アキラのランド節

私の神社  [09/25/2010]


秋分の日あたりから気温が下がり、秋らしくなりました。猛暑が長く続きましたので、この爽やかさが、ほんとにありがたいです。いや・・・ほんとに、今年の夏はきつかった。

みなさま、下の写真をご覧ください。ここが、どこだかおわかりになりますか?天空の鳥居です。青空と鳥居。この神社は、山頂に位置して、本殿と鳥居があるだけです。実にシンプル。他には、なんもありません。ですから、階段の上にある本殿からは、晴れた日ならば、360度周囲の景色が見渡せます。絶景です。

これは、神奈川県は箱根の駒ケ岳(こまがたけ)の頂上にある箱根神社の元宮(もとつみや)の鳥居です。私は、この元宮を、「私の神社」と勝手に定めました。はい。

私の趣味のひとつは、神社参拝です。ちょっと昔、文学系の学会員だった頃は、自分が研究発表するとき以外は、学会の開催場所の大学がある街の近辺にある大きな神社を訪ねていたものでした。

東京ならば、鹿島神社。仙台ならば、塩釜神社。広島ならば、厳島(いつくしま)神社。福岡ならば、宗像(むなかた)大社。今でも、出張先が、由緒正しい古い神社が近郊にある街だったりすると、とても嬉しいです。米子なんかが出張先だと、出雲大社まで行けますがな。

今は、パワースポット・ブームとかで、清浄清涼なる伊勢神宮の内宮(ないくう)を、おしゃべりしながら騒いで歩いている参拝客が多いです。本殿前など、ラッシュアワーみたいに混雑しているときがあります。20年くらい前までは、どこの神社も静かだったのですが。

みなさま、ほんとに敬虔(けいけん)な気持ちで、静かに伊勢神宮に参拝したいのならば、もはや、早朝に行くしかありません。でないと、テーマパークと神社をゴッチャにしている人々に遭遇するはめになります。

遠足の幼稚園児じゃあるまいし、ギャアギャア騒ぎながらやって来て、10円玉チャリーンと投げて、パンパン手を合わせて、ナントカしてください〜〜と祈るなんて、はっきり言って、ほんと愚民だよなあ。だから、この期に及んでも、新聞やTVの報道を鵜呑みにするんだよなあ。だから、「もし、自分が神様だったら、こーいう頼み方が可愛いと思うか?こーいう姿勢が好もしいと思うか?何よりも、こんな有象無象(うぞうむぞう)の面倒見てくれている存在に、礼の一言でも私は言ったこと、あったっけ?」という疑問など、頭をかすめもしないのだろうなあ。

あ、また本当のことを言っちゃって、すみません。また学生さんから「上から目線でモノ言っている」と批判されます。だからといって、心優しい私は、幼い幼い無知無知した学生さんに、「あなたは、いつも目線が低くて、地面ばっかり見て、まるでミミズだね」とは、言い返さないのですのよ、ほほほ。

ところで、なんで神社が好きかと問われても、困ります。理由なんかありません。なんとなく好きです。行けば、なんとなく気持ちがよくなるから、好きです。気持ちがいい無料の場所なんて、めったにないです。

今までに参拝した数多い神社のなかでも、私が特に好きなのは箱根神社です。ともかく、私は箱根そのものが好きです。芦ノ湖が好きです。ですから、少なくとも数年に一度は、箱根を訪れます。ほんとは、住みたい。箱根女子短期大学とか、箱根女子高校とかない?雇ってくれないかな。

箱根ならば、天気が良ければ、富士山を拝むこともできます。名古屋から箱根に行くまでの道路からも、箱根から名古屋まで帰る道路からも、富士山が拝めます。ほんとに富士山は美しい。あんな美しい山を土足で登る人の気がしれません。冒涜的な。

あとでも書きますが、富士山の神様は、桜の神様でもある木花咲耶姫(このはなさくやひめ)でっせ。ゴミなんか捨てていいもんだろうか?トイレなんか作っていいもんだろうか?ツアー組んで、やいのやいのと無駄話しながら、ゾロゾロと登っていいもんだろうか?無神経〜〜♪

それはさておき、今年も、私は箱根に行きました。9月12日の午後に名古屋を出て、箱根に一泊し、13日は箱根を満喫(まんきつ)しました。何度乗っても、芦ノ湖クルーズは楽しい。西武グループ系伊豆箱根鉄道の地味な遊覧船もいいです。小田急電鉄系のド派手な海賊船もいいです。どちらも楽しいです。

前よりも、外国人観光客が、アジア系にしろ、欧米系にしろ、増えています。日本に来てくれて、ありがとう。うんとおカネ落としていってね。万引きはしないでね。

夏の喧騒(けんそう)が終わったばかりのリゾート地というのは、清々(すがすが)しさも、ひとしおです。箱根は、有名な観光地で、開発が行き届いているわりには、下司に俗化されていません。温泉地にありがちな俗悪さがありません。これも、あれも、箱根神社の御威徳(いとく)でしょうか。

私は何回も箱根神社に参拝に来ているのに、もともとの箱根神社である「元宮」(奥宮)には行ったことがありませんでした。20年前くらいに、ロープウェイで駒ケ岳山頂に上(のぼ)ったことはあるのに、なにゆえか、駒ヶ岳の山頂に鎮座(ちんざ)まします元宮にはお参りしませんでした。どうせ、望遠鏡いじくって下界の絶景を見て、喜んで、うろちょろしていたのだろう〜〜

しかし、やっと、元宮にご縁ができました。今回、参拝できたのは、元宮にきちんとお参りすることが許可される程度の水準に、よくやく私が達したからかもしれません。57歳にして、やっと・・・

神社でも、人間でも、映画でも、そうじゃないですか。自分の水準があまりにあまりに低いときは、どんな清浄な神社でも、どんなに立派な人格の方でも、どんな傑作に遭遇しても、その値打ちがわかりません。まさに、豚に真珠です。フジモリにハイヒールです。

この元宮の御祭神(ごさいしん)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と、神産巣日神(かみむすびのかみ)の造化三神(ぞうかさんしん)です。

要するに、『古事記』に出てくる天地創造の神様ですよ〜〜『日本書紀』では、国常立之尊(くにとこのたちのみこと)と、呼ばれています。地球の神様ですよ〜〜ガイヤの夜明けやね。意味わかりませんが。

神道の神々は、同じ神様でも、いろいろ名前があります。どんな働きをするかで、同じ神様でも名前が違ってきます。「大国主命」(おおくにぬしのみこと)なんか、全部で七つの名前があります。面倒くさいんで、ここでは全部書きません。ともかく、「大物主命」(おおものぬしのみこと)も、「大己貴命」(おおなむちのみこと)も、「大国主命」なんです!

パンフレットなんかには、箱根神社の元宮の御祭神も、箱根神社と同じく箱根の大神さま、つまり瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)だって、書いてありますが、間違いです!

そういえば、私の友人の同僚の女性は、霊能者から、「あなたには、コノハナサクヤヒメがついている。だから、すっごく運がいい」と告げられたそうです。私は、その話を聞いたときに、内心ギョッとして、その女性のお顔をまじまじと見つめてしまいました。

だって、このお姫様、富士山の御祭神ですから、大変に美しい女神様ですが、気性はメチャクチャ荒い。天孫降臨の、あの瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)さんと結婚したら、お姫様はすぐに妊娠した。そしたら、ご主人が、「変じゃない?早過ぎるんじゃない?ほんとに僕の子?」と言っちゃった。で、このお姫様は、頭に来て、「天孫の子どもならば、火の中でも生き残るはず」と言って、産屋(うぶや)を閉じて火を放ち、お子さん二人生んで、自分は火の中で絶命しました。なんちゅう果敢大胆豪胆極端。

そのとき生まれたお子さんのひとりが、彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)です。もうひとりは、どうした?名前忘れた。すみません。

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がついていると霊能者に言われた私の友人の同僚の女性は、某独立行政法人大学の准教授で、綺麗で聡明で人柄も良いのですが、実は、ほんとはメチャクチャ気性が激しいんじゃないかね・・・と、私は、ひそかに、恐れおののき期待したのでありました。何を期待したんだか。

ともあれ、元宮の神様は、箱根大神様ではありません。もっとスケールの大きい天地創造の神様です。うわお〜〜♪ 駒ケ岳の山頂の天空の鳥居をご覧になれば、みなさまも、このことに納得なさるでしょう。地球が宇宙に接するような、あの場所こそ、「私の神社」だわん。

この元宮のご神体は、駒ヶ岳の北に位置する神山(かみのやま)です。なだらかな美しい形をした山です。標高1438mの山で、箱根山の最高峰です。この山の北西遠くに富士山が、霊山(れいざん)としか言いようがないほどの神々しいシルエットでそびえております。あの長い長いなだらかな裾野(すその)が美しいのよね〜〜富士山樹海には、身元不明の腐乱死体やら白骨やらが、いっぱいあるそうではありますが。

南には、相模湾と駿河湾が見えます。霊山と、空と、海。もう〜〜「私の神社」のロケーションとしては言うことなし、です。今のところは。はい。

なんで、ここ駒ヶ岳山頂にお宮があるのかといえば、約2400年前、孝昭(こうしょう)天皇の時代に、聖占仙人(しょうぜんしょうにん)と呼ばれる人物が、神山の神様に感応して、神山の隣の駒ヶ岳のてっぺんに宮を開いたからだそうです。つまり、「ここには、とてつもない神様がおられる!」と、ビビッとvividに感じたのですね〜〜♪ 

本殿に向かい昇る階段の途中に、神が降りたったと言われる「ひもろぎ」である巨石もあります。本殿の裏にも、やたら巨石がゴロゴロしていた。あれは、いったい何なのか。何で、あんな山のてっぺんに、巨石がゴロゴロとあるのか。不思議といえば、不思議な場所でありますね、あの箱根駒ケ岳の山頂というのも。

ところで、箱根神社の元宮を開いた、この聖占仙人ってのは、どーいう方だったのでしょうね。仏教渡来前の日本に、古代日本に、日本中の山から山を、かたはしから踏破しながら、神々が作った山々を見定めながら、この世と天上界をつなぐパイプを求めて、神気が降り立つ場所=霊地を捜し求めた人々のひとりが、聖占さんだったのでしょうね。

そんな古代の大変人奇人様のおかげで、21世紀初頭に生きている私が、清々しい思いをさせていただいております。ありがとうございます、聖占仙人さま。

で、仏教が渡来して以降は、この元宮(奥宮)は、神仏習合して、修験(しゅげん)者たちが苦行する霊場になりました。じゃあ、昔は、ここに寺もあったのだろうか。どんな苦行をしたのだろうか。滝はないぞ。本殿の裏(というか北西方向の裏手)にゴロゴロある巨石でも、どこからか運んで来るのが、修行だったりして。まさか。

それから奈良時代、46代孝謙(こうけん)天皇の時代に、高僧の萬巻上人(まんがんしょうにん)が霊夢をうけて、天平宝字元年(757年)に山麓の芦ノ湖畔に社殿を造りました。それが、現在の箱根神社です。今では、こちらのほうが有名ですね〜〜

この萬巻上人さんは、生け贄(いけにえ=だいたいが美しい乙女)を求めて騒ぐ芦ノ湖の九つ頭がある龍を退治した英雄でもあります。ヤマタノオロチ退治とか、ベオーウルフとか、恐竜と人間がともに生きていた時代でもあったのでしょうかね。え?あったの?

芦ノ湖の九つ頭の龍が反省して、箱根の大神さまの眷属(けんぞく=神様のパシリ)になりまして、竜神となりました。ですから、竜神の九頭龍を、お祭りする神社もできました。それが芦ノ湖畔にある九頭龍(くずりゅう)神社であります。この神社の分社(新宮)も、今は箱根神社の中にあります。

時は経て、いつしか箱根駒ケ岳山頂の元宮(奥宮)は無視されちゃって、忘れ去られました。今でこそ、ロープウェイに乗って7分すれば、駒ヶ岳のてっぺんに行けますが、昔は標高1400メートルほどを、脚で登らなければなりませんでしたから、無理もありません。

その元宮(奥宮)を再建したのが、あのプリンス・ホテルとか西友とか西武鉄道とかの西武グループ(旧コクド、旧セゾン・グループ)の創業者の堤康次郎(つつみ・やすじろう:1889-1964)氏でした。

堤康次郎氏は、滋賀県の出身の実業家&政治家ですね〜〜自作農の家に生まれ、父を早くになくし、母は実家に帰りましたが、祖父母に非常に可愛がられて育ちました。祖母の死後、祖父とともに米相場に関わりましたが失敗しました。祖父の死後、祖先伝来の田畑を売り、上京し、早稲田大学に入学しました。しかし勉強はせず、アルバイトと株の研究をしました。株であてたこともあったようです。

若いうちから、三等郵便局を経営したり、鉄工所を経営したり、雑誌出版したり、真珠の養殖をしたり、「近江商人」的商才を駆使して、資産作りに励みました。が、思うようには芽が出ませんでした。

成功し始めたのは、1920年代から軽井沢や箱根の土地を別荘地として売り出すつもりで買いあさってからです。特に、資産が大きくなったのは、1923年9月1日の関東大震災の後でした。なんとなれば、東京を襲った大地震で、一家全滅した家の焼け跡に、「堤康次郎所有地」と書いた棒杭(ぼうぐい)を立てまくり、かたはしから自分の土地にしたから、だそうです。

遺族から文句が出た場合は、弁護士を使って、所有権を証明する物的証拠を示せ〜〜と言い募り、全部自分のものにしたそうです。事実ならば、すごいですねえ・・・

震災で燃えてしまった旧皇族や華族の大邸宅の跡地も買いまくり、分譲して儲けたりもしました。さすがの華族も、震災で邸宅が焼けてしまって、現金が足りなかったのでしょうか。天変地異後の混乱ドサクサこそ、チャンス!のようですね、みなさま。

ところで、みなさま、西武系の経営の有名ホテルが、なんで「プリンス・ホテル」っていう名称だか、ご存知ですよね?

堤氏は、太平洋戦争敗戦後に、皇籍剥奪(こうせきはくだつ)された旧宮家の邸宅や離宮の土地が国家財産になったときに、その土地を国から買い取りました。そこに建設されたホテルだから、「プリンス」なのですよ。「このホテルは、旧宮家のお屋敷跡ですよ〜〜」と、「品川プリンス・ホテル」や「高輪プリンス・ホテル」や「軽井沢プリンス・ホテル」は、主張しているのです。

それもこれも、関東大震災後に華族の邸宅焼け跡地を購入して、それを分けて、高く売ったときの成功体験が忘れられなかったからでしたし、日本における皇室ブランドの威力を、堤康次郎氏は、よ〜〜く知っていたのでした。

とにかく、堤康次郎氏は、戦前には、すでにして、ひとかどの資産を築き上げていました。衆議院議員に立候補して当選したのが大正13年(1924年)です。それ以後は当選続きで、戦後の昭和28年(1953年)には、衆議院議長やっています。

ちなみに、大屋政子さんのご主人の大屋晋三氏の、下半身系問題のハチャメチャぶりを、2010年の4月18日号の「ランド節」で紹介したことがありますが、この堤康次郎という人物も、そっちに関しては、大屋晋三氏以上に、いや比較にならないほどにメチャクチャです。

最初の奥さんふたりは資産家のお嬢さんで、事業資金欲しさカネ目当ての結婚だったとか、4回結婚して、嫡子(ちゃくし)は12人だけれども、実際の子ども数は100人はいたとか、妻妾(さいしょう)同居していたとか、名家の美人4人姉妹を全部食ったとか、老いてもなお、女中さんや、美人女子社員はすぐに「お手つき」にしたとか、ついでに息子の嫁さんも襲ったとか、部下の奥さんや娘さんや、買収した会社の娘さんも襲ったとか、華族のお姫様も食ったとか、これらの噂が、すべて事実ならば、その肉食男子ぶりは、常軌を逸しています。はっきり言って、ビョーキです。

母親が違うから、次男の堤清二氏(1927-:詩人&小説家の辻井喬氏のこと)と、三男の堤義明氏(1934-)は、仲が悪いとか、かつては、いろいろ取りざたされました。長男さんは、廃嫡したとかで関係ないのです。ややこしいご家庭ですね。

西武グループを後継したのは、結局は、三男の堤義明氏だったことでも、いろいろマスコミさんに書かれましたね〜〜堤義明氏は、1980年代に、世界で一番の資産家として米国の経済誌Forbesに紹介されました。その後、義明氏は、インサイダー取引の容疑で逮捕されて、経営の一線から身を引きましたが、一時は、ほんと「飛ぶ鳥落とす勢い」の実業家でした。

この堤義明氏の逮捕は、日本民族系資本を駆逐したい外資の仕組んだこととかいう噂もありました。というか、私が、勝手に思っただけなのですが。多分、そうなんじゃないのかな。

そういえば、堤義明氏が絶好調だった頃に、義明氏のご子息が、今は黒田清子(くろだ・さやこ)さんとなられた、かつての紀宮(のりのみや)様のお婿さん候補として、取りざたされました。しかし、これは、ありえない話でした。堤康次郎氏のハチャメチャ下半身系スキャンダルは、あまりに有名だったからなあ。内親王の降家先としては、企業家は、政治家と同じくらい無理だけど、堤家は特に無理無理。

ともかく、堤康次郎氏は、こういう人物だったのですが、モットーは「感謝と奉仕」だったそうです・・・・人間というのは・・・深いですねえ・・・

堤康次郎氏は、ほんとうに、神仏への帰依は深かったのです。箱根神社には、いつもすごく寄進していたそうです。「東京で成功したいのならば、必ず箱根神社に参拝に行きなさい」と、東京進出をめざすビジネスマンに言っていたそうです。ご自分の事業の成功は、箱根の大神様の御加護があるからだと感謝していたようです。

だから、堤康次郎氏は、忘れ去られていた駒ケ岳頂上の箱根神社元宮の再建を思い立ったのでした。本殿が完成したのは、昭和39年(1964年)でした。資材とか運ぶのは大変だったろうな。箱根駒ケ岳ロープウェイが開通したのは、1963年だから、資材は、人間が運んだわけではないとはいえ。堤氏は、1964年の4月に急死しておられますので、ご自分が再建した元宮を、ちゃんと見たのかどうかは、わかりません。

ついでに、堤氏は、九頭龍神社の鳥居も寄進しました。その赤い鳥居は、今でも、芦ノ湖に立っております。水中から、すっきりと美しく立ち上がっています。げに、西武グループの繁栄と隆盛は、この箱根神社や九頭龍神社の御加護のおかげなのでしょう。

ともかく、私は堤康二郎氏に感謝します。箱根神社に寄進し続けているであろう(多分)西武グループに感謝します。おかげさまで、私は、「私の神社」と思えるような素晴らしい空間にめぐり会うことができました。これから宿泊するホテルは、なるたけ西武系にしよう。「品川プリンスホテル」のイースト・タワーなんか、楽天トラベルで、シングル1泊4000円のときもあるらしいぞ。

私は、霧で先が見えない駒ケ岳の山頂に立って、山のてっぺんにある、吹きさらして傷んだ本殿に向かって、階段を昇って行きました。本殿を、守っていらっしゃるのは、ひとりの長身の中年の神主さんでした。まだ40代くらいだと思いますが、年齢不詳気味の方でした。若いんだか、年配なんだか、よくわからない不思議系でした。

御祈祷していただけるかと、私が尋ねましたら、「ゴキトウ?いいですよ〜〜♪もーちろん、しますよ〜〜♪さ、さ、さ、上がって、上がって。そんなところで立ち話もなんだから、さ、さ、上がって、上がって。こっちで、申し込み用紙に記入してちょーだい」と、その神主さんは、手招きしてくださいました。えらく気さくな神主さんです。

長い丁寧な気合のはいった祝詞(のりと)をあげていただいて、引き上げるときに、神主さんが、またお話を始めました。

「あのね〜〜今度来るときはね、インターネットで道路情報を確認して来たほうがいいよ。メチャクチャ混雑するときがあるし、雨で道が通れないことも、よくあるからね〜〜yahooで検索すると、いいからね〜〜箱根テーマパークっていうサイトも検索してね〜〜そこでも道路情報見ることできるからね〜〜これから帰るの?名古屋に?じゃあ、東名へは沼津市内を通らずに、塚原というところで曲がって、新しくできた伊豆縦貫道を行くといいですよ〜〜御殿場インターの工事で、このところ沼津市内が混むからね〜〜」と、神主さんは、新しくできたばかりの近道を、丁寧に教えてくださいました。

なんか、あの神主さん、神主さんというより、その軽やかなノリが、妖精じみておられた。中年の妖精だって、いるのではないかな。天空の鳥居の神社の妖精。

本殿から外に出ましたら、霧に包まれていた駒ヶ岳の山頂が、いつのまにか晴れ渡っておりました。それで感激して、嬉しくて、携帯電話で撮影したのが、さきの「天空の鳥居」です。

雲の中に隠れていた富士山も夏の青い姿を遠くに見せてくれました。富士山は、年がら年中、雪を山頂にいただいているわけではない。私は、さらに40分ほど、そこにとどまり、「ここは私の神社!」と、思い定めました。

「ここは、あたいのもんだ〜〜い!」のつもりではいても、犬ではないので、鳥居にオシッコをかけは、しませんでした。そのかわりに、そこの空気や木々や巨石に、私の思いを、いっぱい、いっぱい、いっぱい、かけてきました。

私が死んだら、私の魂は、まずはひとまず、ロシアの、あの美しい古都、アイン・ランドの故郷のサンクトペテルブルグに飛んで行くのかなあ〜〜と思っていましたが、今は、きっと、あの箱根駒ケ岳の山頂の天空の鳥居の下に飛んでいくに違いない。

あ、箱根に行くご予定の方がおられましたら、私が箱根に行くときに、いつも泊まるホテルをご紹介しますよ〜〜西武系では全くない、リーズナブルな価格の、どこまでもふつーの、温泉つき庶民派お気楽ホテルをご紹介しますよ〜〜ここは、当日でも予約できるもんね。

ただし、インターネットは、ロビーでしか使えないです。ロビーでのみ無線ラン使用できます。ユースホステルか、ここは?と突っ込みいれたくなるようなホテルですが、あたいは好きだ!

私は、今回の「天空の鳥居見つけた〜〜私の神社発見!の旅」で、生まれて初めて、しみじみ思いました。日本の自然は美しい。私は、いい国に生まれ、育ったんだな。