アキラのランド節

脇坂あゆみさん御高訳『われら生きるもの』出版されます!「副島隆彦の学問道場」定例講演会でアイン・ランドについて講演します!  [11/30/2012]


おひさしぶりです。すみません。またも更新をさぼっています。2ヶ月間以上もさぼっています。忙しかったのですよ・・・すみません。

ついでに、春から始まっためまい&ふらつき症状が、たびたび出ます。先日11月25日の推薦入試があったときなど、通勤途上の、公園の真ん中あたりで、ふらつきが起きて、道路にぶっ倒れるかと思いましたが、何とか必死で持ちこたえました。そばにベンチがあって、良かった〜〜♪

病院には行かないです。検査さんざんして、どうせ理由はわからないです。だから、このまま、めまい&ふらつきに襲われていればいいのです。テキトーにつきあっていきます。

多忙で、かつ体調不良のわりには、Facebookには毎日なんかを書き込んでいますが。感情のウンチみたいなもんやね。

みなさま、本日はビッグ・ニュースです!!ビッグ・ニュースが二つです!!Two Big Newsです!!しつこいわ。

We the Livingの翻訳が、脇坂あゆみさんの御高訳で、12月10日に、ビジネス社から出版されます!!

アイン・ランドが、ソ連から亡命したアイン・ランドが、革命期の混乱のソ連時代の体験を元に書いた小説We the Livingの翻訳が、脇坂あゆみさんの御高訳で、12月10日に、ビジネス社から出版されます!!

タイトルは、『われら生きるもの』です! いい題だ・・・『われら生きるもの』です!

みなさま、是非ともお読みください!『水源』や『肩をすくめるアトラス』ほど長くないですから、大丈夫、大丈夫。お値段税込3360円。 (http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%89%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4828416900/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1354205964&sr=1-1

以下は、amazonのサイトからパクってきた『われら生きるもの』の解説文です。

<転載はじめ>

本書『われら生きるもの』は、1926年にソ連からアメリカに亡命したアイン・ランドが、1936年に出版した小説である。革命期の混乱がまだ続いている1920年代のペテログラード(現サンクト・ペテルブルク)を舞台に、革命軍が樹立したソヴィエト政府による息の詰まるような全体主義体制の下に滅んでいく若者たちを描く。

主な登場人物は、革命後に財産を没収されたブルジョワの娘キラと、元貴族の息子レオと、労働者の子どもに生まれて革命の大義を信じて党員となっているGPUのメンバーであるアンドレ。

物語は、この3人の出会いと葛藤と愛憎と別離によって展開されていく。 社会主義国家ソ連の惨憺たる内実、革命という大義とは裏腹の党幹部の腐敗、 社会主義の全体主義国家につぶされていく個人の無残さを克明に描き、それでもなお果敢に抵抗する主人公キラの毅然とした生きざまを描いている。

本書は、共産主義、全体主義を批判する政治小説としての面と、過酷な状況下でのヒロインをめぐる恋愛小説の側面も持ち合わせている。

‐橘玲氏激賞‐

<転載終わり>

この小説は、1942年に映画化されています。イタリアで。Amazonで、DVDを入手できますが、日本語字幕はないです。

ロシアを舞台に英語で書かれた物語が、イタリア語で映画になっています。ややこしい。

なんで1942年のファシズムのムッソリーニ政権下のイタリアが、この映画を製作したのか?? 共産主義批判の映画ですよ〜〜共産主義と全体主義は兄弟みたいなもんじゃないですか。

さすが、ムッソリーニはアホじゃないんで、試写会でこの映画を見て、カンカンに怒ったそうですよ。「これは政府批判の映画じゃないか!!」って。監督が、どうしても作りたかったんでしょうね。いい映画です!

ヒロインのキラ(Kira)を、ポーランド生まれで、イタリア育ちのアリダ・ヴァリ(Alida Valli:1921?2006)という女優さんが演じています。

原作のイメージにぴったりの女優さんです。

(映画版『われら生きるもの』のヒロインのキラに扮するアリダ・ヴァリ。横のオッサンは知らない。ダメ男レオ役の男優さん。きもいわ)

『水源』や『肩をすくめるアトラス』に登場する魅力あるキャラクターの原型が、この小説『われら生きるもの』にはあります。

アイン・ランドが、20代の終わりころに書いた小説ですので、非常に瑞々しいです。でも、ちゃんと小説の結構というものをわかっている。さすが9歳のころから書き続けてきた天才です。

『われら生きるもの』は、1926年にアメリカにやって来て、経済的に苦闘しつつ、ハリウッド映画界でシナリオ・ライターになるべく努力していた若きアイン・ランドの、故郷サンクト・ペテルブルクに対する望郷の念が、いっぱいつまっています。

ああ〜〜あの北の古都にもう一度行きたい!!美しい街であった!!

ヒロインのキラの家族とか、見知らぬ人々と自宅で同居するはめになったキラの家庭の暮らしの描写(ブルジョワの住居は労働者たちの住居として接収されたので)などは、とても生々しいです。すべて、アイン・ランドの体験が元になっています。

いや・・・ほんと悪夢のような暮らしですよ・・・ソ連って、めちゃくちゃだなあ・・・そんな体制でも70年続いたんだから。

ソ連時代のロシアのトイレは、それはそれは汚かったそうですよ。トイレの汚さというのは、霊的にも、邪気と邪悪と堕落と腐敗のてんこ盛りのシンボルでございますよ。

犯罪が起きる場所のトイレは、スペッシャルに汚いそうですよ。犯罪加害者の住居のトイレも、汚いそうですよ。犯罪被害者のトイレも・・・

トイレが汚かったら、ちゃんと自分で綺麗にしましょうね。誰かが掃除しないからいけない、女がやるべきだ・・・ではなく、自分が使うものは自分が綺麗にするの!便器さんに一礼ぐらいするの!

・・・って何の話か。そうだ、ソ連のトイレ事情だ。いや、『われら生きるもの』の話だ。

ブルジョア家庭で育ったアイン・ランドにとって、労働者がドドッと自分の家に入り込んで住みつき、トイレなんか汚く使って、うるさかったろうし、ほんとに嫌だったし、辛かったろうな。もう、とことん、革命を恨んだろうな。

アイン・ランドのKYで身勝手な性格からして、人知れずトイレ掃除を熱心にするタイプではなかったろうからなあ。イライラが募って、不快さに心を痛めていたろうな。食いものは足りないし、空腹だし、なのに排泄物は出るし・・・

・・・って、もちろん、トイレの汚さのことなんか『われら生きるもの』には出てきませんよ。他のアイン・ランドのエッセイにも、そんなことは書いていない。私が勝手に想像しているだけですよ。

トイレの話はさておき、『われら生きるもの』には、思わず涙が噴き出してしまうような痛切な哀切なエピソードもいっぱいです。

反政府運動に関わっていたキラの従姉妹が恋人と引き離されるシベリアの強制労働所に向かう列車の中のシーンなんか・・・もう・・・(滂沱の涙)

シベリアの大地は、今や核の地下実験のためにボロボロでありますが、汚染されまくって久しいですが、その前に、シベリアに追いやられ粛清された人々の怨念や、第二次世界大戦後に抑留された日本兵の怨念により、あらかじめ、ボロボロに汚染されていたのだよ。だからこそ、核という最大級の不吉、邪気を引き寄せたのだよ。Raped Siberia!

ともかく、「われら生きるもの」も、非常に非常に面白い小説です。是非とも、お読みくださいませ!

バカ左翼の甘言に乗って、アホなことにならないためにもね。共産主義や社会主義なんて、個人の自由な人生の抑圧、抹殺でしかないということを知るためにもね!

『われら生きるもの』は、革命期のソ連の圧政に翻弄される人々の悲劇を描いている点において、『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)に似ています。

『ドクトル・ジバゴ』は、ロシアの作家、ボリス・パステルナーク(Boris Leonidovich Pasternak:1890-1960)の小説ですね〜〜1957年に発表され、1965年には映画化もされました。ソ連では発禁処分になった小説です。

みなさんも、アメリカとイタリアの合作映画版『ドクトル・ジバゴ』(1965)ならば、ご覧になったことがあおりになるでしょう? たまに、BSで放映されますよね。

若き日の栗原小巻が真似っこした(と、私が勝手に推測している)ジュリー・クリスティ(Julie Frances Christie:1941−)というイギリスの女優さんが美しい映画でしたね〜〜♪ アメリカのアカデミー賞で5部門を受賞した名作です。挿入曲の「ララのテーマ」が有名です。

「ララ」というのは、ヒロインの名前なんです。「キラ」に似てるな。

(これが、『ドクトル・ジバゴ』のヒロインのララを演じたジュリー・クリスティでございます!!美しいでしょ!!)

って、また話が逸れているな。

ところで、実は、この小説を翻訳しようと私も考えたことあります。最初の10頁ほどを訳したこともあります。

でもですねえ、『水源』のときのように、突き動かされるように日本文に変換してゆくような情熱が持てなかったのです。ですから、翻訳することは断念しました。

『水源』は、翻訳することそのものが大きな大きな喜びでした。『利己主義という気概』は、アイン・ランドの思想を、客観主義(Objectivism)を理解したい、わかるようになりたいという切迫した思いで訳しました。

そのあとは、アイン・ランドの書いたものを翻訳するというより、アメリカの思想史の流れの中で、アイン・ランドの布置はどういうものであるか、とか、日本人にとってのアイン・ランドを読む意義とか、そういうことを考えることのほうが面白くて、翻訳という作業からは遠ざかりました。

だいたいが、もともとが文学そのもの、作品そのものよりも、批評書とかを読むほうが好きなタイプですからね、私は。

 訳って面倒くさい・・・ほんと、あれは煉瓦を1個1個積んでいくような地道で地味で根気のいる肉体労働です・・・

定年後に、時間に恵まれたら、あれを訳そう、これを訳そう・・・あれも訳したい、これも読んでもらいたい・・・と想像することは心が踊ることではあります。が!!そんなこと言っていないで、今、翻訳する作業をしていなければダメなんであります!!

今がすべてだ。明日が来るかどうかわからない!

ましてや、日本という国だって、これからの数年間が正念場だ!!天変地異、恐慌、軍事衝突、食糧危機、氷河期到来、ポールシフト、地磁気の狂いに、太陽電磁波の増大に・・・どうしてくれよう。

いろいろアイン・ランドは批判されます。蛇蝎視されます。似非インテリの文化左翼系偽善アホ文化人たちや、そいつらがエライと思っているマスコミ権威主義の愚民たちに、無茶苦茶に批判されます。きちんと読んでもいないのに・・・

しかし、いいものはいいんだよ!面白い小説は面白いんだよ!人生を鼓舞し、あるべき人間像のモデルを提示する小説は、人類の宝だ!!

それは、アイン・ランドの作品や翻訳が流通する限りは、時間が証明して行くことです。読者は必ず、じりじりと増えていきます。アイン・ランドの小説を読むことによって、日本人が変わってゆくのです。

本来の潔い、霊性の高い、かつ創意工夫を惜しまない向上心に満ちた、心豊かな、搾取性のない人間に戻っていくのであります。

げへへ。それを見届けるまでは死ぬ気なし。めまい&ふらつき、老後の不如意なんか気にしない。生きているだけで丸儲けよ。

ともあれ、これでアイン・ランドの四つの小説は、すべて翻訳されました!!めでたい。『水源』と『肩をすくめるアトラス』と『われら生きるもの』と『讃歌』です。

『讃歌』(Anthem)は、出版はされていませんけど、本ウエッブサイトに拙訳を載せています。ご興味のおありになる方は、どうぞ読んでやってください。

そうなんだ・・・あの訳文も直さないといけないと思いつつ、日が過ぎてしまい、はや2012年もあと1カ月だ・・・

アイン・ランドの翻訳は、2004年に『水源』と『肩をすくめるアトラス』が出版されました。2008年に『利己主義という気概』が出版されました。そして、2012年内に『われら生きるもの』が出版される運びとなりました。4年に1度だな。オリンピックか。

ということは、4年後の2016年に、アイン・ランドの作品の翻訳が出版されるのかもしれません!!順番で行くと、次は私の番だな。

2016年!!それまでに、日本は、世界はどうなっているでしょうか?!

ほんと・・・今度の衆議院総選挙・・・12月16日に誰に、どの党に投票すべきか・・・私は、安全保障を最重要視して、大嫌いな某政党に投票するしかないかなあ・・・と思っております。

どこの政党であれ、誰が首相であれ、大臣であれ、属国の政治は翻弄され、国益を守れない。国益を守ろうとすれば失脚させられるか、変死させられる。もしくは、つまんない奴に殺されて、そのつまんない奴の背後関係も、あえて調査されないままになる。

カネがらみか色情がらみで弱みを握られるか、家族を一種の人質にとられるかして、身動きが取れなくなるのは、まだラッキーなほうだ。

属国の政治家は、誰がやっても失敗する。それでも、どうしてもinterfaceといいますか、外交の矢面に立つ人は必要なんだから、そこんとこは、国民もメディアも承知しておかないと。

他人に対して、自己犠牲的な英雄になるよう期待してんじゃないよ!自分がなれ!自分がなれないのならば、いちいち政治家批判なんかしてるんじゃないよ、愚民が。

国民と政府は別ということを前提にして言いますが、アメリカは、もう、何でもやる。アメリカの政府を動かす人々は、アメリカを見捨てすることすらやる。しかし、中国も信用できない。あそこが共産党政権というだけで、もう全く信用できない。

属国の国民は、Lesser evilしか選べないのよ・・・同じ邪悪でも、どっちが、ましか。同じく搾取されるにしても、貧乏を強いられるか、国土を乗っ取られるか、どちらが、ましか?

さて、次の大ニュースです!

来年の3月の下旬の週末に開かれる「副島隆彦の学問道場」の定例講演会で、私はアイン・ランドについて講演させていただけることになりました!!

御存知のように、「副島隆彦の学問道場」の定例講演会は、副島隆彦氏の4時間以上に渡る御講演の前座として、副島氏の優秀なお弟子さんが1時間ほどの講演をなさるのが通例です。

で、2013年3月の「副島隆彦の学問道場」の定例講演会の前座は私です!!アイン・ランドについて話します!!うわお〜〜〜〜♪

会場も日程も未定ですが、3月の下旬の週末で、会場は東京ということは確かです!

アイン・ランドに遭遇してから、はや11年が経過しました。私なりに、調べ考えてきたアイン・ランドについて、「日本人にとってのアイン・ランドの意義」について、1時間心を込めて、お話させていただきます。

この件については、来年にまたここで告知&宣伝させていただきます。是非とも、2013年3月の「副島隆彦の学問道場」の定例講演会にお越しください!お願い申し上げます!!

私が、「副島隆彦の学問道場」の定例講演会の前座をさせていただくのは、おそらく、これが最初で最後になると思います。

だって、私は、アイン・ランドについてしか話すネタがないからね。これから、私の引き出しもどんどんストックが増えるかもしれないけれども、そうなったら、そうなったで、自分で単独で講演を開けるようになっていないと意味がない。

ともあれ、大感激です!「副島隆彦の学問道場」の会員として、副島隆彦氏の著作はすべて読んできた人間として、かつ「副島隆彦人脈」のふもとの端っこにいる人間として、「副島隆彦の学問道場」の定例講演会において、副島隆彦氏の御講演の前座を務めることができるのは、名誉なことだ。夢の実現だ!!

うわお〜〜〜〜♪ ありがたいことです!!

学会の発表なんかより、うんとうんと緊張するな〜〜〜何を着ようかな〜〜お化粧の仕方を教えてもらおうかな〜〜♪ ちゃんと美容院に行かないとね〜〜♪

いいえ・・・このまんまで、やります!地味なオバサンそのまんまで、ノーメイクの田舎のオバサン丸出しで、堂々とやります!いまさら、身長が伸びるわけでも、体重が減るわけでも、白髪が消えるわけでも、皺が消えるわけでもないし、センスが良くなるわけでもない!

みなさま、是非とも、2013年3月の「副島隆彦の学問道場」の定例講演会でお会いいたしましょう!!

ところで、2013年3月は来るのだろうか・・・

きっと来るよね!

しかしですねえ・・・私の人生の歩みは遅いですねえ・・・超遅い。

決断は速いのにねえ・・・レストランに入れば、メニュー見たら、すぐに注文するし、ブティックに入ればさっと見まわして購入できるものがあるか見定める。インターネット通販でも選ぶのは速い。食べものも衣服も書籍も人間も、何につけても選ぶのは速い。迷わない。

なのに、人生の歩みは遅い。成果を出すのが遅い。要するに、学習して理解するのが遅い。認識して実践するのも遅い。こーいう人間は、やはり長生きしないと、人並みの人生でさえ築きあげることができないのだろうなあ・・・ 

まあ、いいのか。馬鹿で貧乏でブスの3Bでも、生きているだけでいいのだ。私自身の人生というゲームを、最後まで捨てずにやり遂げれば、いいのだ