨害」容疑で逮捕され、一審で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の判決を受けて控訴中の、元外交官の手記である。

私は、「副島隆彦の学問道場」(http://www.soejima.to)を読んでいるので、マスコミの報道を真に受けることはなくなったので、あの事件のときも「ほんとは、誰が悪いんやら・・・」とわけがわからなかった。辻元清美が国会で鈴木宗男氏の喚問をしたときに、「鈴木議員のお母さんは、私と同じ名前だそうですが」とふざけた無駄口たたいているのを聴いて、「まともに働いたことのない市民運動上がりの甘やかされたお姉ちゃんというのは、どうしようもないわ。国会という場所をなめてるばかりでなく、生きていることをなめてるんだなあ、こういう人は」と感じただけだった。田中真紀子さん礼賛もバッシングも、小泉さん礼賛も非難も、関係なかった。「あたいは、こういう爬虫類みたいな感じの連中は嫌いだ」と思っただけだった。

『国家の罠』を読むと、ほんとうにマスコミ報道なんて信じてはいけないと、あらためて思わされる。

『国家の罠』は、めちゃくちゃ面白いので、是非みなさん、お読みください。いろんなことを知ることができるから。9月11日の衆議院選挙投票日までに読んでおくといいかもしれない・・・

たとえば、私は、この本によって、「国策捜査」という言葉を初めて知った。長く続いてきたある政治的社会的慣習を根絶させるための、ある事件を「国家」が想定して、その事件に該当するような人や物事を探し出し調べ上げて、検察で容疑者の埃をたたきまくって(=国策捜査)、適当に自白させて調書をでっちあげ、めでたく事件を創造し、起訴して、裁判でさらし者にすることによって、ある政治的社会的慣習の息の根を止める。そうやって、「時代へのけじめ」をつけて、新しい体制にシフトしていく・・・この「国策捜査」の容疑者にされたら、どうしようもないのだ。もともと、最初から、確信犯的にでっちあげるつもりなんだから。事実は、どうでもいいんだから。

そうか、国はこのような形で理不尽に事件をでっちあげることもやるのだ。それが国のためになるとしてスケープゴートとしてはっきり自覚しつつ被疑者を追い詰める検察庁のありようも、初めて知った。しかし、検察官もいろいろ、ということも知った。 「外務省」に代表される役所という組織の非情さの具体例を、初めて生々しくリアルに知った。佐藤優氏のように、官僚としての仕事を本気で忠実にすると、官僚としては「やりすぎ」になり、失脚の憂き目にあうということも知った。ああいう秀才さんたちほど、嫉妬がすごいらしいです。自分たちより優秀なノン・キャリアなんて絶対に許せなかったらしい。官僚とか役人とかを、「税金の寄生虫」と、ついつい私たちは馬鹿にしてしまうが、国益第一の公僕としての役人の勉強ぶりと努力のすさまじさと、それができる優秀さを、あらためて知った。ほんとうのプロの役人って、すごいんだ。まともに機能すれば、官庁というのは、すごい人材の集まるシンク・タンクみたい。そして、真の公僕だからこそ、皮肉にも、役所から排除されていくという構造があることも、垣間見ることができた。拘置所とか死刑囚の日常とか、刑務官の真摯な仕事内容のことも、少しは知った。

しかし、さすがに、「冤罪」と戦い続ける「静かなる英雄」佐藤優氏も、日本という国家に「国策捜査」をさせるに至る、ほんとうの黒幕のことまでは書いていない。日本とロシアとのパイプを断ち切ったことにより利益を得るのは誰であるかについては。だいたいさあ、「国策捜査」の主体たる「国家の意志」ってさあ、何よ?そんな抽象的なものは存在しない。誰か個人の意志でしかないんでしょ?その個人とは、あの事件のときは誰であったのか?その個人は、どうしてそれを意志したのか?多分、その個人は、他の誰かに強制されたのだろう。しかし、『国家の罠』は、そこまでは書けないので、書いていない。裏も取りようがないしね。 いやあ・・・いざというときの人間の身の処し方とかも、いろいろ考えさせられた。掛け値なしで名著なんじゃないかなあ〜この『国家の罠』は。いや、ほんと、読まないと生涯の損失だって。アマゾンのサイトを見たら、なんと60近くのレヴューが、この本に寄せられていた。みんな、思うところは同じなんだな。 私など、この本に感動してしまったので、ついでに鈴木宗男氏の『宗男の言い分』(飛鳥新社、2002年)や『反乱---ムネオ再・起・動』(ぶんか社、2004年)まで、古本ネットで取り寄せて読んでしまった。この忙しいのに、もう・・・反鈴木宗男キャンペーンの先鞭を切った加藤昭氏のルポを単行本にした『鈴木宗男研究』(新潮社、2002年)は、北海道の古本屋で「1円」だった。い・ち・え・ん。One Yen。さすが鈴木さんの地元の北海道の古書店。『鈴木宗男研究』など、「いちえん」で十分な内容のない信頼できない本であると、明示しておられます。

しかし、佐藤優氏の『国家の罠』も、反鈴木宗男キャンペーンの先鞭を切った『鈴木宗男研究』も、どちらも新潮社から出版されている。変な感じ。節操がないというか。そんなもんか。

では、ロシアに行ってきます。酷暑の疲れが出たのか、ぼんやりとだるい夏の終わりです。みなさま、おからだ大切にお過ごしください。汚いトイレにもめげず、スリにも会わず、ジプシーにからまれず、賄賂取りの悪徳警官にも遭遇せず、寝台車の夜行列車で眠っている間に財布を盗まれることもなく、無事に帰ってきます。

ロシアに行っている間は、残念ながら、『ドラゴン桜』(1980年代後半、『メンズノンノ』の表紙を飾っていた、ただの絶世の美少年の中央大学生だった阿部君が、こんなに立派になって・・・)を視ることができない。『幸せになりたい!』(松下由樹と深キョンは美人である!)も視ることができない。『女王の教室』(もっと天海祐希さん、素敵な天海さん、超美女の天海さん、甘ったれた馬鹿小学生たちを鍛えてちょうだい)も視ることができない。『義経---壇ノ浦決戦の巻』も視ることができない。『義経』の主役は、阿部寛がふんする平知盛だから、彼が壇ノ浦で戦死したら、もうこのドラマは見てもしかたないんで、この回だけは視たかったのだが。長年の間、ほんとうにしょうもなかった日本のテレビ・ドラマが最近、少し変わってきたよね。嬉しい。