アキラのランド節

「だんじり」は岸和田ではなく鳳がいいです! [10/28/2006]


10月も終わりなのに、今までのところ、寒くない秋であります。寒くなくとも、秋は秋です。私は、秋と冬が大好きです。毛糸のセーターが大好きです。ショールやマフラーやコートが大好きです。熱いクリーム・スープやキムチ鍋が大好きです。勤務先の研究室の西向きの窓の向こうに見える晩秋の夕陽が大好きです。私は、年がら年中幸せな、おめでたい人間ですが、秋と冬は、とりわけ多幸症です。歩いていても、むふふ・・・と笑みがこぼれると言えば聞こえは良いが、要するに「独りで笑っている頭のおかしいオバハン」ですね。

振り返ると、10月もいろいろあったなあ・・・

今学期に初めて受け持つ科目である「アメリカ文化研究」は、副題が「ハリウッドと政治」です。映画の読み方とアメリカの歴史と文化を学ぶという1粒で3度おいしい講義をめざして、誰よりも私自身にとって一番面白い講義をめざして、準備は面倒くさいが、ワクワクやっている。やっと、前回で「アメリカの暴力文化」のセクションが終わった。メル・ギブソンの『パトリオット』や、エドワード・ズーイック監督の『グローリー』を見せながら、独立戦争や武装権や民兵やゲリラ戦や銃規制問題や中央集権をめざす連邦と州の対立とか、黒人奴隷解放など大義名分でしかなかった南北戦争のほんとうの原因や北軍の黒人連隊の話や、南部出身の俳優が犯人ということになっているが、リンカーン暗殺の黒幕は、ほんとは北部の産業資本じゃなかったか?なんて勝手なことを、マイク無しでしゃべり倒すのは愉しい。

「独立宣言」や「ゲティスバーグの演説」の原文を学生さんと声をあわせて読むのも愉しい。コーラス・リーディングって批判が多いけれども、名文(たとえ美辞麗句の内容空疎でも!)を声合わせて読むって、薬師丸ひろ子の懐かしの名画『セーラー服と機関銃』の台詞じゃないけれども、とっても「か・い・か・ん」です。快感。かいかん。

しかし、テレビで、いかにも神経の太そうな長澤ますみに、薬師丸ひろ子が演じたあの可憐ながらも凶暴な女子高校生役やってもらいたくない。いくら美人でも、長澤ますみがセーラー服着ると、どう見てもコスプレだろーが。しかし。夫はテレビ版2006年版『セーラー服と機関銃』のテーマソングのCD(ますみちゃんが歌っているとかで)を買ったそうだ。「ますみちゃんの、あのかすかにオバサンっぽいところが色っぽくて、オジサンにはたまらんのよ。薬師丸ひろ子のタラコ口は嫌いだ。あなたって、田舎くさい野暮ったい顔の女優が好きだね。やっぱ自分を投影するんかな」と、電話口でほざきやがった。『セーラー服と機関銃』のテーマソングは、あくまでも薬師丸ひろ子の澄んだ高音でなくちゃいけない!!処女のソプラノでなくちゃいけない!!コスプレではいけない!!何の話か?

「アメリカ文化研究」の話でした。次回からは、「アメリカの清貧という美徳がない文化」のセクションにはいる。むふふ。どう説明したら、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が、学生さんにとって、わかりやすくなるかなあ〜〜と考えながら、ポテトチップスを、むさぼり食うのは愉しい。毎度のごとく、シラバス(講義計画)無視の進行である。

『パトリオット』や、『グローリー』のような戦争映画もいいけれども、ベタなお気楽サクセス・ストーリーの『摩天楼はバラ色に』もいいです。毎度毎度、感動して号泣しそうになる映画も、しんどいもんなあ。『グローリー』なんか何度見ても、私は泣いてしまうが、学生たちも泣いていた。ざまみろ。涙をこらえている男子学生よ、素直に泣け!

どんな映画見せるかに関しては、かなり迷うし悩みますね〜〜いくら傑作でも『市民ケーン』は、その表現主義の技法が、映画鑑賞ビギナーには無理だし、『陽のあたる場所』みたいなセオドア・ドライサーの名作『アメリカの悲劇』の映画化でも、展開にスピード感がないと、2006年の大学生には、かったるい。

この科目では、私が偏愛する『ターミネーター』や『ブレードランナー』などのアクション映画は、見せる余地がありません。残念。いや、当たり前か。昔は単なる可愛い秀才顔だったけど、最近は渋く男っぽくなってきたマット・ディモンの『ボーン・アイデンティティー』とその続編の『ボーン・スプレマシー』なんか、『ターミネーター』へのオマージュいっぱいで、かつユーラシア大陸を彷徨する主人公(CIAが育成した暗殺専門エージェントのジェイソン・ボーン)の哀愁と孤独が、いかにも21世紀初頭的でいいのですが。ただし、何が「21世紀初頭的」なのか説明できませんが。

同僚たちが帰ったあとの夕暮れ以降、『ボーン・スプレマシー』のサントラ盤をガンガン鳴らしながら、研究室で仕事しているのは、愉しい。ときどき、踊ったりして愉しい。

しかし、この科目も来年度は担当しない。来年は、「世界市民」というのをやるんだ。毎年コロコロと担当科目が代わるのは面白くて飽きないが、忙しい。「世界市民の育成」というのが、桃山学院大学のスローガンでありますが、私は「世界市民なんて、幻想の未完のプロジェクトである。我々は市民ですらない。税金だけ取られる一般ピープルである。棄民である」という講義をする予定であります。

去年の秋学期にあった留学生向け「日本アニメの諸相」は、今年度の秋学期もやっています。デタラメ英語と日本語ちゃんぽんでやっています。去年作ったハンドアウトを、また作り直しているから手間はいっしょですね〜去年は、日本語バッチリできるウィーン大学の頭のいい美人女子学生が受講生の中にいて楽しかったけれども、今年度は、日本語さっぱりできません〜のフランス人男子学生ふたりが受講している。ふたりとも、無頓着な若者らしくはあっても、いかにもフランス人的に粋(いき)で垢抜けている。「おフランス」の首都である花のパリの経済系の大学から、南大阪に何をしに来たのか?たこ焼きでも食いに来たのか?謎だ。

ところで、今日は、「だんじり」のお話であります。

南大阪に来て、桃山学院大学に赴任して、思いもかけずに泉州にご縁ができて11年目にして初めて、私は「だんじり祭り」を見ました!!「だんじり」というと全国的には岸和田が有名ですが、これは9月の半ばにやるんで、中国旅行を諦めて論文書いていた私は行かなかったです。代わりに、10月6日(金)から8日(日)にかけて開かれた堺市は鳳地区の「だんじり祭り」を見に行きました。この鳳(おおとり)地区には、大鳥神社という由緒正しき古式豊かな和泉の一ノ宮があります。この神社にはヤマトタケルノミコトが祀ってあります。鳳地区の「だんじり祭り」というのは、この神社の祭礼ということになっておりますが、神社自体は、迷惑しているとか聞いたことがありますが、ほんとかしらん。

そういえば、この神社に初めて足を踏み入れたのは今年の6月だったのだが、このとき、ちょっと面白かった。一匹の蛇が藪の中からスルスルリと出てきて、私の足先150センチくらい先の場所に数秒ほどとどまり、またスルスルリと藪の中に戻って行きました。こういうのは、嬉しいよね。「やっと来たね」と言われているみたいでさ。きっとあの神社も私(&私のご先祖)とは縁があるな。

ぶっちゃけて言うと、あまり大きな声では言えないが、名古屋人というのは、日本中が名古屋だと思っているんであります。だって尾張(&三河ね。生粋尾張の人間は三河が嫌いだけどね)出身の人間たちが、日本各地の大名になったんだからさ、高知(山内さん)に行っても、金沢(前田さん)に行っても、熊本(加藤さん)に行っても、みんな出身は尾張だもん。だから、私は、実は、泉州も河内も大和郡山も、どこもかしこも、みんな名古屋だと心の奥底では思っているんであります・・・名古屋だと馬鹿にされてもいいもんね。名古屋弁を馬鹿にされてもいいもんね。日本は名古屋そのものだもの。名古屋人は、日本人そのものだもの。だからこそ、まずいんだけど・・・

話をもとに戻します。「鳳のだんじり祭り」は、7日の土曜日だけの見物のつもりだったのですが、私は、そのお祭りにはまってしまって、翌日も見物に出かけてしまいました・・・・この忙しいのに・・・しかし血が騒ぐといいますか、浮き浮きしてくるといいますか・・・ひとりで出かけたのですが、まったく退屈しませんでした。すっごく楽しかったですよ。

「だんじり」というのは、「地車」と書きます。地車っていうのは、欅(けやき)で造られた約4トンもある大きくて背丈の高い山車(だし)といいますか屋台みたいなものです。黒塗りではない、超大型仏壇みたいなもんでしょうか。黒塗りでもなく、キンキラキンでもない大きな木造霊柩車を想像してくださるといいと思います。

岸和田では、21の町からそれぞれの趣向を凝らした彫り物がいっぱいの「だんじり」が出ますが、私が見物に出かけた鳳地区でも、10の町から「だんじり」が出ます。江戸期の初めごろ、徳川家光の時代に始まった祭りだそうですから、その彫り物はだいたいが源平合戦のエピソードから採用されています。曽我兄弟とか、巴御前とか、牛若丸と弁慶とか。桃太郎とか金太郎もある。一寸法師もあるのかな。『源氏物語』系は、ないみたいだ。光源氏とか紫の上なんか彫ってあっても雅だと思うのだけれども、迫力はないよなあ。「かぐや姫」なんかは、いいような気もするが。『古事記』系彫り物もあるのかな?ヤマタノオロチと戦うスサノオノミコトとかさ。

この「だんじり」一台を制作し彫り上げるのにプロの職人さん、彫り物師さんの技術でも何年もかかるし、費用は1億円以上かかるそうです。町の人々がお金を出し合うそうですよ。お金持ちだとポンと2000万円くらい寄付するそうです。

要するに、「だんじり祭り」とは、揃いの白い和風シャツと和風パンツと地下足袋に町の名前が染め抜かれた紺色の半被(はっぴ)を着て鉢巻をした若い人たちが、重くてでっかくて色が塗っていない仏壇みたいなド派手きわまりない山車を、ひたすらひっぱって走るスピードと、曲がり角を限りなく鋭角的に勢いよく曲がる無謀さを、競いあい見せびらかすお祭りであります。一種の「中世日本風木造戦車パレード」みたいなもんでしょうか。

速度と勢いと無謀さの競争ですから、危険です。ですから、この祭りでは、ほぼ毎年死者が出ます。あんな、でっかくて重い山車をひっぱって走っているのですから、山車が激しく揺れたり、横転して、山車から振り落とされたり、山車につぶされたりして、内臓が破裂するんですね。一応、参加者全員が保険に入っているそうですが、死者が出ても、あっけらかんと湿っぽくないのが、「だんじり祭り」をおこなう泉州という土地の空気であります。さすがの河内も負けます。負けろ、負けろ。「だんじり」から墜落死こそが、男の花道でしょうか。

この山車=「だんじり」は、早朝から夜の10時くらいまで、休憩をいれながらも、何度も何度も、規定のコースを疾走いたします。狭い道路の商店街を、突き抜けて疾走いたします。あんな細い道路を、よく、まっすぐ何もぶつからずに走れるよな。でも、やはり電柱や商店の軒先が、「だんじり」にこすられ、ぶっ壊されることも、珍しくはないようです。追って走ってきた他の町の「だんじり」に、後ろにぴったしつかれたら、追いつかれたら負けらしいです。昔は、喧嘩なんかもよくあったらしいですが、今は、行儀よく紳士的なもんです。

夜になって暗くなると、この「だんじり」には町の名前が書かれた提灯(ちょうちん)がいっぱいにつけられます。闇に浮かぶ、その提灯がまた綺麗であります。実に情緒にあふれております。遠くから眺めますと、このたくさんの提灯が夜の町を、疾走しているように見えて、幻のごとく美しい。でっかく美しい華麗なお化けです。

はい、単純です。走っているだけです。曲がっているだけです(これを「遣り回し」と呼ぶ。やりまわし)。荒っぽいです。しかし、この単純明快な荒っぽさが、と〜〜っても男の子っぽくて、あっけらかんとして、いいのであります。

「だんじり」の高さは4メートル近いです。かなり高い。幅は2メートル弱で、奥行きは150センチくらいかなあ。その大きな「だんじり」にはふたつの前輪とふたつの後輪がついています。「だんじり」の後ろ中央には長さ3メートルくらい直径30センチくらいの樫の棒がついていて、そこに左右4本のロープといいますか白い太い綱がついています。それを30人くらいの若い屈強な男性集団が引いて、「だんじり」をコントロールします。彼らのことを「後梃子」(うしろてこ)と呼びます。

「だんじり」の前輪に檜の梃子をかませてブレーキをきかせたりするのが、前梃子(まえてこ)というパートで、これが一番重要な役割のようです。「花梃子」と尊敬される役割です。「だんじり」が曲がるときこそ、この前梃子さんふたり組みの呼吸と技術と勘がものを言います。あんなでっかい重い「だんじり」が、曲がり角を、綺麗に垂直に急に曲がれるはずがない。無理であります。その無理を可能にするのが、この前梃子(まえてこ)さんです。「だんじり」に一番近い位置にいるから、怪我率も死亡率も高そうだ・・・

「だんじり」を引くことを曳行(えいこう)と呼びます。前向きに曳行するのは、中学生ぐらいの男の子や女の子たちの集団です。その数は、100人くらいかなあ。多い町では200人くらいが曳き手ですね。町の若年人口に依存しますから斜陽の町は曳行者が少ないみたいです。あの集団には、小学校の高学年も混じっているかもしれない。走り疲れ、曳き疲れて、髪を汗ではりつかせている高潮した女の子たちの顔なんか、いいですよ。なかなかセクシーです。中学生くらいの女の子っていいよね。女子高校生くらいになると、すでにして、ちょっと「オバサン」が入ってくるでしょう?でも、中学生の女の子って、まだ半分男の子みたいで、「祭りなのにさあ〜〜生理始まっちゃったぜ〜〜くっそ〜〜」って言いそうな感じが、活きがよくて、可愛いよね。

でもこの子たちは、「そ〜〜りゃあ〜〜」と声をかけあいながら綱をひっぱっているだけですが(といっても十分に重労働だ)、曳行役で一番大事なパートをしめるのは、前梃子役の前に位置して、親綱から枝分かれした「どんす」を利き手に結わえ付けて、親綱をつかんでいる「綱元」(つなもと)と呼ばれる少年たちですね〜〜だいたい、高校生や大学生くらいの男の子たちです。この男の子たちは、青年団のリーダーらしき年上の男性たちに、団扇で背中をひっぱたかれながら(音は派手だが痛くはなさそう)、気合を入れられて、一気に「だんじり」を引っ張る。これが、きつそう。これが、凛々しい。この子たちの苦しそうな顔が、男っぽくていい。南大阪弁で言えば、「男前」(おとこまえ)ですね。東アジアの男のカッコよさです。

ところで、かなり背丈の高い「だんじり」の屋根の上に乗って、羽二重の半纏(はんてん)を風にはためかせながら、ひらりひらりと軽やかに敏捷に団扇で方向転換の指示を出すのが大工方(だいくがた)と呼ばれる若者です。高所恐怖症だと務まりません。デブも駄目です。顔が小さくて痩せた比較的小柄な青年に、ぴったりでしょうね。あれも、カッコいいです。「だんじり」に関わる若者たち(青年団と呼ぶ)の憧れのパートですね。なんで、小林旭さんの若き日に、渡り鳥シリーズで「だんじり編」を造らなかったのか?あの祭りの衣装、旭さんに似合うと思うなあ〜〜スタントマンなしでアクションを演じるあの優れた運動神経ならば、大工方なんか演じたら、最高にカッコ良かったでしょうに。

「だんじり」の中には、鳴り物(なりもん)と呼ばれる大太鼓や小太鼓や鉦(かね)や篠笛(しのぶえ=竹で作った横笛)担当の少年たちが座っています。つまりお囃子(はやし)ですね。聡明そうな少年が篠笛を吹いている隣で、こちらも聡明そうな少年が真面目な横顔を見せながら鉦を打ち鳴らしている姿は、健気です。清々しいです。日本の男の子の奥ゆかしい真摯さと端正さが、絵のように、映画の1シーンのように、見物客の心に温かく刻まれます。鳴り物の少年たちには、あまり笑って欲しくない。気難しい顔で、じっと前を見つめるか、楽器に集中してもらいたい。まるで少年兵のように。

このような姿を見ると、私のような妄想系の人間には、ある物語が頭に浮かんできます。この鉦の少年は、自分でも意識していないのですが、篠笛の少年に恋しているのです。ふたりは、同じ町で生まれて育った幼馴染です。小学生の頃はいっしょに「だんじり」を追いかけ、中学生のときは、いっしょに「だんじり」の綱を引き、青年団に入ったら、鳴り物の稽古をして、「だんじり」に乗って、見物客や町を睥睨(へいげい)すると決めていました。鉦の少年は、篠笛少年の奏でる澄んだ音色が好きなのか、その音色を奏でる少年が好きなのか、いったいどちらが好きなのか自分でもわかりません。ふたりは、祭りの一月前から始まる毎晩の祭りの練習にも欠かさず出席します。鳴り物の稽古を重ねます。しかし、ふたりが知る由もなかったのですが、実は、その年の祭りが、高校2年生の秋の祭りが、ふたりがふたりで過ごすことができる最後だったのであります。篠笛少年は、両親の離婚のために、その年の冬に泉州の地を離れたのでした。それから10年の月日が流れ・・・再会したふたりは・・・なんてね。

こういうゲイのラブ・ストーリー大好き。秘められるしかない恋の輝き。生涯黙っているしかない愛の孤独。出口のない欲望の静かな激しさ。見つめることが許されない瞳の遠さ。夜の奥に消えていく笛と鉦の音・・・還らざりし青春の記憶・・・むふふ。

「だんじり」の一番前の台には曳行責任者と呼ばれるオッサンたちが4人ほど立って乗っています。このオッサンたちは、町の世話役から選ばれるそうで、揃いの半被ではなくて、新調の浴衣を着て団扇を手に持っています。このオッサンたちは、見た目には邪魔であります。「だんじり」の一番後ろの台にも、団扇を操りながら「後梃子」(うしろてこ)の若者たちを煽っているのか、見物客に合図しているのか、よくわからない陽気な動きをしているオッサンたちが5人ほど立っていますが、彼らを何と呼ぶのか?この人たちは浴衣ではなく、半被着ています。

で、「だんじり」が疾走したあとを、まだ小さくて綱引きできないガキたちが、半被着て鉢巻をしたガキたちが、ドタドタとザワザワと子豚のように子犬のように追いかけて走って行きます。自分の町の「だんじり」を、ヤイノヤイノと歓声上げて追いかけて走って行きます。その後を、ガキたちの年若いお母さんたちが、キャッキャッと追いかけて行きます。ガキと手をつなぎながら走っているママもいます。その数は町によって違うけれども、だいたいが総勢100人くらいだな。それがまた、微笑ましいのであります。

この鳳のだんじり祭りがあった10月7日も8日も、風が強くて気温が低かったので風を通さないナイロンのパーカーを着こんで私は出かけたが、それでもけっこう寒かった。しかし、「だんじり」を曳いて走り回っている若い人たちは、ランナーズ・ハイの状態で、脳がどこかにぶっ飛んで、寒くも何ともなかったろう。ただただ疾走するのが楽しくてしかたないのだろう。すこぶる威勢のいいワルガキみたいな男の子や女の子たちを大量に見るのは、久しぶりでした。いや、私は、初めて目撃したのかもしれません。いまどき、元気のいい若い子たちって、なかなかお目にかかれないもんな。あの子たちの顔が赤かったのは、走っているからか、アルコールが入っていたからか、祭りの高揚に酔っ払っていたからか。

私にとって、「だんじり祭り」そのものも非常に面白かったが、祭り見物の人々を観察するのも、非常に面白かった。どうも、あの祭りは、一種の「同窓会」というか「クラス会」のようである。「だんじり」が走っているときは、縄で仕切られて警察官が交通整理している中を、素直に沿道に立っているしかない見物客は、「だんじり待ち」のときは、あちこちを歩き回り、知人や友人に遭遇する。「いや〜〜ひさしぶりやね〜〜」とか「結婚したんやて〜〜??」とか「いや〜〜あの子男前やったねえ〜〜」とか、「どないしてたん〜〜?」とか「子どもできたん〜〜?」とか、「おとうちゃんは〜どこにおんのお〜〜?」とか、大きくて高い声で挨拶しあっている。お祭りのときだけ、帰ってくる人たちも多いのだろうな。

紅白の布で巻かれた電信柱に向かって、酔っ払いのオッサンが何かヨタヨタ言っている。おもちゃの「だんじり」を引いているガキもいる。「オバサン〜〜かんにんな〜〜」と謝りながらも、後ろから強引に私にぶつかって前を急ごうとする男の子たちもいる。目玉焼きが乗っかった大きな煎餅みたいなものを手のひらに持って歩き回っているカップルもいる。あれは何だ?商店街のシャッターが下りた店の前に座りこんで、しゃべりこんでいる女の子たちや、親子連れも多い。お孫さんを連れたおばあちゃんもいる。中年過ぎのご夫婦もたくさんいた。赤ちゃんを抱いた若いご夫婦もいっぱいいた。ほんとに日本って少子化なの?老若男女いっぱい集まって、ガキの歓声がいっぱい聞こえて、幸福感が横溢した週末の夜のお祭りの風景だった。派手な幸福ではないけれども、つつがなく暮らせて食べて家族いっしょに、友だちいっしょに過ごせる、あたりまえのささやかな幸福がいっぱいあった。

私は、記念撮影のカメラのシャッター押しを、何人からも頼まれた。なんでだ?世の中には、道を聞かれやすい人間とか、写真のシャッター押しを頼まれやすい人間がいると思うが、私はその類の人間です。ニューヨークなんかで立っていると、やたら道を聞かれるし、時間を尋ねられる。よほど暇そうに見えるんだな。日本でも、レストランなんかで立っていると、店の人に間違われる。「ねえ2階空いてる?」とか「トイレどこですか?」なんて聞かれる。また、私は素直に、案内してさしあげるんですね〜。スーパーマーケットで立っていると、「これ1ダースいくら?」と聞かれる。ブティックで立っていたら、「これの9号ってありますか」と聞かれる。民宿に泊まっていたら、そこの家の人間に間違われる。なにゆえか、「そこの人」に思われる。まあ、別にいいんだけどさ。

商店街の中の袋物のお店の軒先に、「平成18年鳳の祭りビデオ、DVD予約販売受け付けます」と書かれた紙が張られてあった。お店の前に設置されたテレビからは、去年の祭りのビデオが流されていた。これっていい商売だよね〜〜この祭りに参加した人は、だいたいがこのビデオかDVD買うのではないの?鳳地区の人々の家の本棚には、毎年の祭りのビデオが並んでいるのではないの?何本ぐらい売れるのかな。

しかし、なんで、私は急に思いたって、「だんじり祭り」見物に来たのだろうか?今年になって、なんで大鳥神社に行ったのだろうか?泉州にご縁ができて11年目にして。今までだって、何度も耳にしてはいたくせに。まさか・・・泉州とのお別れが近づいているとか?イヤッイヤッそれはイヤッとか言っちゃって、まあ、どこでもいいです。ずっと泉州でも、北海道でも、九州でも、国後島でも、どこでもいいです。どうせ、どこでも名古屋だから。私にとっては、どこでも私の町だから。

みなさん、「だんじり」見物は岸和田ではなく、堺市の鳳に行きましょう。大都市では消えて久しい地域コミュニティの緊密な人間集団だけがかもし出せる濃厚な情緒と「手作り感」が味わえます。大阪駅から天王寺まで出て、JR阪和線に乗り換えて、鳳駅で降りれば、すぐに見物できますから。

岸和田の「だんじり祭り」みたいに、マスコミもうるさく来ないし、テレビ放映なんかされないし、映画化もされないし、小説にもされないし、しょうもないタレントも徘徊しないし、すっごく金が落ちるわけでもない。でも鳳の祭りには、ヨソモノでもさり気なくポツンと混じっていられるような居心地の良さがありました。私は、自分がガキだった昭和30年代にタイム・スリップしたような気分になりました。その狭い道の向こうから、若かりし頃の今は亡き父や母が、サンダルをつっかけている私や妹の手を引いて歩いてくるような気がしました。涙が出るような懐かしさを感じました。

外国人の見物客もいたし、町の世話人の半被を着て祭り運営に参加している外国人もいました。そうだよ、京都の祇園祭なんか見ても、ほんとうの庶民の日本を体験したことにはならないよ。

しかし、岸和田にしろ、堺の鳳にせよ、あれだけの祭りは、年がら年中を祭りの準備に費やす人間が大量にいなくては、成立、実行できません。岸和田のカレンダーは「だんじり祭り」がある9月から始まるそうですが、21世紀になっても、祭りで始まり祭りで終わる人生を過ごす男たちが威張って生息しているのが、泉州という古い土地の面白いところです。

それにしても、フィナーレのあとの、あのテープが空を飛び交った後の、ゴミがいっぱいの町や道路の清掃は誰がするのかな?まさか婦人会の奥さんたちがするんじゃないだろうねえ〜〜「大阪のオカン」って強烈過ぎて、しっかりしすぎて、男を甘やかすからなあ。男性のみなさん、本気で出世したかったら、大阪の女性とは結婚しないほうがいいですよ。頼りがいのある情のある奥さんに、ついつい甘えて依存してしまって、「男」になりそこねます。去勢されて「男のオバサン」になります。出世したかったら、ダレダレしている男を馬鹿にして軽蔑する冷淡な底意地の悪い(と言われる)京都の女性がいいそうですよ〜〜

ところで、鳳地区では、7月生まれが非常に多いのだそうだ。なんでだか、みなさん、わかりますね?この「だんじり祭り」の10ヶ月後ですね〜〜なるほど。そういうのも、すっごくいいよね。何がいいのか、わかりませんが。ためしに、この地区出身の学生に「あなたも7月生まれ?」と質問したら、「11月です!」と、憮然として答えられた。ははは・・・すみません、失礼しました。