アキラのランド節

セクハラと呼ばれて [01/29/2007]


一昨日の1月27日土曜日に東京は虎ノ門パストラルで開かれた日本技術士会での講演会(4つの講演の最初のひとつをさせていただきました)は、無事(?)終りました。中産階級と現代建築という観点から、『水源』を紹介させていただきました。私の話は、内容は単純なのに、支離滅裂でしたが。

なにしろ、先週は異常に多忙でありました。準備全くできず。ですから、アイン・ランドの少女時代と30代の写真とフランク・ロイド・ライトの代表的建築物の写真をインターネットからぱくって、技術士会の講演会世話役のおひとりである石井一夫氏に送りつけさせていただきました。「すみません!申し訳ありません!忙しくて準備できませんので、パワーポイントでこの写真を講演中にスクリーンに映したいので、お願いします!」と依頼させていただきました。ほんとに私って厚かましいよな。横着だよな。図々しいよな。日本技術士会の石井さんと矢田さん、ありがとうございました。お世話をおかけいたしました。貴重な機会をありがとうございました。

講演会の参加者の数は100名ほどで、かなり盛況であったそうです。参加者のなかに、桃山のOGで、大学院は別の大学を出て、大学の非常勤講師をしている女性がいたのには、びっくりしました。彼女は、アメリカ村の洋書店Random Walkでの講演会にも来てくれました。とても、嬉しくありがたかったのですが、申し訳なかったです。大阪から東京では交通費だって高いのに。

あのねえ、Nさん、あなたも仕事や論文書きでお忙しいのですから、これからは、お気遣いなくお願いします。あなたと私は、生涯のおつきあいです。ご縁は長いのだから、無理しないでください。あなたも、桃山学院大学出身だと関西の学会で言うと、キャラが藤森に似ていると言われるのでは、迷惑だよね。早く専任のポストが見つかるといいね。でも、「本気で」専任職を探していて、論文を書き続けて、ポストが得られなかった人に、私は今まで会ったことがありません。だから、大丈夫です。大学に就職するのは、ほんとうに難しいのですが、でも、ちゃんとできます。

私の頃だって、ほんとうに難しかった。私が、コネなしの公募で某公立女子短大に採用されたときは、「奇跡だ」と、母校の英語学の教授が言いやがったのですが、「オマエみたいな幼稚な馬鹿が、その年まで無事に生きてこれたのが奇跡だわい!ほんとに、オマエみたいな奴が田舎のどうでもいいような私立大学の教師でよかったわい。これが軍人だったら、兵隊が大量に犬死するわい。官僚だったら、途方もない額の税金が無駄使いされるわい!大学院生にセコイ嫌味を言っている程度なら害もないいわい!」と、私は思ったものでしたよ。あれ、何の話か?

そうそう、休憩時間に、「ランド節のファンです」とおっしゃってご挨拶してくださった知的で上品で美しい若い女性がおられました。お父様が日本技術士会の会員で、ご本人は某超一流国立大学病院の「研修医」をなさっているそうです。ということは、おお才色兼備のドクター!!「白い巨塔」の世界ですね〜〜♪天から、二物も三物も与えられる方って実際にいますよね〜〜

その若き美貌のドクターのSさんは、『水源』は、お友達に貸し出しているから、かわりにここにサインをしてくださいとおっしゃって、分厚い『肩をすくめるアトラス』をバッグからお出しになりました。「私が訳したのではないけど、いいんかな・・・?」と思いつつ、喜んで下手な字でサインさせていただきました。Sさん、お声をかけてくださり、講演をお聴きくださり、ありがとうございました。「ランド節のイメージと全く違うので、驚きました」と、Sさんは、おっしゃっておられましたが、「ランド節のイメージどおりですね!」とおっしゃる方もおられますよ。はい。

しかし、講演会当日は、朝からくたびれておりました・・・講演会の前日の金曜日が、特に忙しかったのです。授業も会議もなかったんで、研究室に来訪相談予定だった学生とは、何とかメイルのやり取りですませて、自宅で講演会の準備をしたかったのに、事務局から、ある非常勤の先生が28回授業しなければいけないのに、休講がメチャクチャ多くて、18回しか授業がしていないし、補講もしないし、連絡しても返事もない、どうすればいいかと連絡が入りました。「解雇しましょう。すぐに後任は探します」と、私はサッサと動き、後任の非常勤の方への依頼もすませたのに、「法的に問題はないでしょうか?訴えられたら・・・」とかナントカ、上司は心配するんですよね〜〜まあ、管理職は簡単には動けませんよねえ〜

電話じゃらちがあかないので、しかたなく講演会準備は放り出して、歩いて8分のところにある職場に午後3時20分に出勤しまして、ドタバタ処理して、さあ帰ろうと思ったら、大学院生が相談に来て、帰れず・・・で、気がついたら7時半。その頃には、疲れで、顔がボコボコになってきました。私は疲れると、アレルギー症状が出て、顔が急性アトピーっぽくなり赤くなり軽く腫れてくるのであります。やれやれ。

近所のレストランで食事して帰ったら、もうクタクタでした。10時前には寝てしまったので、27日の土曜日は朝の3時半に眼が覚めました。いろいろすませまして、トイレ掃除もしまして、東京に行きました〜〜ニューヨークに行くのは緊張しないけれど、東京は、よくわからないので緊張しますね〜〜♪霞ヶ関って、さすが立派ですね〜〜♪銀座って、やっぱり華やかですね〜〜♪なんで、東京って、舞台の書き割りみたいなんでしょうか?どこもかしこも映画のセットみたい。巨大なオープンセット。街行く人々が、エキストラに見えます。なんかリアリティがない。不思議。

それにしても、「日本技術士会」って、相当のエリート集団&プロ集団です。講演が4つ続いても、みなさん集中力とぎれず私語も居眠りもないのでした。すごいよ。私語当たり前の学生相手の講義や、居眠り当たり前の市民講座みたいなもんや、業界の文学系学会に慣れた私からすると、その静寂さと集中力は驚異的でした。やっぱり理科系って、下級学問の人文系とは脳が違うんかな。

明らかに「場違い」の私はさておき、私のあとに講演なさった3人の方々のお話は、非常に面白かったです。完全に理科系トピックでしたから、私が聴いてわかるかな?と心配だったのですが、パワーポイントを駆使したプレゼンテーションもわかりやすく、講演者の方々の話術も巧みで、実に刺激的でした。聴いていて、私のいつも使っていない脳が、とても喜んでいるという感覚がありました。

でも、今日のランド節は、一昨日の講演会報告ではありません。それは、次回に書かせていただきます。今日は、一昨日の夜に名古屋の自宅に帰って読んだところの、郵便物の中に混じっていた「秋学期科目授業アンケート調査結果」のことを書きたいのであります。

どうしてでしょうねえ??「アメリカ文化研究」という科目のアンケートの自由記述欄にコメントしてくれた受講生(220名の登録者でアンケートに答えたのは100名ちょっとで、自由記述欄にコメントしてくれたのは40名ちょっと)の圧倒的多数が絶賛に近い肯定的評価を書いてくれましたが、2名の受講生だけが否定的でした。そのうちひとりが、「セクハラ発言があった。名指しではないけれども<オマエは馬鹿か>というような暴言もあって不愉快だった」って書いていたのであります。や〜ね〜♪ <オマエは馬鹿か>というのは、TVドラマの『アンフェア』で篠原涼子が演じるヒロインの女性刑事が部下のエリート後輩刑事(あのハンサムな瑛太が演じてたの)を叱り飛ばすときの台詞なのにいい〜〜知らないのおお〜〜?遅れてるうう〜〜♪

それはさておき、私は、自分が暴言が多いタイプであることは、はっきり自覚しております。心は優しいが口は悪いです。ときに、確信犯的にやっております。治る可能性がまだ、かすかでは残る若い馬鹿な子には、「あんたは馬鹿」と事実を指摘するのが親切ですからね。しかし、セクハラって何? 何だよ、それ?

で、私は、この私が、この私が、この私が、どんなセクハラをしたのか思い出そうと努力したのであります。で、スカスカの脳細胞から記憶を搾り出しました。

そういえば、そのクラスで、私は男子学生をあてるとき、大教室で受講生が多くて名前を知らない学生も多かったので、「ちょっと、ちょっと、そこのイケ面!あなた、あなた、そう、あなたのことだよ!」と言ったことがあったのですが、これが、セクハラ発言だったのでしょうか?「ちょっと、ちょっと、そこの不細工な童貞!」と呼びかけたら、そりゃ、はっきりセクハラだと思うのですが。

先日「日本アニメの諸相」という留学生向けの英語によるクラスの最終回のあとに、受講生のフランス人男子留学生が挨拶に来たので、私は「いや〜あなたって優雅で魅力的だよねえ!あなたが受講してくれて楽しかった!ありがとう!いつもカッコよくいてね!」と言いまして、固く握手して別れましたが、これも、セクハラになるわけ?「そこのイケ面!」がセクハラならば、これだってセクハラと言われかねないでしょう?

だって、そのエドワード(フランス語ではエドワァと発音するらしい)という学生は、ほんとに優雅で魅力的な、21歳ながら知的な「紳士」なのであります。「このクラスが週に2回あればいいのに」とか、「どうして、春学期には留学生向きのクラスを教えないのですか?受講したいのに」とか言ってくれたし、彼の恋人のシモーヌ(クレアだったか?)という綺麗な女の子が12月に日本に遊びに来たときは、教室に彼女を連れてきて私に紹介してくれました。いい子でしょ〜〜? こんないい子は褒めるに決まっているじゃない?ただし、フランス人の英語って、ほんとよくわからない。あちらも、「日本人の英語わからない」と思っているでありましょうが。

他にセクハラと言われかねないことといえば・・・そういえば、出産時に死亡する女性が昔は非常に多く、今でも油断はできないのだということを話したときのことです。そのとき、「だって、考えてよ、バナナ入れるのがせいいっぱいの所から、スイカ出すんだからさ、そりゃ大変なのよ、命賭けるのよ、赤ちゃん産むとき、女性はやっぱり!お母さんに感謝しなさいよ、みんな!」と言いました。これが、セクハラ発言だったのでしょうか?一番理解しやすい比喩を使っただけなのですが。出産の奇跡と(潜在的)危険を超える母の偉大さを表現するのに、実に的確でしょう?あ、この比喩は、私のオリジナルではありません。映画のBabyTalkからのパクリです。この映画の邦題は忘れました。『パルプ・フィクション』前のジョン・トラボルタの出た映画ね。

あ、確かに下品であることは認めますよ。下品だとセクハラ?ならば、存在するだけで、存在そのものがセクハラと非難されかねませんよね、世間を占めるかなりの人間が。

他にセクハラ発言と思われそうなことといえば・・・ああ、15年以上くらい前に、私は、若き日の宮沢リエのヌード写真集を購入したのですが、そのとき私の知っている男性たちは、「こんな神々(こうごう)しい美しい立派なヌードは色っぽくない。もっと貧相貧弱な可哀相な感じのヌードのほうが色っぽい」と言いまして、同時期に発売された貧相貧弱可憐系女優さんのヌード写真集のほうを賞賛したのですよ。

で、私は、その話を例に出して、従来の日本では、ゴージャス系堂々とした美人より貧相貧弱可憐系美人のほうが人気を博したが、最近は、日本男性の女性に対する趣味も、グローバルスタンダードになってきた、日本の男も貧相貧弱可憐系女優を愛でるような貧乏臭い劣等感丸出しのセコイ支配欲から、やっと解放されて、ゴージャス系堂々美人に趣味がシフトしつつあるのは、いい徴候だという雑談をしたことがありました。これが、セクハラ発言だったのかな? 私を批判した学生は、貧相貧弱可憐系が好みのような、雨に濡れた哀れっぽい犬を可愛がりたいみたいな自信のない男性なので、私の発言にむかついたのでしょうか?別に女の趣味を、とやかく言うつもりはなかったのですが。

そういえば、2005年度の英語のクラスの授業評価アンケートでも、「先生はセクハラはいけないと言いながら、自分がしている」と自由記述欄に書いていた学生が、いました。この批判に関しても、私は自分が何を言ったのか、思い出すのに苦労しましたよ。

そのクラスでは、ある夏の日に冷房が効きすぎて寒いと訴える男子学生がいたんで、「あなた、ひょっとして、そのTシャツの下には、幼い乳首しかないんじゃないの?夏でも、ちゃんと下着は身につけなきゃ駄目だよ。冷えるに決まってるよ」と言ったことがありました。これが、セクハラ発言だったのしょうか?私は、学生の健康を慮(おもんぱか)っただけなのですが。

巨乳で薄着の女性は乳癌にかかりやすい、乳房は脂肪でできていて血管があまりないから冷えやすい、だから胸は冷やしちゃいけない、胸の大きく開いたような衣服なんか着ないほうがいい、巨乳で売っているグラビアアイドルは40過ぎたら乳癌にかかるかも、とか、そういう話もしたことがあります。西原克成医師の『究極の免疫力』(講談社インタナショナル)に言及したときのことです。これがセクハラ発言だったのかな?

そのクラスには、中村獅童と離婚したんだか、まだ離婚調停中だか知りませんが、竹内ナントカという女優さん似の超美人の女子学生がいました。なんで、こんな美人がここにいるの?と思わされるような美人でしたので、授業中に、私は「ナントカさん、男の人に街で声かけられても返事しちゃ駄目よ。相手にしちゃ駄目!」と、彼女に言いました。これがセクハラ発言だったのでしょうか?私をセクハラだと批判した男子学生(わざわざ自分の名前を書いていた)は、その女子学生に憧れているので、「僕の大好きなナントカちゃんに何を言うんだ!失礼な!」と、私の発言にむかついた、ということは大いにありえます。

結局、セクハラと呼ばれても、何がいけなかったのか、私にはよくわからないのでありますよ、いくら考えても。

ところで、以下のことは、どうなんでしょうか?

今年度最後のゼミのあった22日月曜日の夕方に、4年生の送別会を難波の居酒屋で開きました。そのとき私の目前で、ふたりの男子学生が、「あのさあ、彼女に生理が来ないって言ってたけどさあ、どうなった?」「あ、来た。来た。ありがと、心配してくれて。ちゃんと来た」「よかったねえ!」という会話をかわしていました。はっきりと、明るく、何気なく。これって、考えようによっては、セクハラになりませんか?女教師の前で話すことですか?

だけど、私はこれらの発言をセクハラだ!なんて注意はしなかったですよ。だって美談じゃないですか。友だちの彼女に生理が来ないことを気遣うなんて。なんか、余計なお世話みたいな気もするけれどもさ。いまどきの男同士の友だちって、彼女の生理のことまで話すんか?

同じく、ゼミの送別会コンパの席で、ある男子学生が、「うちの親って、すごく仲がいいんですよ〜変なんですよ。センセイと同じくらいの年なのに、お風呂いっしょに入るんですよ」って言いましたが、これだって、考えようによっては、セクハラ発言でしょーが。

だけど、私はセクハラなんて感じないで、「いいじゃないの、どこが悪いのよ!50歳過ぎの夫婦は、お風呂いっしょに入ったらいけないの?どこが変よ!あなたもいっしょに入りなさい。家族で混浴素晴らしい!」と言いました。転勤先からお父さんがお帰りになる週末には、お母さんがいっしょにお風呂に入って、お父さんの背中を流してさしあげるなんて、実に微笑ましい話じゃないですか、ねえ?いいご両親ではないですか。だからこそ、ああいういい男の子が育ったんだよ。

またも同じく、ゼミの送別会コンパで、ある男子学生が恋愛の悩みを打ち明けました。彼女のご両親が交際に反対で、彼女が彼とご両親の板ばさみになって不安定なので、自分も胃が痛くなるほど悩んでしまうという内容でした。彼女は、いまどきの若い女の子には珍しく(?)、とても真面目で固くて、彼が彼女に性交渉を迫ったときも、「そんなことはできない!本気で私のこと考えているとは思えない!」と怒ったそうです。しかし、彼はちゃんと彼女を説得して(?)、めでたく事を成就したという内容でした。嘆いているんだか、自慢しているんだか・・・でも、これだって、考えようによっては、セクハラ発言でしょーが。

でも、私は、セクハラだ!などと騒ぎ立てませんでしたよ。「うわ〜彼女にとって、あなたが最初の一本なんて、素敵じゃないの〜〜あなた、幸せだよね〜〜あのね、性行為を気軽に扱っちゃ駄目だよ。彼女の方が正しくてまっとうなんだからね!いずれ彼女のご両親もわかってくださるよ。彼女のこと大切にしなさいよ」と、私は言いました。ただし、他の男子学生から、「センセイ、最初の一本なんて・・・本数で言わないで欲しい!」と叱られましたが。すみません。

これは別の機会の話ですが、ある男子学生が読みたい原書があるというので、アメリカのアマゾンに私がその文献を代理で注文したことがありました。その代金はいつ払えばいいのかと訊かれて、私は「本気で勉強する気ならば、これくらいの額ならばいいよ、あげる」と答えました。そしたら、その男子学生が、「センセイ、あとから、カラダで返せって言われても、僕、困りますからね〜〜」と言ったのであります。これだって考えようによっては、かなりセクハラ発言ですよ。

でも、私はオトナだから、いちいち目くじらなんか立てませんでしたよ。大笑いして、「あ、それは間に合ってる、間に合ってる」と返しました。「カラダで返す」なんて、えらく古風な表現が19歳の男の子の口から飛び出たことに、びっくりはしましたが。そんな表現、どこで習ってきたんだ?大昔の日本映画や時代劇の観すぎだな。

高校時代にはこういうこともありましたよ。あの頃の私は、まったく晩生(おくて)で、美容とかお洒落に無知な「女の子のバンカラ」だったので、おそらく見るに見かねたのでありましょう、特に話したこともない男子の同級生が、「あの、髪の毛ねえ、リンスぐらいしたほうがいいよ」と私に言いました。別の男子の同級生は、「あの・・・毛ずねは処理したほうがいいよ」と言いました。さらに別の男子の同級生は、「あの・・・鼻毛は抜いたほうがいいよ」と言いました。そのたびに、私は「そうか!そうなんだ!」と思い、素直に助言に従いました。ちゃんとシャンプー後はリンスしないと髪がゴワゴワになるんだと学び、私って脚も鼻も毛深いほうなんだと気がつきました。でも、こういう親切な助言も、今の時代ならば、セクハラ発言になるのでしょうか?

大人になってから、この思い出を友人に話したとき、「あなた苛められてたんじゃないの?それに気がつかなかったんじゃないの?」と言われましたが、そうかなあ?助言してくれた同級生は、みな真面目で物静かでしたよ。もう顔も名前も覚えていないけれど。

でも、気がつかないってことは、私の性格上、大いにあるな。クラスの、ある女子グループが私をシカトすることに決めて、私とは口をきかないと決めて実行したらしいのですが、肝心要の私がそれに気がつかなかったんで、気が抜けたという話を、後で聞いたことがあったから。ははは。頭の悪いブス連合なんか、誰が気にかけるか。タイガーズのジュリーとか、テンプターズのショーケンなんかに夢中の低脳集団のことなんか、誰が気にかけるか。

つまり、私が言いたいことは、こうなんですよ。性は、人間存在の本質的部分です。したがって、日常の会話とか談話から、その要素をまったく消し去るなんてことはできません。それこそ、まさに不自然です。性的ほのめかし、性的冗談、性体験談儀は、生身で生きる人間どうしのコミュニケーションの一部にならざるをえません。それは上品なことではないにしても、大真面目に怒って取り締まらなければならないような悪徳でもないし、犯罪でもありません。「スケベであること」は、健康なあたりまえのことです。

私なんか、いつだって、どこでだって、まず最初にサッと視線をめぐらせて、綺麗なオスや綺麗なメス探索をしますよ。教室でだって、そうですよ。「お!いいじゃん!」と思うような学生が受講していれば、そりゃ楽しいですよ。女子学生だろうが、男子学生だろうが、美形は楽しい風景ですよ。当たり前でしょう??また、レンタルDVD/ビデオショップなんか行きますと、たまには、ポルノ系コーナーもちゃんとじっくり見学してきますよ。なかなかに知恵とアイデアをしぼって、エッチ産業も頑張っておられます。

だから、攻撃的文脈、否定的文脈、悪意のある文脈で使用されていないのが明らかな性的発言まで、セクハラと非難し、性的要素を蛇蝎視することは、かなり歪んだ不自然なことです。はっきり言えば、それは病理的な現象です。性的ヒステリー。性的コンプレックス。性的抑圧。性的強迫観念。これら全部の複合体です。

また、大した発言でもないし、実害もないのに、その発言の性的要素に注目してしまうということは、大した発言でもないし、実害もないのに、その発言の性的要素に大いに気がついてしまうということにおいて、恥ずかしいです。これは、過剰に性にこだわっているということであって、自分がいかに「過度に」スケベか誇示しているようなものでして、かなり恥ずかしいことです。

うちの男子学生でも、彼が身につけていたレザー・ジャケットが素敵だったんで、「へ〜〜カッコいいじゃない」と、そのジャケットを触っただけなのに、「セクハラですよ!」と言ったのがいましたが、アホか、そういう反応自体が恥ずかしいわい。また、その恥ずかしさに気がついていないということ自体が、恥ずかしいわい。

セクハラ問題は取り扱いが難しいけれども、文脈無視して問題視するのは、全く頭の悪い不毛な魔女狩りのヒステリーでしかないよね。ここらあたりは、性的正義派人間は、気をつけたほうがいいと思います。自分の性的ヒステリー&性的コンプレックス&性的抑圧&性的強迫観念を、広告宣伝しているようなもんだから。自分が病気であることを、誇らしくも、正義の味方の証明だと思っている無知と自己分析の欠如は、ただそれだけならば、どうってことないですが、その病気を他人に誇示するのは迷惑であります。こういう性的正義派という無自覚過剰スケベ人間は、他人に自分の病原菌を伝染させるのが正しいことと思っているから、なおさら、うざい。

あのね、「金に汚い!」と他人をやたらに非難する人間は、自分が金に過剰にこだわっているの。ふつーの人間は、そんなこと、あまり気がつかないの。それと同じなの。

私と同じ業界の女性でも、「セクハラされるのよ!」と言うのがいまして、わざわざ研究室のドアを開け放して男性の同僚とか男子学生と対応しているのがいますが、あのね、50歳過ぎた女に誰がセクハラするか!自意識過剰だよ。あんたが、過剰にスケベなの!ましてや、同じ職場で働いてきた男性の同僚が、ちょっと無用心なセクハラ行為をしたからといって、魔女狩りにみたいに追い詰めるんじゃないの!何様のつもりだ?その人にだって、親も奥さんもお子さんもいるんだからさ、なるたけ穏便に処理するのが当然でしょーが。あれ?また、話がずれましたね。

ま、ともかく、私のことをセクハラ発言をしたと非難した学生は、大教室でも後ろのほうに座って、ジト〜〜とモグラみたいな上目遣いで教壇を見ているみたいな奴で、視力の弱い私からは認知してもらえなくて、コメントペーパーにもろくなこと書かなくて、ついでに育ちも悪いから、キャンパス内で会っても私に挨拶もできなくて、だから最後まで私から存在が認知されなくて、結果的に完璧に無視されてしまって、そのルサンチマンから、しょーもない批判を授業評価アンケートに書くんだよね。ほ〜〜んと暗いよな。

私から愛されたいなら、素直に求めればいいのにね。自分から投げかけないものは返ってこないと、小林正観氏も書いておられましたよ。生まれっぱなしのままでいて、何も行動しないで、何も試みもせずに、認知され愛される人間なんて、いまどき皇室でも無理ですわ。絶世の美女美男でも、面白くない奴、反応のない奴、打てば響かない奴は、飽きられますわ。ましてや不細工な庶民だったら、ドンドンドンドン自分から投げかけろ!ちゃんと投げかけてきたら、いつだって、私は答えてやるわい。親でも愛さないわい、そんな怠惰きわまる厚かましい無神経なガキなんか。

また、こういう奴に限って、試験前にドタバタと、講義中に配布したハンドアウトのファイルを送信して欲しいと、学籍番号や名前もメイルに書かずに依頼してきて、しかたなくこっちが送信しても、受け取りの返事も礼もよこさないんだよな。小学生の子どもの給食費を、「学校の時間に食べているんだから学校が払えばいい」という、わけのわからん理由を言い立てて、たかだか1ヶ月3900円(安い!!)を支払わない親になるのは、こういう歪んだ寂しい、(よく考えれば自業自得の)ルサンチマンを抱いている奴なんだろう。

しかし、それにしても、経済的に困っているわけでもないのに、小学校の給食費も払わない親を持つなんて、なんて可愛そうな哀れな子どもたちでしょうか・・・その子どもたちは、馬鹿親の価値観の中で生きていくしかないから、自分の惨めさや哀れさを意識できないという点が、また一層に哀れですよね・・・こういう親は、いずれ何らかの形で、子どもに復讐されるのでありましょう、世界から拒否されるのでありましょう・・・哀れ、あいつらは給食費滞納親(『哀れ、彼女は娼婦』のパロディね、念のため)。

私は脱税に関しては、なんか共感できるけれども、「給食費滞納親」って、許せないなあ。次世代の子どもの価値観形成に影響のあることだから、その「給食費滞納親」の亡国度と罪は、すさまじいぞ。リンチしてやりたいな。みなさん、そう思いませんか?あれ?何の話だったか?