アキラのランド節

『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その8)  [12/12/2012]


みなさま、もうアイン・ランドの小説、脇坂あゆみさん御高訳の『われら生きるもの』(ビジネス社、3360円)を、お買い上げくださったでしょうか。もしくは、図書館に注文してくださったでしょうか?

すでに、お読みになってくださったでしょうか??

330×465

灰色の空に雲が広がる表紙です。この装丁のデザインいいですね。今回の『われら生きるもの』は、『水源』や『肩をすくめるアトラス』のような二段組みで、活字も小さいものではありません。ちゃんと一段組みで、活字も大きいです。読みやすいです!本の大きさも一回りは小さいです。持ちやすいです!

アイン・ランドが生まれて初めて出版した小説です。処女作です。革命期の混乱したソ連の体制に翻弄され破滅させられる庶民の怒りと悲しみと抵抗が、この小説には描かれております。

といっても、ガチガチの政治抵抗小説ではありません。そんな体制のもとでも生きていく庶民の哀歓が、抒情豊かに描かれております!アイン・ランドの作品の持つ良い意味での「少女小説」っぽい清冽さが、初々しく開花されております!

え?そんな貧乏な困窮のソ連時代の庶民の生活なんかどうでもいい?

いやいや・・・そうおっしゃるあなた・・・しばらくは、日本人庶民も、こういう生活をせざるをえなくなるかもしれませんですよ・・・

(近いうちに始まる)お札刷りまくりの末のインフレ、各種光熱費の値上げ、生活苦、にも関わらずの増税、給料カットならまだましの失業、ひょっとしての預金封鎖、それに加えての天変地異と、脅かされる安全保障に、増加する(外国人による)犯罪。酷寒の冬と酷暑の夏に、1日内で気温の変動が激しい気候変動。

しばらくは、きついですよ・・・

ソ連の人間ならば、亡命すれば西側諸国に逃げることも可能だっただろうけれども、今回は、日本の外に逃げても同じだよ。世界中がおかしいんだから。いや、もしくは外国の方がもっと過酷だろうな・・・

一昨日12月10日の『山陽新聞』朝刊の第一面に、元鳥取県知事で、現在は慶応大学法学部の教授をしておられる片山義博(かたやま・よしひろ:1951−)氏が、「選択を前に 2012衆院選特別寄稿」ということで、「見識問われる分権改革」というタイトルの優れた文を発表しておられた。

なんと、国から、義務教育に使うようにということで得た交付金を、義務教育費に回さずに、小学校や中学校の先生を非正規雇用にして、カネを浮かして他に流用している地方自治体が少なくないそうだ。

知らなかった・・・

ただ、5年くらい前からだろうか、桃山学院大学勤務時代に教育実習校訪問に行くと、たとえば、中学校などで、「月給20万円据え置き」の若い常勤講師の雇用が増えているなあ・・・昔は、こういう採用形態はなかったのになあ・・・と残念に思うことはあった。

しかし、その理由が、「義務教育用交付金をくすねて、他に流用する地方分権改革」だったとは、知らなかった。

なんで、こういうことになるのか?

国から地方に出す補助金は、自公政権時代に、一般財源化した。つまり、かつ ては、「義務教育教職員財源」として国から交付されていたカネが、他のものといっしょになった。「公立小中学校教職員給与財源の自由化」ができるようになった。

つまり、使途制限のある義務教育費国庫負担金を減らして、それと同額を使途制限のない地方交付税交付金に置き換えた。これで自治体の自由度は増した。地方分権だ〜〜〜〜!!!地方分権の第一歩は、カネ(税金)の使い方の自由裁量だ〜〜〜〜!!!

ところが、それで地方自治体はどうしたか?

国は、教員が正規であることを前提に算定した義務教育費国庫負担金と地方交付税交付金を配分しているのに、いくつかの府県では正規教員を相当数減らし、それを非正規教員で代替させている」のだそうだ。

義務教育にまつわる問題は、いじめ、不登校、学力低下、学級崩壊、こども虐待と、山積している。なのに、教師の非正規雇用が増えている。これでは、教師は落ち着いて教育活動に従事できない。子どもも、ころころ担当教師が変わり、かつ職員室に担当教師がいないのでは、なにやら頼りない。

ひょっとして、義務教育やめるつもりか?義務教育破壊を黙ってこっそり進行させたいのか?

ならば、同時に並行して、現存する学習塾やら私塾やらにも、義務教育に従事していいと布告しなされ。義務教育のほんとうの自由化を認めなされ。

ところで、このような「義務教育費の事実上ネコババ」している率が高い地方自治体は、文部科学省の調査によると、「沖縄県、埼玉県、兵庫県、福岡県、岡山県、広島県」だそうだ。

ほぼ、西日本だなあ・・・西日本の選挙民は、「義務教育費の事実上ネコババ」をする政治家を選んでいるってことですね・・・

西日本は民度が低いのか??

ともかく、つまり、片山善博氏は、こうおっしゃっているわけよ、地方分権改革はいいけれども、「地方の側にはその成果を生かせるだけの見識と良識が求められる」って。

ぶっちゃけて言えば、地方分権できるほど、地方に人材はいない!

私は、広島県は福山に来て、よくわかりましたわ・・・

他県とか中央とか外国とかの「外」に出て勉強した若い優秀な人々が、戻って来て、地方自治体の中枢に入るようにならなくては無理。

そのような優秀な人々が教育して訓練した人々が、地方自治体経営をするようにならないと無理。

義務教育にカネをかけずに、それをネコババして流用するんだからさあ、地方の政治家(議員)や、役人の程度は、すっごく低いのよ。

どうせ、利権がらみのところに、義務教育に使うべきカネを流用しているんだよね。選挙で組織的に投票してくれる業界に仕事を回すために、流用しているのだろう・・・もしくは、(投票してくれる)高齢者のための過剰福祉に使っているから、子どもや若い人にはカネが回らない??

もれ聞いたところによると、福山市の教育委員会も、市内の中学校の英語の先生が足りないということで、「非常勤講師やってちょーらい、週に35時間」(ほとんど常勤と同じ労働時間だ)と、教員資格持っている人に電話しているそうだけれども、そんなときも給与額は、なかなか言わないそうだ。モゴモゴと無駄口たたいて、誤魔化すそうだ。

だって、「週35時間労働で、税込み13万円」だもの・・・

所得税、住民税とられて、社会保険料さっぴいたら、手取り「10万円」でっせ・・・10万円以下かもね。もちろん、賞与はありません。残業手当もない。

もう・・・この収入では、実家に住まわせてもらって住居費がかからないという状態でないと、教師としての最低の文化的生活を営むことはできない。

実質月に10万円しかならない低賃金で、その若い非常勤の先生は、高齢の教師ができないパソコン作業とかもやらされる。たぶん、クラブ活動の指導もさせられるかもしれない。休日出勤ですがな。関節痛のババアの教師が急病とかで、修学旅行の引率までさせられるのかもしれない。

桃山学院大学の卒業生でも、正規雇用の教員ではなく常勤講師なのだけれども、度胸と指導力があるから、問題児の指導や、校内暴力で荒れている学校の「鎮圧」ばかりに派遣されている男性がいる。

私のゼミ生だったのよ、その人。桃山学院大学最初のゼミ生のひとりだったの!役にたたんジジイや管理職を解雇して、彼を正規雇用してよ、ほんとに、もう!

これも桃山学院大学の卒業生の例だけれども、卒業後、努力して、通信教育で、小学校教諭の資格も取った。そしたら、教育実習に行った小学校から、教師が足りなくて、「無給だけれども、1週間に1日だけ教えてくれ」と依頼された。彼は、そういうことも将来に役にたつかもしれないと考えて、「無給の教師」を引き受けた。

だけど、言うまでもなく、こーいうのは、おかしいよ!!

その小学校の管理職は頭がおかしいわ。よく、そんな厚かましいことを依頼できるもんだ。こういう理不尽なことを若い人にさせて平気な奴が、小学校の校長や教頭やっているんだよ。

まあ、校長にしても、予算はないし、何ともならんから、若い人を搾取することに加担してしまうのだけどもさ。

だけど、こういう管理職って、ならば、いたしかたない、自分のポケットマネーで、ちゃんと私の元教え子に何らかの謝礼を出そう・・・とは考えないだろうなあ。

たぶん、そこの校長は、小学校の畑で採れた「大根と長ネギ数本」で誤魔化すんじゃないかしらね。だって、その校長は、学校の畑を耕したり、学校が買っているウサギに餌やったり、ウサギ小屋の掃除をしているらしいから。

暇だな・・・それが、校長の仕事かよ。

まあ、校長室で新聞を読んでいるよりはマシだけどね。きっと、自宅には、「引きこもりの30代のアホ息子」を一匹ぐらい飼育しているのかもしれないから、自分の老後が脅かされているから、「無給で働く若者」に配慮する余裕はないのかもね。

という具合に、日本の義務教育の現場にも、非正規雇用者、派遣の数は増大しつつあると・・・

ところで、いつもギャアギャア騒いでいる「日教組」は、何やってるの?2012年12月10日現在の現政権の幹事長をやっている方の支持団体の「日教組」は、この問題については、なんも騒いでいない・・・

知らないはずないでしょうが・・・

国旗掲揚がどうたら、国歌斉唱がどうたらという問題よりも、義務教育の教員の非正規雇用化の問題のほうが重要なんじゃないの?

このことひとつ取ってみても、「日教組」という組織が、うさんくさいものであることは明々白々だ。教育現場の改革なんか目指していないとうことは明々白々だ。ただの利権団体のくせに、えっらそ〜〜に何が平和教育だ、人権教育だ。

はああ・・・(ため息)・・・

福山市立大学にも教育学部があり、そこの児童教育学科は、小学校教員の養成をしている。彼らや彼女らの雇用は、どうなっていくのだろうか・・・

あの人たち、ものすごく善意です。だから、無給でも、頼まれたら、快く志に燃えて、やりかねない。「私は搾取されている・・」とは、考えないタイプの人々だから、心配である。

まあ、若いころって、そういうもんかもしれないが・・・幻想がいっぱいでさ・・・

って、なんの話か??

そうそう・・・時代は、これから庶民にとっては困窮だよ、若い人の失業のみならず、中高年にとっても過酷になるよ、だから、ソ連時代のソ連の庶民の話を読んでおこうね、という『われら生きるもの』のお話でした!

ということで、本日の「アキラのランド節」も、『山陽新聞』備後版に不定期掲載のコラム「芦田川」の元原稿3本分掲載です!

今回も、「コメント」は短めにしておこう〜〜♪

<第22回 11月11日掲載  「3Bが身を助ける」の元原稿 >

私は、来年に還暦を迎えるのだが、この年齢になると、柄にもなく今までの自分の人生を振り返ったりするようになる。そうすると、自分にとってマイナス要素でしかないことが、逆説的に自分を守ってきてくれたことがわかるようになる。

たとえば、若い頃の私は、「バカ、ブス、貧乏」である自分の3B状態が辛かった。頭が良ければ、こんな失敗ばかりしないですむのに。美人でスタイルが良ければ、何を着ても似合うし、もてるのに。お金持ちだったら、働かなくてもすむのに。世の中がどう動こうが何も心配することないのに。核戦争になっても自宅の地下にシェルターがあって、食糧貯蔵庫があるから生き残れるのに。

しかし、バカだからこそ、少しでも賢くなろうと、不徹底ではあるが、私は自分なりに勉強したし、考えたし、情報収集した。おかげで、取り返しできないような大失敗はせずにすんできた。

美人じゃなかったから、結婚相手選びに迷うこともなく、嫁にもらってくれるならば、ありがたいとサッサと結婚できた。

貧乏だったから、食べるためには働かざるをえず、働いたからこそ、鍛えられた。忍耐力もついた。むかつく同僚や上司とテキトーにつきあっていくこともできるようになった。実社会の理不尽さも見たけれども、何よりも、ひとりひとりの人間が自分の持ち場で、きちんと義務を果たしているからこそ、機能している社会の仕組みが、わかるようになった。

人間が失敗するのは、その人間が恃みにしているところにおいてだそうだ。頭がいい人間は、他人を侮り、策に溺れやすくなる。美貌の人間は、人格の陶冶を怠りやすくなる。富裕な人間は、金銭を獲得しようと努力する過程で、人間が学べることに出会えない。

自分の手持ちのカードが、ろくでもないものばかりでも、いいのだ。与えられた条件の中で、自分にできるだけのことをしていれば、いつかきっと、不利なことは有利なことでもあるのだと、知るようになるに違いない。

<コメント>

これは、このまんま。「3B」ネタは、ひさしぶりに使ったな。

<第23回 11月25日掲載  「 大器『免』成 ? 」の元原稿 >

「大器晩成」とは、誰もがその意味を知っている老子の言葉だ。平たく言えば、ほんとうの大器は、やっと人生も晩年ぐらいになって、その大器性を明らかにするのであって、若い頃に成功するのは小人だ、という意味だ。

しかし、この「大器晩成」という言葉は、間違って伝えられたものらしい。ほんとうは、「大器免成」だったそうだ。ということが書かれていたのは、2012年秋現在の日本のインターネット界で人気第一位を誇る「伊勢白山道」というブログにおいてだった。

1973年に中国は湖南省の馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)という古墳から、従来の老子の書よりも古い写本である帛書(はくしょ)が発見された。帛書の甲本では、「大器○成」と、欠字だった。帛書の乙本には「大器免成」と書かれていた。

「大器晩成」と「大器免成」では、正反対の意味になる。「大器免成」だと、「大器は成功から免れる」という意味になる。つまりは、成功しないということだ。要するに、俗に言い成功を獲得するような程度では、ほんとうの大器ではないということだ。

このブログの著者は、前から、「大器晩成」という言葉は、老子らしくないと感じていたそうだ。若いうちからスイスイと頭角を現すことはできなくとも、いくらなんでも晩年くらいには成功していないと人生の負け犬だ、と言われているみたいで、いやな感じがしたそうだ。なるほど。確かに、それは天空海闊な老子らしくない。真面目優等生の孔子ならば、言いそうなことだけれども。

私のような世間の狭い人間でも、「成功者」に会ったことは何回もある。超一流国立大学教授とか、国会議員とか、地方行政府の長とか、有名評論家とか、普通一般に言う「エリート」とか。

確かに、この世の中で、成功する程度の人間は、「大器」とは言えないかもしれない。名もなく、人に知られることもなく、この世を支えているほんとうの大器は、自分が大器だとも意識せずに、生きて死んでいくものかもしれない。

<コメント>

なんと、この文章が新聞に掲載されたとき、62歳の福山市民の男性が、山陽新聞社と福山市立大学の事務局に、お電話をくださったそうだ。「感激した!このようなことが書ける先生がいる福山市立大学は素晴らしい!!」と、おっしゃってくださったそうだ。

わざわざお電話をくださった福山市民の方、ありがとうございます〜〜〜♪

この男性の方は、「私は、福山の大企業の日本鋼管に長く勤務してきたが、自分ではそれなりに会社にも貢献し、努力を惜しまなかったのだが、表彰ひとつされたことがない。それを寂しく思うこともあったのだけれども、フジモリセンセイの文章を読んで、それでいいのだ、自分はやれるだけのことはやったから・・・と納得できた」と、大学の事務局の職員さんにお話しなさったそうだ。

表彰など受けずとも、叙勲などされなくても、肩書きはなくとも、「地上の星」は、いっぱい輝いていますよ。

アイン・ランドは「エリート主義」だと誤解されているけれども、それは、違う。アイン・ランドの『水源』にも、『肩をすくめるアトラス』にも、責任感を持ってこの社会を支える無名の無冠の人々が、いくらでも登場する。

普通に考えてみれば、わかるでしょう。現状の日本で、責任感があったら、事実を直視できる人間だったら、組織の上になんか立てない。

もし、うっかり、そんな責任感のある有能な人物が、組織を束ねる立場に立ったら、過労で死ぬって。もしくは、陰謀で社会的に抹殺される?

まあ、大器でも小器でもいいよ、ひびが割れている器でも、名器でもいいですわ。自分のいる場所でやれることを、きちんとやるだけだよ。誰が見ていなくても、自分が見ている。死ぬときに、「よくやったじゃん!」と、自分で自分を祝福できれば、自分で自分の頭をナデナデできれば、その人生は成功だ!

<第24回 12月11日掲載  「属国の国政選挙」の元原稿 >

男子学生が、国会議員になりたいと私に言ったとき、私は、大人げもなく、ついストレートに言ってしまった。

「国会議員になっても、日本の国益を考えて動くことはできないよ。日本は、アメリカの属国だから。日本の政策は、日本の政治家が決めない。アメリカが、アメリカの都合がいいように決める。状況によっては、将来は、日本は中国の属国になるかもしれない。そうなると、今度は、中国の都合で日本は動くことになる。そのときに日本という名前の国があればの話だけど」と。

いろいろ異論はあろうけれども、日本がアメリカの「属国」であることは事実だ。否定してもしかたがない。「日米関係」などという、対等な関係は存在しない。「アメリカの東アジア対策日本管理」があるだけである。

また、日本が、アメリカと中国にはさまれた微妙な立場にあることも事実だ。アメリカ寄り政党もあれば、中国寄り政党もあるということも事実だ。

かといって、日本がアメリカや中国の真似をして、軍事力を増強して、核兵器を持てば、名実ともに「独立国家」になれるというような単純なものではない。

言うまでもなく、どうせ超大国の言いなりになるしかないのだから、誰が国会議員になっても同じだし、どの政党が政権を取っても同じだから、投票してもしかたないと思うのも間違っている。

人間は、他人の指示で動くことに慣れてしまうと、自分の頭で考えることができなくなる。自分の人生に対する当事者意識を失くしてしまう。現実把握すらできなくなる。国だって同じだ。

状況は刻々と変わる。世界情勢も変わる。ひょっとしたら、未来の日本において、歴史を変えるような発明がいっぱいされて、エネルギー問題や財政問題が解決するかもしれない。日本人だからこそ介入できるような国際紛争を解決できるかもしれない。 そのときに主体的に動ける日本人と日本であらねばならない。

来る十二月十六日は、衆議院議員の総選挙が行われる。投票に行こう。

<コメント>

これは、「幻の学生との妄想の会話」を元にして書いたものだ。

「国会議員になりたい」なんて言うような男子学生は、福山市立大学にはいません。都市経営学部だと、「公務員になりたいです。福山市役所に勤務するのが夢です」と言う学生が多い。

桃山学院大学には、「政治家になりたい」とか「国会議員になりたい」とか「会社の社長になりたい」とか、「海外のファッションを紹介するライターになりたい」とか「小説家になりたい」とか「自分の学校を作りたい」と、言うようなシッチャカメッチャカな学生も、いたけれども。

みんな元気かな・・・

私は、福山市立大学の卒業生から、将来、市会議員や県会議員になる人物を出すぐらいは、当然のことだと思っている。福山市民の税金で勉強しているんだからさ。

だから、「福山市役所の公務員になりたい」ではなくて、せめて、いくら夢が小さくとも、「福山市の市長になって、福山市の義務教育に非正規雇用の教師があふれるような事態は断じて許さない」と思ってもらいたい。

税金で勉強させてもらうということは、そういうことだよ!!

さて、みなさま、12月16日の衆議院議員選挙に行きましょう。投票しましょう。もう、私は、今回の選挙ほど、どの政党に投票すべきか迷ったことはない。

ところで、今度の日曜日16日は、総選挙の開票結果放送のためにNHK大河ドラマ、『平清盛』は、午後7時10分から始まります。午後8時からではありません。BSプレミアムにおいては、同じく午後6時から放映です!

ああ・・・よくできた脚本と、その脚本を支える熱い思想(武士の世を作る=努力して頑張り結果を出す人間が報われる世の中を作ろう!これがほんとの市民革命!)と、俳優陣の熱演ゆえに、私としては希有なほどに随分と楽しませてもらった『平清盛』も、あと2回で終わり・・・

遊びをせんとや生まれけん・・・♪ 戯れせんとや生まれけん・・・♪

何十年ぶりかの「傑作」でありました! NHK大河ドラマ『平清盛』の制作陣の皆さま、ありがとうございます。1年分まとめて支払っている視聴料を無駄にしないですみました!

「平清盛」という日本人には理解しがたい傑物の人生の青春記から老年期までをみごとに演じ切った松山ケンイチさんには、「フジモリ特別感謝賞」をさしあげたい!! 要らない?? 小雪さんと、いつ離婚するの?? ほほほ・・・

最近・・・わりと「書きたい」熱が出てきました・・・「アキラのランド節」も、ひょっとしたら、これから更新が増えるかもしれませんよ・・・ほほほ・・・