アキラのランド節

2011年3月11日以後  [05/05/2011]


3月11日以降、私の身体も脳も心も麻痺して、ただでさえ、もともと稼働率が悪いのに、もっとクルクルパーになった。心理的には、20歳くらいも老けてしまった感じ。今の私は78歳。18歳じゃないわん。

重苦しい劇的な3月が過ぎ、4月も過ぎ、もう5月の連休も終わった。そろそろ、リハビリを本格的に始めないと、貴重にも、こうして生きている時間を無駄にするばかりだ。今回のランド節は、リハビリの一環であります。すみません。

東日本では余震が続いている。東電原発事故(福島原発事故とは言わないの)、の収束は、まだまだ先だ。20年先、30年先らしい。使用済み核燃料の「安全な捨て場」なんか地球上にはないのだから、永遠に収束しないのだよ、ほんとうは。

ネット界では、あちこちに、「予言サイト」みたいなものがある。5月にまた大きな地震&津波があるとか、いや9月に大きな地震&津波があるとか、夏には廃墟の残骸がもたらす蚊とか虫の大量発生があるとか、秋には失業がもっと増えるだろうとか、いろいろ予言している。

要するに、今回の災害は長い!まだ終わっていない。長い長い革命ならぬ、長い長い災害。いや原発事故は人災。解決しない長い長い人災と共に生きていく日本人。

原子力発電所というのは、ハチャメチャに高温の燃料棒を冷却させるための水が必要だから、必ず海辺か川辺に建設される。海辺は津波が来る。川は、断層の上にできるから地震が起きやすい。原子力発電所というのは、事故にあいやすい場所にしか建設できない。なんたる、不条理&滅茶苦茶。

原発でないと、膨大な需要のある電力を供給できないって?嘘を言ってんじゃないよ。石油でも石炭でも天然ガスでも、なんとかできるんだよ。二酸化炭素排出規制?そんなもん、国際的原子力発電利権集団の「でっちあげ」だろう〜〜なんで、天然ガスの利用をもっとしないの〜

天然ガスは、ロシアや、インドネシアを代表とする東南アジアや、アフリカも産出する。現地で、天然ガスをマイナス162度まで冷却して液化して、タンクに詰めて運ぶというプロセスの技術を一番高度に保持しているのは日本だそうだ。韓国や台湾も、日本の技術を借りて、天然ガス輸入して利用しているそうだ。天然ガス利用設備は、カネがかかるのでカネ持っている先進国しかできないそうだ。インドや中国では、躍進甚だしくても、まだちょっと無理だそうだ。

でもって、マイナス162度まで冷えた液化ガスを持って来て、地下に掘ったタンクに詰めると、冷たいガスの液化したものが地中を冷やして、そこらあたりは凍土になるんだ。凍土は地震に強い!だから、地震国日本を守ることになる。

ついでに天然ガス発電機はタービンだから造りが単純で故障しても修理が簡単。原子炉みたいに、いろんな配線がゴチャゴチャで、いったん事故ると往生する・・・ってことがない。原発は東京に建設できない。でも、天然ガス発電所は、渋谷のど真ん中でも置ける。熱も電力も生み出すし、ぶっ壊れても、半減期が何十万年なんて、ろくでもない毒性の放射性物質なんか出さない。強烈毒物がいっぱいの使用済み燃料棒の置き場を求めて世界中をさまようなんて必要もない。

天然ガスは、地方の自給自足にも貢献する。それぞれの街が天然ガス発電所を持てば、それぞれの街が自前の発電所を所有することになり、大規模災害の時でも、どこかこけたら、どこかが助けるという相互扶助ができる。原発で大量の電力を広範囲の地域に供給なんて状態は、つまり「一極化」というのは、何につけても、危険極まりない。

ともかく、どこから見ても原子力発電より、天然ガス発電のほうが優れている。天然ガス利用は、もっと積極的に推進されるべきだ!この「天然ガスをもっと!」説は、福山市立大学の同僚の元北海道大学教授で専門が地球物理学の福田正巳教授の説であります。私は、同僚を信頼して、この説を支持することにした。

じゃあ、なんで天然ガス発電が促進されないのか?ロシアや東南アジアと日本が仲良くすると、気にくわないし、儲からない連中がいるらしい。そいつらの傀儡やパシリが、わんさか官界や政治界や財界やマスコミの中にいるらしい。でもって、例の二酸化炭素悪玉説をでっちあげて、二酸化炭素排出規制なんかで、天然ガス締め出しを画策してきたらしい。「らしい」と言うのは、私の想像だから。

代替エネルギーの開発されるまで、天然ガスで行くのが理なのに、この方面の技術は日本が一番進んでいるのに、あと60年間ぐらいは天然ガスの産出は大丈夫なのに。なのに、二酸化炭素を出さないこと以外は、なんもいいところなどないのに、原子力発電所は、地震国の日本中に50以上も建設されてきた。日本の電気供給の15%しか占めていない(30%なんて嘘だよ〜〜)くせに、えらそ〜な顔して。

こんな道理がひっこむ無理も、原子力発電所建設は巨額に儲かるから、通ってきた。電力会社はもちろんのこと、原子炉や格納器や建屋とかの製作を担当する会社も儲かる。GE(ジェネラル・エレクトリック社)に代表される国際原子力産業も、国内の日立も東芝も、その子会社も、下請け会社も儲かる。

それらの大企業や、それらの大企業からなる財界が、自分とこの業界を守る法律作らせようと献金するんで、政治家も儲かる。そーいう巨大プロジェクトを監視管轄する官僚も、儲かる。天下りなんかさせてもらって定年後も安泰。東大とかの原子力学者も、いっぱい寄付してもらえるから儲かる。原発は、一般庶民以外は、みんな儲かる。

原子力発電所が建てられる場所なんか過疎地なんだから、産業も何もないのだから、かえって現地にとっては恩恵だろう〜〜雇用も増えるし〜〜だいたい、目先の利く人間ならば、いつまでも、そんな過疎地にいないんだよ〜〜ましてや原子力発電所が安全なんていう説明を本気にするような無知蒙昧な連中は、しかたないんだよ・・・どっちみち、電力会社に騙されなくても、他の誰かに騙されるさ・・・とか、電力会社の幹部は、思っていたに違いない。もしくは、なんも考えていなかったか。

少なくとも、俺が現役のうちは、原発事故なんか起きんよ・・・起きたら、どうしようもないからな・・・そんな災難は俺の身には起こらないさ・・・強運だからこそ、会長になれたからな、社長になれたからな・・・だから、大丈夫だ・・・まあ、いずれ原発は問題を起こすけども・・・にっちもさっちもならない問題を・・・でも、そのときはこっちは安全地帯にいるし・・・とか電力会社の幹部は思っていたに違いない。

ところが、予想どおりに(想定外じゃないわい!)津波と地震にあい、東電の原子力発電所はぶっ壊れた。その後、もっとぶっ壊れた。その過程で、私たちは、いろいろ目にすることになった。被害の事実を国民に知らせない政府と東電という企業に、それに加担する御用学者たちに、それを告発しないマスコミ。

日本広告機構(AC)とかは、毎日毎日「立ち上がれ日本」とか、「日本の力を信じてる」とか、しょうもない芸能人に言い募らせる。なんだ、これ??こんなしょうもないCMは、何のために?むかつくばかりだ。

そんな日本の指導者たちの姿は、私にとっては、ほんとうは驚くような新しい風景ではなかったはずだった。十分に承知していたはずだった。そんな程度のもんであることは、知っていたはずだった。しかし、実際に、そのあさましい姿を目の当たりにして、私は、やはり、あらためて、ひどく驚いた。

あ〜〜ほんとに無責任・・・嘘ばっかり・・・保身ばっかり・・・卑劣〜〜当然起こるはずの事故への対処なんか考えてもいなかったんだ・・・ややこしいことは、みな下請けの人々にさせて、責任者はブルーの作業服みたいなもの着て格好つけるだけ・・・被災者への責任や補償をしないためには、どんなデタラメも言い張るんだ・・・これが、大会社の幹部か、エリートか、これが政権担当者か・・・

私は、びっくりした自分自身のナイーヴさに、びっくりした。

今回の「人災」こそは、忘れっぽい淡白な日本人が、忘れちゃいけないことは絶対にしつこく忘れないようになるための、粘り強くなるための天啓かもしれない。そう思うしかない。こういう事態を招いたのは、やはり日本人の水準の低さには違いないもんんな。

そういえば、放射性物質の拡散を恐れて多くの外国人が日本から逃げたので、犯罪発生率が減ったという話も聞いた。日本に敬意を払う気もなく、ただただカモにしたい類の外国人は、さっさと出てけ。

アメリカの某予言者は、日本の国土の半分が消滅し、2000万人以上が亡くなるとか言っているそうだが、自分の人生が不如意だからといって、自分の悪意や邪気の反映を、一丁前に予言なんて、呼んでんじゃないよ。幸福な人間は、よそさまの国の大災厄を幻視したとか言って、眉をひそめて心配する真似なんかしている暇はないよ。

私は、3月はじめのランド節で、「大運天中殺抜けた〜〜」と喜んで書いた。人生のやり直しだ〜〜と、一生に2回も3回も経験しないであろう類の大整理大処分をして、セッセと片端から捨てまくっていた。新しい人生に向かって。読んだ本も、買ったまま読まなかった本も、手当たり次第に、古書店経営の友人に押しつけた。ひどいね。ごめんね。

引っ越し作業というものは、自宅だろうが、研究室だろうが、暖房を効かせてやるようなものではない。体が心底から冷えつつあるのを感じながら、雑巾かけたり、段ボール箱に本や物を詰めたり。

捨てられるおびただしい物の霊たちは、「なんで、私を、もっときちんと使ってくれなかったの!心をこめて私を作ってくれた人たちの気持ちと労力への敬意はないの!」と、声を立てずに、私を責め立てた。わかっとるわい!!うるさいわ!!

私自身が、自分の愚かさ&だらしなさに、自分を責め立てていた。だから、引っ越しの日までに、すでにして、200%私は、くたびれきっていた。そこに、あのショックだ。

大阪府和泉市から広島県福山市へと、(仕事用)住居の引っ越しを敢行したのが、奇しくも、あの3月11日の金曜日だった。風の冷たい日だった。

東日本大震災のニュースには、仰天はしても、「大丈夫、大丈夫、日本はへこたれないから」と、私は、あくまでも楽観的だった。しかし、その後の東電原発事故のニュースには、へこんだ。東電原発事故関連情報を求めて、TVやPCに釘づけになった

心が収縮した。怖くて不安で、眠ることができなくなった。広島県福山市という、縁もゆかりもない土地にひとりでいることが、寂しく感じられた。「ひとりでいても寂しくない人間」になれたなあ〜〜と喜んでランド節に書いたのは、つい去年の早春だったのに。

原子力とか核とか放射性物質についての知識など全くない私は、アホなことを想像した。原子力発電所の事故というと、最悪の場合は、原子炉が全部連鎖反応的に爆発して、日本が水爆数個ほど落とされたのと同じ状態になるのだと、勘違いした。巨大なるキノコ雲が、日本国土の空の上に、禍々しく黒々と大きく、いくつか立ち昇るのだと勘違いした。ぎゃああ〜〜

「爆心地」に近い人々は「被爆」し、離れた地域の人間は「被曝」し、黒い雨が何日も何日も何日も振り続き、みんな血へどを吐きながら死んでいくんだ・・・うわあ〜〜

首都圏まで危ないぞ、いや静岡まで危ないかもしれん、いや名古屋も危ないな・・・でも、首都圏が崩壊したら日本自体どうなる?西日本の中国地方にいる私は放射性物質による汚染はまぬがれても、社会的政治的混乱からは逃げられない・・・とか、混乱したまま、いろいろ無意味な心配して、消耗した。

自分が死ぬかもしれないこと、愛する人々が死ぬかもしれないこと、自分が依って立つ国の消滅を、リアルに想像しようと思うと、1980年代の傑作アニメの『AKIRA』の廃墟シーンくらいしか想像できなかった。アホか。自分の低脳にあきれた。

(無知から来る無駄な)心労とストレスと疲労で、顔がアトピー状態になった。目の周りから頬から皮膚が真っ赤に腫れあがり、お猿さんになった。ゴリラよりは、可愛いけれども。洗顔すると、ヒリヒリと痛い状態になった。あんなひどいアトピー状態になったのも、生まれて初めてだった。

そのことをTwitterで愚痴ったら、「アイン・ランド読者会」のメンバーのS.T.さんという女性の方が、ご親切に、「トルマリンのジェル」というものを送ってくださった。「これから新しい職場に臨むのに、真っ赤に腫れた顔では、かわいそう・・・」と、おっしゃってくださって。引っ越し疲れと、震災・原発事故ショックと、花粉症とアトピーで、へとへとになっていた私の心に、その方の御親切は、とても沁みた。ありがとうございました。

早速、それを皮膚に塗ったら、腫れや荒れが、見事におさまった。すごいですよ、このジェル。奇跡みたい。S.Tさん、ありがとうございました。

みなさま、アトピーとか肌荒れに悩む方々や、化粧は最低限のことしかできないという類の敏感肌の持ち主の方々は、お試しください。ご興味ある方は、ここをクリックしてください。

ところで、私は何をダラダラ書いているんかね?すみません。何しろ、3月11日以後、クルクルパーだから。

あの日以来、被災者ではないけれども、人生が変わってしまった、いや正確に言えば、人生観が変わってしまったという人は、多いのだろう。

私の場合は、そんな高尚なもんじゃない。冒頭に書いたように、身も心も脳も、クルクルパーになっただけだ。

まず、行動がクルクルパーになった。日常の細々とした作業を、サッサとできなくなった。のろくなった。

かつては、台所のシンクに洗いものがたまると、イラっとして、早く洗っちまえと思い、ジャブジャブ、バシャバシャ洗うのが常だったのに。今は、努めてゆっくりと静かに洗う。丁寧に洗う。

ひとつひとつの動作を丁寧にするようになったのは、手を使い、水を使い、シンクを掃除してという、なんのことはない動作をなめらかにできることに、「生きている」感じが持てるから。永遠に洗いものができるわけではない。いつかは、このような動作をなめらかにできなくなる日が来る。洗いたくても、洗えなくなる日が来る。

死を意識すると、こうなるのか。

次に、本の読み方がクルクルパーになった。

3月11日以後の不安と恐怖で落ち着かない日々の中で、「こういうときだからこそ読みたい!」という本が、私は本箱から見つけることができなかった。アイン・ランドでさえ、どうでもよかった。

震災のすさまじさと、東電原発事故による高濃度の放射性物質の飛散拡散による海洋汚染に、地下水汚染に、土壌汚染に、食物汚染が生む動物の連鎖による放射性物質濃縮(汚染された海のプランクトンを魚が食って、その魚を鳥が食って、その鳥を動物が食って、その動物の肉を人間が食って・・・という連鎖に比例して、それぞれの生き物の中で放射性物質が、どんどん濃縮されて残存し、さらに伝わるということ)に、外部被曝に体内被曝。それによる何年後かの癌や難病の発症の可能性の高さ。

こんなもん、戦後最大の国難どころか、日本史始まって以来の危機だろう〜〜いや人類最大の危機かも・・・戦争よりタチが悪いわ、戦争は降伏すれば終わるからな・・・と考えていると、「今このときに読んで意味があるのは、このような未曾有の危機に匹敵する危機を経験し乗り越えた記録だけだ!」と、思った。

言うまでもなく、そんな本が私の蔵書にあるはずない。今回のような「未曾有の危機」に匹敵する危機がなかったから、今回は「未曾有の危機」なんだから。

だから、本を読まない日々が3週間以上続いた。ぶすっと考え込んでばかりいた。でも、何も考えていなかった。

ほどなく、新しい職場である福山市立大学での仕事が始まったが、バスで通勤するつもりだった片道2キロの道を歩いて通うことにした。黙々と、ひたすら歩きながら、いろいろ考えていた。いや何も考えていなかった。

今でも、私は往復4キロの道を、歩いている。いろいろ考えているような、でも何も考えていな徒歩通勤を続けている。

とか何とかしているうちに、3月11日以後は全く本が読めなかったのに、3週間以上が経過して、また本を読めるようになった。ただし、速度が遅い!なんでか?

前に比較したら、はるかに筆者の気持ちを想像するように読むようになってしまったから。流し読みが、できなくなってしまったから。文章を丁寧に読むようになってしまったから。記述されていることに、ほんとに自分が納得しているのかどうか気になるようになったから。理解できなくても、サッサと読み進めることができなくなったから。

すると、当たり前のことだが、前よりも、いろいろなことに気がつく。校正ミスや、文章の推敲の足りないところとか、記述の荒いところとか、口述筆記で編集者が書いたらしいような文章とか、論理的に繋がりがおかしい部分とか、かなり気になるようになった。

そうなると、本の選別には慎重にならざるをえない。だから、本を注文する前に、ちょっと考えるようになってきた。前のように、ちらりとでも興味が向いたら、見境なくアマゾンに注文して、届いても、積読(つんどく)に任せて読まないままに放置しておく、というようなことがなくなった。手当たり次第の乱読というダイナミックなことはしなくなった。

もう論文なんか書けないのかもしれないなあ。

次に、人間関係においても、クルクルパーになった。

表面だけ見れば、私は温厚になった。同僚とか学生にも、非常に穏やかにものを言うようになっている。自分でもびっくりしているが、ものの言い方が優しげになっている。

ポンポンガンガンズケズケ物を言うのが常であった私が。なんでだろう?

前の職場の桃山学院大学では、秩序ある教室を維持するために,私語の多い学生を怒鳴り散らして黙らせるということをやっていたのに。高飛車な物言いもしていたのに。

新しい勤務先である福山市立大学の学生さんたちが、まことに「手間のかからない人たち」であることは事実だ。それは、もうむきだしの事実だ。同世代の同じ日本人でも、こうも違うのか・・・国立大学の先生なんて、教師としの仕事は、ほんとにラクなんだろうな・・・・

数学や理科系科目も含めたセンター試験を通過して公立大学に入学する人たちと、国語と英語のみの試験や、もしくは1科目のみで、文系中堅私立大学に入学する人たちとでは、違う。露骨に違う。割合から言って、福山市立大学の学生さんたちの方が、はるかに自己制御&自律の習慣を持っている。

はっきり言って、大学1年生当時の私よりも、はるかに彼らや彼女たちは優秀だ。もっと、はっきり言うと、アホな私には、よくわからんわ、あの勤勉さ&真面目さ。

では、学生さんを叱る必要がなくなったから、私の物言いが穏やかになったのだろうか?いいえ違う。

どうも、今回の震災と東電原発事故をきっかけとして、独りでぼんやりと考え込んでいるうちに、私の心の奥のどこか一部が、麻痺して壊疽(えそ)を起こして、死んだようなのだ。

私は、死んだ人間が生きている人たちを眺めるような心境で、他人を眺めているのだ。その眺め方は、もはや手の届かない遠い遠いものを、哀惜をもって見つめているような質のもののようだ。無関心に限りなく近いけれども、愛おしさみたいな感情もあるという感じ。人と自分の間に、透明だけれども、通り抜けることができない紗がかかっている感じ。

未曾有の危機を、被災はしなかったけれども、体験したことによって、私の心が、誰に対しても柔軟に開くようになったとか、愛に似たような情感を抱くようになったとか、そういうことでは断じてない。

やはり、心の中の一部が麻痺して、壊れて、死んだのだと思う。

たとえば、3月11日以後の私は、Twitterでフォローしてくださる方がいると、フォロワーのプロフィールや、つぶやきの内容などチェックせずに、機械的に、シャカシャカと、フォロー返しするようになった。

前はプロフィールを読んで、「ビジネスの宣伝目的ならば、フォローしなくていいや・・・」とか、「この人は、なんかうさんくさい・・・」とか、フォロー返しするかどうか選んでいたのに。自分が直接に知っている方しか、フォローしない方が安全なのだが。フォローされたからといって、いちいち全部フォローしなくちゃいけないルールなどないのだが。全部フォロー返ししていたら、もう誰が誰だかわからない状態になってしまうのだが。

この変化は、「Twitter空間で、すれちがったのも御縁だから、その御縁を大事にしよう・・・」という、積極的な姿勢から来ているのではない。

「死んでしまった、こんな私の、しょうもないつぶやきに関心を持ってくれたのね、ありがたいわん・・・私も寂しいから・・・」でしかない。あくまでも、消極的な受け身な姿勢でしかない。

その証拠に、フォロワーさんの反応で、「うざいなあ・・・」と思うと、どんどんブロックするようにもなった。うざさや、面倒くささを耐えてまで、人と関わる気はないから。

この人間関係への消極性は、Twitterだけには限らない。3月11日以降、それまでけっこう親しかった人たちへの連絡を怠り、そのまんま人間関係が途絶えてしまっても構わんよ、もう・・・と思う状態になっている。

体温が低くなった感じ。血が薄くなった感じ。細胞分裂しない感じ。点火していない感じ。要するに、これは軽度のPTSD(外傷後ストレス障害:posttraumatic stress disorder)なんだろう。

被災者でもない私でも、住み慣れた我が家を追われた原発事故避難者でもない私でも、現地に行って震災の被害を直接に見たわけでもない私でも、生々しく死を意識して、心のどこかがぶっ壊れてしまうのに、実際に被災したり、原発事故のために家を追われた避難民となった方々の絶望、怒り、疲労は、いかばかりか。なんて、決まり文句を言っても、しかたない。

こういうときのために、カネは必要だ、ということも、よくわかった。国や行政の発する情報なんか鵜呑みにできない。自分で情報集めて、やばいなと思ったら、逃げて、別の場所で生活を再構築をするにはカネがいる。カネがないと、行政や国の不手際と無能と情報隠しと無責任の餌食になる。

いくら愛する故郷でも、いくら馴染んだ人々でも、自分を守る情報やカネを自分が獲得することに役立たないのならば、捨てるしかないのだ。

3月11日以後、私がクルクルパーになったのは事実だが、私が生きたい人生において、何が必要で、何が必要でないかも、はっきりした。何を信じてはいけないかも、はっきりした。信じてもいいことは何かもはっきりした。誰と一緒にいたいかも、はっきりした。

3月11日以後の日々は、私が、私の現実というものを、あらためて見据える日々となった。

アイン・ランドについても、いろいろ考えた。アイン・ランドを、この未曾有の危機を経験中の日本に伝播してゆく意味があるのか?ないならばやめちまえ、と思った。

いや、今回の震災と原発事故こそ、日本人の心の自立の必要を教えてくれたものではないか? 個人にとっての、その個人の人生のかけがえのなさを強烈に意識する契機となったのではないか? 社会でも国でも、もちろん勤務先でもなく、ギリギリの極限状況では、自分の人生は最終的に自分が負うしかないものだということを教えてくれたのではないか? そのためにこそ、政治を一部の利権集団に任せて好きにさせないような知識や行動が必要なのではないか? 

近代西洋啓蒙思想の遅れてやって来た賛美者&近代主義の女神(か、モンスター)みたいなアイン・ランド伝播は、(まだまだ残念ながら)この非近代的日本には、意義が大きいと、あらためて、私は思った。