アキラのランド節

我が祈り  [03/28/2010]


先週の3月24日に、勤務先での2009年度の仕事が全部終りました。4月2日の2010年度の入学式まで完全休暇です。短いですが春休みです。さああ〜〜読みたい本は全部読み倒すぞ〜〜と、乱読に耽溺しておりましたら、ランド節の更新を、またさぼっていることに気がつきました。すみません。

本日のテーマは、「祈り」でございます。invocationでございます。祈りとか願いって、それを実際に口に出すとか書くと、実現するというのではないですか。だから、ここに書いておこうと思います。

あ、「祈り」といいましても、「人類恒久平和」とか、「ベーシック・インカム実施」とか、「階級のない差別のない社会実現」とか、「国家のない全世界ファミリーThe New World Order実現!」なんて、そーいう、荒唐無稽な、一見文句のつけようのない正義、だけど、それは人類破滅への近道かもね〜〜的な、「地獄への道は善意から」的なことは祈りません。私って、夢見るオバサンに見えて、けっこうリアリストだからさあ〜〜ほほほ。名古屋の女だがね。

その前に、大事な大事な報告をさせていただきます。

佐々木一郎氏主宰「第1回アイン・ランド読者会」は、3月14日日曜日午後1時から4時まで、東京は目黒のスター研修所で、めでたく開催されました。会場は、あの「ホリプロ」のビルの隣だったのですよ〜〜って、それがどうした?

いやいや、私は「田舎の子」なんで、「メグロ」とか、「ホリプロ」とか、お〜〜〜と、興奮してしまうのですよ。東京に行く度に、お〜〜ここがアカサカかあ!ここがギンザかあ!ここがシンジュクであるかあ!と驚嘆するのであります。

「第1回アイン・ランド読者会」の出席者は、主宰者の佐々木一郎氏を筆頭に7人でした。『肩をすくめるアトラス』の訳者の脇坂あゆみさんご出席になるかもしれない・・・ということだったのですが、残念ながら、某外資系企業の経営戦略を担当しておられる脇坂さんは、この日にお仕事が入り、出席できませんでした。残念でしたね〜〜♪ 脇坂さん、出版社なんか抜きにして、お会いしましょうね〜〜♪

7人なんて少ない?そうかなあ。私は、こんなカネにもならんことに、実利的情報交換会でもないことに、よく7人も集まったよなあ・・・と驚きました。

話が弾みました。あっというまに3時間が経過しました。年齢もアラカン(around 60 years old)から20代とバラバラ、職業もバラバラ、性別もバラバラなのですが、アイン・ランドの読者ですから、さすが、話があいました。感じ方が似ているのは当然ですよね。

鎌倉在住の、私より少し年上の上品なご令室風のTさんは、「鳩サブレ」を持ってきてくださいました。名古屋在住の30代半ばの女性のOさんは、お洒落なケーキを持ってきてくださいました。お土産として、参加者のみなさんに、持ってきてくださいました。

Tさん、Oさん、お気遣いをありがとうございました。私、何もお土産なしで・・・だって、名古屋の「千なり」って、私は大好きですが、よその土地の方々から見れば単なるドラ焼きだよなあ・・・と思ってしまって・・・持って行けばよかったなあ・・・食いすぎか・・・

主宰者の佐々木さんが差し入れてくださったコーヒーやミネラル・ウオーターとともに、おいしいおいしい鳩サブレやケーキをいただきながら、私たちは、いろいろお話しました。

どんな話かって?関心があるのならば、「第2回アイン・ランド読者会」にご出席ください。もったいないから、ここでは教えてあげません。けけけ。

楽しくて、私はせっかく持って行ったカメラを使うことを忘れてしまい、記念写真撮影しそこないました。日本史上初のアイン・ランドのための集まりだったのに。「第1回アイン・ランド読者会」だったのに。

「第1回アイン・ランド読者会」を企画実践してくださった佐々木一郎さん、ありがとうございました。ご出席のみなさま、ありがとうございました。お会いできて、嬉しかったです。2010年3月14日は、私の人生において記念すべき日となりました。

ほんとは夕食をごいっしょに・・・とお誘いしたかったのでありますが、アイン・ランドの読者の方々ですから、ご自分で決めたご予定があるのではないか・・・と遠慮しました。ダラダラと時間を無駄にしたくないのかもしれない・・・と遠慮しました。それに、これから何度でもお会いするに決まっている(と、断固私はそう思う!)から、本日は、今回は、このような「心を残して」の解散でいいのだ・・・と思いました。

みなさん、またお会いしましょう!

では、「我が祈り」を、列挙いたします。記述は、必ずしも願望の切実度、熱烈度の順番ではありません。テキトーに私の脳に浮かんだ順番です。

(1)神様、アイン・ランドの劇作品集の翻訳を出版していただけますように。彼女が30代の頃に書いた劇作品で面白いものが3つほどあります。でも、『水源』も『肩をすくめるアトラス』も『利己主義という気概』も、売れているわけではないからなあ・・・ビジネス社さん、承諾してくださらないだろうなあ。

初めて出版されたランドの小説はWe, the Living (『我ら、生きるもの』)です。これは、脇坂あゆみさんが翻訳なさる予定です。水源』も『肩をすくめるアトラス』も『利己主義という気概』も、さほど売れていないので、We, the Livingの翻訳も出版していただけるかどうか、未定であります。

(2)神様、アイン・ランドの読みやすい評伝を書きあげることができますように。それを出版していただけますように。去年、アメリカでアイン・ランドに関する詳細な伝記が複数出版されたし、あとヴァージニア工科大のソシャーナ・ミルグリムという比較文学研究者による評伝がそろったら、かなり正確なアイン・ランドの人物像が把握できるでしょう。作家&思想家としての布置も、かなり正確に見定めることができるのではないかと思います。

(3)神様、ランド・ウイルスが静かに着実にさりげなく日本人に浸透し、日本人の体質を変えますように。究極、思想なんか趣味じゃ。好みじゃ。でも、だからこそ、この好み、趣味は、容易には変えることができない。譲れない!ならば、血液型を変えちゃう勢いでランド・ウイルス広がれ〜〜日本人の細胞を変えちまえ!

(4)神様、カラオケで、アン・ルイスの『六本木心中』が上手く歌えるようになりますように。「桜吹雪にハラハラすがり、あなたなしでは生きてゆけぬ〜〜自惚れないで〜〜言葉じゃ駄目さあ〜〜男らしさを立てておくれ〜〜〜♪」と、マイク離さず踊りながら、音をはずさず歌って、息切れがしないようになりたいです。

「年下のくせにさ〜〜焼きもち焼くなんて〜〜あなた売れないジゴロみたあいね〜〜♪ 明日になれば、また陽は昇る〜〜女ですもの、泣きはしない〜〜Can’t live without you, Baby! Don’t wanna let you go!」と、ビシッと決めて歌い上げたい。

この歌、メロディも歌詞も最高に傑作です。最高にクールなJポップです。こんなカッコいい歌はありません。私のiPodには、本家のアン・ルイスの『六本木心中』はもちろんのこと、デーモン木暮や、真行寺恵理や、「三喜屋・野村モーターズBAND」とかいうグループが歌っている中国語ヴァージョンのものまで、各種の『六本木心中』がはいっています。疲れているときに聴くと、疲れが吹っ飛びます。20代や30代の頃の孤独なファイトが蘇ります。ふふふ。

クラッシック音楽が好きな夫は、「あなたの趣味って、何かにつけて、なんかヤンキーだね」と言います。小林旭さんが好きで、尊敬する日本人のひとりは田岡一雄氏(山口組三代目組長)では、確かに「その感じ」に、どこかで憧れているのかもしれません。真の任侠って「究極の友愛」だもんね。

(5)神様、勤務先は従業員に健康診断を受けさせ、その結果を管理すべし、というような法律が消えますように。大学から再三再四、「健康診断を受けてください。その結果を知らせてください。従業員の健康診断書提出は法的な義務です」と要請されてきまして、3月24日が今年度最後の健康診断書提出日でした。やはり、今年度も未提出です。

私は現在の日本の医療なんか信じていないのですよ!レントゲンなんか毎年撮りたくないのです!自分の身体のことで、とやかく干渉を受けたくないのです!法的義務としての健康診断なんてのは、役人と日本医師会の結託なのです!今の日本の医療界は、病気を作っているのです!防いでいるんじゃないのです!勤務先の集団健康診断なんて、「病気を作る」手段なのです!発見されなくても、どうということのない不調を病気としてでっちあげて、患者という客を増やそうという陰謀なのです!!

と、桃山学院大学の事務局の総務課の真ん中で叫んでもしかたありません。

事務職員の方々が執拗に健康診断を私に要請する事情も、よおおくわかります。立場上、しかたないです。その行為は正しい。前の勤務先の名古屋の女子大でも、要請がしつこかったのですが、私はテキトーにコソコソ逃げ回りました。しかし、とうとう追い詰められて、ついには1996年に桃山学院大学に逃亡するはめになったのでした。しかし、ここでも追及の手が・・・そろそろ、桃山学院大学からも逃亡しないといけないのでしょうか(涙)。

(6)神様、2009年度の桃山学院大学の卒業生でまだ就職が決まっていない懇意の学生さんたちの就職が決まりますように(顔も名前も知らない学生さんのことまで祈れませんわ。私は、そんな偽善者じゃない)。

ランド節の11/7/2009号で紹介した「お地蔵様の化身」の学生さんも、あちこち各種の公務員試験を受験しまくりましたが、最終面接の結果「3点」足りず不合格・・・とかの惜しいところで、みな不合格でありました。残念であります。

しかし、彼は、2010年度も、また公務員試験に挑戦するそうです。彼のご家族は、「公務員になるのは競争が激しいから、社会福祉とか介護ならば人手が足りないから、すぐに就職できるから、資格取ったら?」と、おっしゃるそうです。でも、彼は、「僕は、家族の介護ならやるしかないからするけれども、ヨソの人のケアなんかしたくない。面倒くさい。よほど儲かるならば我慢してするけれども・・・」と正直に言います。

彼は、私に質問しました。「センセイ、なんで介護とかのケア仕事は、風俗の女性より給料が安いのですか?」と。

私はテキトーにいい加減に答えました。「あ、風俗の女性の労働は、労働力の再生産に貢献するからね。男性が明日の労働への意欲を持つことに役に立つでしょう?介護は、摂理から見れば滅びるしかなくなった生き物が、死に向かうことを引き止める仕事だから、尊い仕事ではあっても、実利には結びつかない。だから金銭的にはあまり評価されんのよ」と。

彼は即座に言いました。「じゃあ、保母さんは?保母さんは子どもの世話してくれるでしょう?未来の労働力を生産しているでしょう?じゃあ、保母さんの給料は、なんで風俗の女性より給料安いんですか?」と。

知りませんがな、そんなこと。くそ、彼は、しっかり私のデタラメな返答を攻撃してきました。こいつ、しっかり成長しているじゃないか。きっと今度こそは合格するでしょう。

もう、どこでもいいから合格して〜〜!公務員になって〜〜〜!彼はKYではあるが、KYだからこそ、勤勉で清廉潔白な公務員になります。公僕として頑張ります!どこかの自治体、彼を採用してください!私の教え子だから大丈夫ですって!と、思う。お願いいたします!

(7)神様、既製服日本サイズ15を着用できるようになるまで体重を落とせますように。そこまでいったら、その体重と体型を死ぬまでキープできますように。60キロが目標でしたが、もうちょっとオマケして58キロは、いかかでしょうか?

最近、階段の昇降が苦にならなくなってきました。数年前は膝が痛かったのですよ〜〜階段、怖かったのですよ〜〜白内障で視力が弱っていて階段がよく見えないということもあったのですが。エレベーターやエスカレーター利用せずに、階段を使うなんて何年ぶりでしょうか〜〜この悦び。

先日の3月20日に、交換留学生のカナダ人のカップルに、チェコ人の男子学生にスロバキア人の男子学生さんふたりを伊勢神宮に案内したときも、かなり歩き回りましたが、脚が痛くなるということはありませんでした。数年前は、脚が痛くなって、サッサと歩くことができなかったのですよ〜〜

今は、ちゃんと下半身の筋肉を鍛える体操を励行しているのですよ〜〜眼を閉じて片足立ちして、3秒と持ちこたえられないのならば、下半身の筋肉が衰弱しています。1分間片足立ちすれば、30分以上歩いたのと同じ負荷を脚にかけることができるそうです。みなさん、フラミンゴになりましょう〜〜♪

デブでいると、何よりも不経済です。じょじょにデブになると、その過程でいちいち衣服を買い替えねばなりません。既製服を着ることができないので、オーダーせざるをえなかったりして、まったく冗談じゃありませんでした。似合いもしないのに買わざるをえないという状態は、非常に女性を鬱屈させます。

いつしか体重計に乗るのもいやになり、体重計を遠ざけ、鏡を直視せず、自己のデブ状を明晰に認識することから逃げまくり、よってさらにデブになり・・・の悪循環の20年。

だいたい、本代だけでも、すごくかかります。名古屋と大阪の二重生活ですから、交通費も部屋代もかかります。「カリカセラピ」だの、花粉症対策の「アレルエイドサプリみかんの奇跡」だの、「スピルナ」だの、時折の「スリムドカン」だの、栄養サプリメントも購入しなくてはなりません。お肌の手入れも必要です。白髪染めの美容院代もかかります。デブの進行に応じた衣服の買い替えなど、やっていられません!

なのに、デブでいて構わないような経済力はないのにも関わらず不経済にもデブだった、この20年。No More Debu!であります。そう毛筆で書いて掛け軸にして寝室にぶらさげておこうか。

3月14日の「第1回アイン・ランド読者会」の参加者のYさんという40代始めの男性の方は、私を見て開口一番「あ〜〜痩せましたね〜〜!」と、おっしゃいました。なぜならば、Yさんは、数年前に、副島隆彦氏の講演会のお手伝いしていたときの「デブ状フジモリ」を目撃なさっていたからです。いつまでもデブと思うなよ・・・って、これは岡田斗司夫氏の著書のタイトルのぱくり。

(8)神様、国民個人が主体的に安楽死を選ぶことができることが日本で合法になりますように。動物は、老いて自分で餌を取って食べることができなくなったら、死にます。人間だって動物です。自分で自分のことをケアできなくなったら、死ぬしかない。私は、若い人の時間とエネルギーを、老いて病んだ私のケアに浪費蕩尽(とうじん)してもらいたくありません。介護ロボットが実用化されてもいやですわ。

これ以上は、人としての生を生きるのが不可能と判断したら、私は明るく元気に死にたいです。美容院に行って綺麗になって、美しい衣装をまとい、好きなもの食べて、好きな音楽かけて(「六本木心中」だ!)、ありとあらゆるものに感謝して、みんなに感謝して、好きな場所で、翻訳だの著書だの、自分の仕事を周りに並べて、愛した人々のことを思い浮かべながら、大好きな白虎のぬいぐるみのピーターの首に抱きつきながら、死にたいです。

このピーターは、ぬいぐるみですが、全く可愛くないです。剥製(はくせい)みたいなのです。だから、超リアルで怖いです。迫力あります。だから、とってもセクシーです。全長120センチあります。でっかいです。いつも、自宅の私の寝室のベッドの上に座っています。

ピーターという名前は、ピョートル大帝の名前にちなんでいます。ピーター・キーティングじゃないですよ〜〜ピョートル大帝(1671-1725,在位1682-1725)は、ロシアの初代皇帝ですね〜〜ロシア中から農奴を何万人と動員して、ヨーロッパ中から才能ある建築家を招いて、湿地帯に壮麗なる都サンクト・ペテルブルクを建設させました。

このピョートルさん、皇帝のくせに、お忍びでヨーロッパ中を旅して、大工の技術を学んだり、建築家の訓練を受けたりしました。自分で図面なんか描いちゃいました。そうです、このピョートル大帝こそが、『水源』のハワード・ロークのモデルです〜〜♪

この白い虎のピーター(ピョートル)には双子の弟のロークがいまして、彼は、私の勤務先がある大阪は和泉市に借りているアパートメントの寝室にいつも鎮座しております。私が名古屋に帰っているときは、留守番をしながら、邪気の侵入を防いでくれています。

私は、ピーターとロークに守られて死にたいな。「素晴らしい人生だったな!」と深呼吸しながら、気持ちよく気持ちよく気持ちよく、深い眠りに落ちて行きたいな。そういう麻薬って、あるのでしょう?

もういい加減に、老人問題を、偽善と臆病さによって、ややこしくするのは、やめたほうがいいです。長々と無意味に無為に生き続けたい人間は、そうすればいい。私は、いやだね。本人の、当事者の、自由な選択による安楽死の合法化を!

(9)神様、イギリスの名門大学の修士課程に合格して、今夏ロンドンに旅立つ桃山学院大学の某卒業生が、専門を極めて、有用な人材となりますようにお守りください。

彼は、去年に桃山学院大学の法学部を卒業して以来、アルバイトに猛烈に励み、貯金しながら、留学のための勉強にも猛烈に励みました。アルバイトは、語学を生かした頭脳労働の類ではありますが、夜勤もあるようなハードなものでした。よく頑張った!

某国立大学の修士課程の試験にも合格したのですが、彼の学びたい分野では、日本の大学の大学院は水準が低いそうですから、これはイギリスの大学の大学院が不合格だった場合の保険受験でした。

専攻分野は国際政治学です。特に安全保障について勉強します。地政学とか戦略学とかも含まれるのでしょう。ですから、彼は、その種の専門家の講演とかオフ会などにも出かけているようです。

私は、実は大学時代に、将来の自分像として、「防衛庁の奥深くで世界中の情報を集めて分析して、それによって戦争に巻き込まれることから日本を守り続け、ある日疲れきって、その努力を誰にも認められないままに、しかし満足して人知れず死んでいく」というイメージを妄想して喜んでいたことがあります。

なんなんですかねえ?なんで、当時の私は、そんなこと妄想していたのか?さっぱり、わかりません。

ですから、今でもその類の本を読むのは好きです。理解できているとはとうてい言えませんが。最近、読んで面白かったものには、Richard J. SamuelsのSecuring Japan:Today’s Grand Strategy and the Future of East Asia(Cornel University Press,2007)の翻訳本の『日本防衛の大戦略---富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』(日本経済新聞出版社、2009)でした。翻訳文が素晴らしく読みやすく明快です。監訳者は白石隆氏で、訳は中西真雄美氏です。

監訳者の白石隆氏は、「あとがき」で、「翻訳は怖い。原書がどれほどすばらしいもlのであっても、翻訳の出来ひとつでまるで読むにたえない駄本になる」(297-98)と記しておられます。あ〜〜耳が痛いです。

だから、白石隆氏は、翻訳文には最善を期したそうですが、白井氏にそうさせたきっかけは、サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington:1927-2008)が若き日に発表した研究書の翻訳と原書テキストを読み比べたことだったそうです。

ハンチントンが若き日に出版した本って、The Soldier and The State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations(Harvard University Press<1957)だと思います。この本の翻訳は、ほんとにわけがわからなかった・・・

『日本防衛の大戦略---富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』は、いわば、安全保障という観点から整理された日本の近現代史でもあります。ですから、この方面に関心が薄い方も、大いに興味深く読み通すことができます。この本については、(Twitterで大大人気の)ジャーナリスト岩上安身氏や副島隆彦氏も言及しておられるので、ご存知の方も多いでしょう。

『日本防衛の大戦略---富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』は、おそらく、近いうちに、「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」会員限定版で、古村治彦(ふるむら・はるひこ)氏が書評なさるでしょうから、内容については、そちらでご確認ください。あの『メルト・ダウン』の訳者の古村ですね。この方のブログ「古村治彦の酔生夢死日記」も、とても面白いですよ。

卒業生の話に戻ります。彼が、まだ1年生のときに、私の研究室で、「将来は、防衛問題とか安全保障とかに関わりたい」と話したとき、私は、その志望を、珍しいとも意外とも感じませんでした。

「あ、それは、思想に関係なく、現実的に必要な問題だ。この問題は、いずれもっと切実になる。直視せざるをえなくなる。だけど、この分野は人材の養成がされていないみたいだから、軍人ではなく、civilianで考える人材がもっと必要だから、そっちに進むのはいいことだ〜〜」と、私はスッと納得しました。

彼に語学の才能があることは、授業で教えていて、すぐにわかりました。特に文献を読む力があります。サッと文意を把握します。3年生のときは、彼は、桃山の交換留学の制度を利用して1年間アメリカのGeorge Mason大学に留学して、履修した科目のすべてにAを取ってきました。4年生になって帰国した冬には、桃山の学生論文コンクールに、英語論文を提出し、優秀賞を獲得しました。

私は、少女時代に妄想したことを本気で実現させようと努力することもなく、ボケッと生きてきました。しかし、若き日の私が妄想したような仕事に従事したいという男の子が、目の前に出現しました。人生って面白いです。

御長男でなかったら、ご両親からお預かりして、養子にしちゃおうと、私が思ったかもしれないような資質に恵まれた、この卒業生の大成を、私は祈ってやみません!

Mさん、女の選択はいくらでも間違えていいからね、国家の進路に関与する情報の選択は間違えないでね。

(10)神様、名古屋は大須(おおす)の「台湾包子(たいわん・ぱおず)」のお店が倒産しませんように。あのお店をお守りください。

お隣の「とんむすおにぎり」のお店は、いつも繁盛しています。海苔のかわりに、おにぎりを豚肉で包んだだけで、1個270円もするのに繁盛しています。若い子たちが、そのお店の前に立って、思い思いの姿勢で、「とんむすおにぎり」に喰らいついています。

しかし、「台湾包子(ぱおず)」は、野菜包子も肉包子も、あんなにおいしくて具はたっぷりで1個160円という安さなのに、お客さんが群がっているということはありません。

私は、このお店のキャベツたっぷりの野菜包子が大好きです。直径6センチぐらいの大きさの包子です。大須に行ったときは、必ず買って立ち食いします。このお店に繁盛してもらいたいし、閉店してもらっては困るので、私は野菜包子を買うと、小さなベンチがあるにもかかわらず、わざと道の真ん中あたりに立って、道行く人々に見せびらかすように、食べます。「うめ〜〜」と声に出しながら、食べます。

すると、必ず数人の人が立ち止まって、野菜包子とか肉包子を注文します。私は、ヴォランティアの客引きであります。

だいたいですね〜〜お客さんが誰もいないレストランとかに、私が入ると、まもなくお客さんがドタドタと入ってくるのですよ〜〜たこ焼きの屋台でも、私が前に立つと、いつのまにかお客さんが私の後ろに並んでいます。いわば、私は「あげまん」客なのであります。手相でもそうなのです。感情線の先端が枝分かれしています。のわりには、「僕は出世してないね」と夫は言いますが・・・

私は、東京で言えば、浅草に秋葉原風味を加えたような街である大須をタラタラ歩くのが好きです。鯛焼き5つ650円を買ったり、骨董屋とも土産物店ともつかないお店で、龍の置物を眺めたりして楽しみます。私は龍が好きなのです。ドラゴンね。蛇年の生まれだけど。

ウインドウに飾られた翡翠(ひすい)の大きい勾玉(まがたま)なんか見つめていると、お店の年配の奥さんから「お客さん、どちらから?名古屋の人じゃないでしょう?」と訊かれて、「あ・・・大阪の和泉市です・・・」と、聴く人が聴けば、生粋の名古屋人以外のなにものでもない、明々白々な名古屋弁のアクセントで答えて、楽しんでいます。

大須は、私がガキの頃は、そこそこ賑わっていましたが、1970年代には、すっかり寂れて、場末風になりました。しかし、近年また賑わってきました。今では、お洒落な若い子向けのお店が軒を並べています。そこに様々な外国料理のお店が加わりました。路地にもお店がいっぱいです。ちょっとニューヨークのSOHOを思わせるような活気を帯びてきました。「気」が明るくなってきました。

トルコ料理のお店では、シシカカブのクレープ巻きとか、トルコ・ティーのフレイヴァーのソフト・アイスクリームとか売っています。ブラジル料理店とか食材店とかもあります。中国料理店はもちろんのこと、タイ料理店もベトナム料理店もあります。

韓国スターたちのグッズ販売店もあります(ただし、ここにカン・ジファンさんのものは置いていない。けしからん!)。韓国化粧品専門店もあります。そのお店は、水晶も販売していて、オーラ撮影機が設置されています。3000円以上買うと、オーラ写真を格安で撮影してくれるそうです。マンハッタンはチャイナ・タウンの風水店みたいです。

イタリアの古着店、フランスの古着店、アメリカの古着店もあります。和服の古着店もあります。各種古着店いっぱい。リサイクル・ショップいっぱい。

そういえば、たこ焼きを買って、熱きたてを頬ばっていたときに、「ワタシ、ウクライナから来た留学生です」と、唐突に大柄の白人の若い女の子から話かけられたことがあります。「へ〜〜何を勉強しているの?私、ロシアに行ったことあるよ〜〜」と応じた私に、彼女は微妙な微笑を返しました。

それから、その色白(当たり前か)の彼女はおもむろにブリキの箱を開けて、その中の安っぽいブローチとかマトリョーシカなどを見せました。「みなテヅクリです。おカネがいります。買っていただけませんか」と、はっきり率直に言いました。

小さいマトリョーシカが3000円です。どうでもいいようなブローチが2000円です。「高い!1000円にしなさいよ」と私が言うと、私の日本語がわからないような顔つきで、彼女は、私をじっと見つめました。この子、可愛いけれども、白人のわりには、顔が大きいなあ〜〜ウクライナとかスラブ系ってのは、アジアのDNA混じっているんだろうなあ〜〜などと私は思いながら、「こういうたくましい女の子はいいな」と思いました。

で、私は木製の手描きのブローチを2000円で買って、「勉強、頑張ってね〜〜バイバイ〜〜♪」と手を振って、その「ウクライナから来た女子留学生」から解放されたのであります。

鋭い子じゃ。「カモ」を見抜くことに長(た)けています。たこ焼き屋の前で、たこ焼き食っていた人は、私以外にもたくさんいました。しかし、彼女は、迷うことなく、まっすぐに私に話しかけてきました。私がブローチを購入したあとは、サッサとその場を離れて、他の客を見向きもせずに、風のように去っていきました。その消え方が、あまりに静かで鮮やかだったので、幽霊でも見たのかと思ったぐらいでした。でも、あのブローチは、私のフリースのジャケットに、ちゃんとついています。

しばらく行かないでいると、大須にあるおびただしい数のお店は入れ替わっています。そうなると、この街は、また違った貌(かお)を見せてくれます。

でも、いつまでも、あの「台湾包子(たいわん・ぱおず)」は変わらず、あそこにあって欲しい。店主の若い男性が、台湾を旅行したときに、そのおいしさに感動して、作り方を学んだそうです。可愛いらしくて清潔感のある元気な若い女性が、紙で包んだ包子を手渡してくれます。

ニューヨークはマンハッタンの空気が懐かしくなると、昔の古い名古屋の趣を残すアーケードの下、外国人が行きかい若者が闊歩する大須に、私は出かけます。栄町や広小路に行っても、マンハッタンを感じることは全くないのに、なんで大須には、似た風を感じるのかな。

さて、本日の「我が祈り」は、これぐらいにしておきましょう。欲の深い私には、神様におねだりしたいことが、まだまだ、いっぱいあります。駄目でもともとじゃ。いくらでも欲張って祈っておけばいいのだ。本気で祈るくらい、無料じゃ。ははは。