アキラのランド節

アイン・ランドとNWO陰謀論(1)---ランドはロスチャイルドの愛人ではなかった!  [03/08/2014]


一昨日の3月6日は、アイン・ランドの命日だった。だから、今回は、もろアイン・ランドについて書く。合掌。

「アイン・ランド(Ayn Rand:1905-82)は、フィリップ・ロスチャイルド(Philip Rothschild:1902-88)の愛人だった」という説がある。

でもって、『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged:1957)は、ロスチャイルドたちが目論む「新世界秩序」(NWO:New World Order)について描いた「暗号本」だという見解がある。

この見解は、全くのデタラメだ。

私は、この「アイン・ランドとNWO陰謀論」を粉砕(?)する。

こんなアホくさい陰謀論は、ここで取り上げるのも馬鹿らしい。が、一度くらいは、きちんと蹴っ飛ばして、首をきっちり締めておかねばならない。

今回の「ランド節」においては、フィリップ・ロスチャイルドとアイン・ランドの関係、つまり「関係の無さ」についてのみ書く。NWOについては、次回に書く。

フィリップ・ロスチャイルドとアイン・ランドにはユダヤ系であること以外には、なんも共通点がない。

国籍としては、フィリップ・ロスチャイルドはフランス人。ランドは、最初はロシア人、次にソ連人、それからアメリカ人になった。

フィリップ・ロスチャイルドというのは、フランス語では、フィリップ・ド・ロチルド(Phillippe de Rothschild)だ。Le Baron Phillippe de Rothschildだ。男爵なんだよ。パリのロスチャイルド家の分家の人だ。

言うまでもなく、フィリップ・ロスチャイルドというのは、マイアー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild: 1744-1012)の子孫のひとりだ。

ドイツはフランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離住宅区域)から身を起こして、ついには「世界を牛耳る大財閥になったロスチャイルド家」の基礎を作り上げたマイアー・アムシェル・ロートシルトの子孫のひとりだ。

そのマイアーさんの三男は、ロンドンに移住し、英国にロスチャイルド家の基盤を作った。それが、ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(Nathan Mayer Rothschild:1777-1836)だ。

そのネイサンの三男のナサニエル・ド・ロチルド(Nathaniel de Rothschild:1812-70)の曽孫(ひまご)が、フィリップさんだ。

フィリップさんの曽祖父、ひいおじいちゃんのナサニエルさんは、ロンドンに生まれたのだけれども、死んだときはフランスにいた。なんでかというと、パリのロスチャイルド家の娘と結婚して、パリに移ったからだ。

当時のロスチャイルド家の男は、みんな一族の従姉妹か姪と結婚することになっていたからね。一族の結束を固めるためですね〜〜〜ロスチャイルド家は、単なる家族Familyじゃないから。一種の「結社」だったから。

ともかく、フィリップさんのひいおじいちゃんのナサニエル・ロスチャイルドさんは、パリ・ロスチャイルド家の一員となり、「ナサニエル・ド・ロチルド」になった。

この人物が、フランスはボルドーにぶどう園と、そこに付属するワイン工場を買った。1853年(ペリーの黒船来航の年だ!)のことだ。

そのぶどう園&ワイン工場が、シャトー・ムートン・ロチルド(Chateau Mouton Rothschild)だ。

シャトウ(Chateau)というのには、城の意味もあるが、「醸造所」の意味もある。

このシャトー・ムートンを、今では毎年1500万本ものワインを販売する世界的大ワイン製造業「シャトー・ムートン・ロートシルト」にしたのが、フィリップさんなのだ!

ロスチャイルド家が経営しているワイン醸造所は、ほかにもあり、そっちも有名だけれども、ここではフィリップさんとこの「シャトー・ムートン・ロートシルト」にしか言及しない。

「シャトー・ムートン・ロートシルト」のワインは、日本Amazonからでも買える。価格は、ピンからキリまで。

「バロン・フィリップ・ド・ロチルド」(Baron Philippe de Rothschild)なんていう銘柄のワインもある。下のワインが、それだ。これは、2011年ものの「エスクード・ロホ」(Escudo Rojo)だ。2000円ぐらいの大衆向けでございます。「赤玉ポートワイン」と味が違うんかしらね?

私は飲んだことないんよ。アルコールに弱いから。日本酒だろうが、ビールだろうが、ワインだろうが、飲まない。最近は、お茶すら飲まない。白湯ばっかりよ。まるで尼さんのような暮らしです。

ところで、このフィリップさんは、ただの財閥のお坊ちゃんじゃなかった。「鍛えられたお坊ちゃん」だった。事実かどうかは、確かめようがないけれども、一応、公式に知られているフリップさんの人生の軌跡は、まことに波乱万丈だ。

たとえば、第二次世界大戦で奥さんを亡くしたいきさつ。まるで、ハリウッド映画だ。「ほんまかいな・・・」と思わせる大悲劇だ。なんで映画化されんかったんかしらん?

奥さんのエリザベスさんはユダヤ人ではなく、フィリップさんと出会った時には、ベルギーの男爵夫人だった。フィリップさんとの間に子どもができたので、男爵と離婚して、フィリップさんと結婚した。

って、サラッと書いてますが、二人ともすごいですね。ヨーロッパの貴族って、なかなか「さばけている」ね。

そのうちに第二次世界大戦勃発。ドイツのフランス侵攻が始まった。ナチスの「ユダヤ人狩り」が始まった。

フィリップさんは、エリザベスさんと娘のフィリピーヌ(フィリップの女性形だね)を、フランス国内の地方の友人宅に逃した。自分自身は、シャトー・ムートンを閉鎖し、従業員に閉鎖期間でも暮らしていけるような額の給料も渡しておいた。きちんとした経営者だね。

予想どおりに、ドイツ軍は「憎きユダヤの金融資本め!」ということで、シャトー・ムートンを無茶苦茶に破壊した。

フィリップさんは、まずはフランスの植民地のモロッコはカサブランカ(!)に逃げた。ところが、そこで、親ナチスのヴィシー政権に逮捕されてしまった!8ヶ月の捕虜生活を送った。それから、フランスのマルセイユに送還された。事態はどんどん悪化する。

ついに、フィリップさんはフランス脱出を決意した。奥さんのエリザベスにいっしょに逃げようと言うが、奥さんは、「私はカトリックだし、ユダヤ人じゃないし、ヴィシー政権に友だちもいるから大丈夫よ」と言って、フランス脱出を拒否した。変な奥さんだね。

カトリックなのに、前のダンナと離婚できたのか、この奥さん、エリザベスさん。

で、しかたなく、フィリップさんは、単身「ピレネー山脈を44時間かけて徒歩で超えた。」ほんまかいね。

苦労して、フィリップさんはスペインにたどり着いた。そこからポルトガルを経由し、英国に逃げた。英国にいたド・ゴールの「自由フランス軍」に入隊して、「暗号解読部」に所属した。

なんで「暗号解読部」なんだ?

このフィリップさんの人生の軌跡は謎が多いんだよね・・・

一方、見通しの甘かった奥さんは、どうなったか?奥さんのエリザベスさんは、パリでゲシュタポに逮捕された。「ロスチャイルド」という姓が、まずかった・・・非常にまずかった・・・

しかし、なんで、この女性は、パリなんかでウロチョロしていたのか?これも謎だ。

娘のフイリピーヌさんの方は、パリを出て、奥さんの実家に匿われたので、無事だった。

奥さんのエリザベスさんは、ベルリンから北方80キロに位置するフェルステンブルク市にあるラーフェンスブリュック強制収容所に収容された。女性ばかり12万人以上のユダヤ人が収容され、6万人以上が死亡したとされている収容所だ。

第二次世界大戦後、八方手を尽くして、フィリップさんは奥さんの消息を求めた。奥さんの行方はなかなかわからなかった。生死すらも。

やっと、ラーフェンスブリュック強制収容所から生還した女性から、奥さんの死を知らされた。「彼女は僕と結婚しなければ、死なずにすんだのだ!」と、フィリップさんは、大いに嘆いたそうだ。

ロスチャイルド家の人間でさえ、第二次世界大戦は、これほどの苦労をしたのだ〜〜ヒトラーは、当時はびこった「ユダヤ人が世界征服を企んでいる〜〜〜」説を信じて、ユダヤ国際金融資本をドイツから駆逐するだけではなく、無垢のユダヤ人大衆をも大量虐殺したのだ〜〜ナチスは、ほんとうに憎むべき全体主義の象徴だ〜〜〜という説もある。

また一方では、ユダヤ国際金融資本がドイツのナチスに資金提供して、第二次世界大戦を起こさせて儲けたのだが、それをカムフラージュするために、ユダヤ国際銀行家たちは、一般のユダヤ人をナチスに売ったのだ〜〜〜という説もある。

ホロコーストの片棒を担いだのはユダヤ人だった〜〜そうすれば、「ユダヤ人が世界征服を企んでいる〜〜〜」説を封鎖できるから。ユダヤ人は犠牲者なんだぞ〜〜〜陰謀論というデマの犠牲者なんだぞ〜〜〜近代化の遅れたドイツ人のスケープ・ゴートになっちゃたんだぞ〜〜ほらあ〜〜もうユダヤ人を虐めることはできなくなったろ〜〜これからこそが、ユダヤ人の時代だ〜〜〜という説もある。

ホロコーストそのものが実際にはなかったことだ・・・という説もある。600万人も殺せる設備なんかなかったよ〜〜という説もある。でも、そんなこと言うと、ブナイ・ブリスといいますか、ユダヤ名誉毀損防止同盟(ADL:Anti-Defamation League)に怒られる。

陰謀論にせよ、フィリップさんの波乱万丈人生にしろ、何にせよ、ウイキペディアに書いてある話をまるごと信じるほど、私は無垢ではない。なんでもかんでも疑ってきたので、還暦を過ぎて、いよいよもってして、私の性根は腐ってきた。

なんか最近、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky:1928−)が上智大学に来て、講演したそーだ。いわゆる「アメリカの良心」みたいに思われている学者さんね。マサチューセッツ工科大学の教授だ。もう名誉教授かな?

チョムスキーさんは、今ではアメリカ帝国主義を批判する言論で知られているが、もともとは、言語学の変形生成文法とかいうので、言語学会や英語学会のスターだった人だ。

うわ・・・それだけで印象が悪い。私が今まで会った「英語学の研究者」って、ろくなもんじゃなかったもの。そーいう英語学のトップだったというだけで、私は「胡散臭いわ〜〜〜」と思ってしまう。

性根の腐った私は、ついつい、こう考える。ほんとに、世論に影響を与えることができるような学者なら消されていただろう。スキャンダルで失脚させらていただろう。スキャンダルつーのは、セクハラとか、財団からもらった研究費(ファンドFund)を横領したとか、私的に流用したとかね。学者ひとりぐらい潰すのは簡単だよ。

さほど影響力ないから、チョムスキーさんも生きてこられたのだろう。もしくは、チョムスキーさんは、「逆説的御用学者」なんだろう。つまり、「こーいう学者もいますから、アメリカは自由の国なんです。アカデミック・フリーダムあります」と宣伝しまくる「広告塔」なんだろう。

それを間に受けて、チョムスキーを読むことが良心的で知的みたいなつもりの日本人もいるよね。アホくさいわ。

チョムスキーさんのことはどうでもいい。閑話休題。さて・・・このようなフリップさんと、アイン・ランドが愛人関係になる可能性は、あるのか?

ありえません。

まず、フィリップさんは、アイン・ランドの好みの男性じゃない。アイン・ランドは、強度の「面食い」だった。

アイン・ランドは、誰が見ても美男子と認める正統的美男子が好きだった。愛人になった弟子のナサニエル・ブランデンも、いわゆる美男子だ。バッカみたいなほどの美男子だ。

ロスチャイルド家のフィリップさんと、アイン・ランドが一目惚れして結婚したフランク・オコーナー(Frank O’Connor: 1897-1979)さんを比較してください。もちろん、彫像の方がフィリップさん。なんかなあ・・・適当な写真が、これしかなかった。

     
(フリップさん)          (フランクさん)

異性の好みというものは、変わらないものだ。特に、アイン・ランドみたいなタイプの女性は、異性の好みを変えない。断じて変えない。

アイン・ランドは、何につけても思い込みが強い。良きにつけ、悪しきにつけ、ブレない。まあ、頑固とも言える。

女性には、地位や金があれば、どんなつまらん男でもOKというタイプもいる。ほんと、ほんと、ほんとよ〜〜

一方では、どんなに金があっても、地位があっても、不細工なのはダメという女性もいる。

アイン・ランドは後者のタイプだ。売れない俳優で、売れない画家だった夫を、ずっと養った。それについて愚痴など言ったこともない。彼女が男性に求めるものは、飛びっきりの美男子であること、いつも自分に優しいこと、いつもそばにいてくれること、だったんだから。

正直だよね〜〜〜自分で食っていくことができる女しか、こーいう贅沢はできないもんよ。

この点だけでも、アイン・ランドがフィリップ・ロスチャイルドの愛人だったなんて説は却下される。

ふたつめの理由としては、アイン・ランドは「ワイン」になんて全く興味なかったということがあげられる。彼女の小説には、だいたい食べ物とか、料理とか、飲み物とか、そういうものに関する描写は極度に少ない。ほとんどない!

もし、「ワイン王」の愛人がいたら、ちょっとはワインに関する薀蓄というか、そこまでいかずとも何がしかの印象に残る記述が小説のなかにあってもいいはずだ。そんな記述はない!

だいたい、フィリップ・ロスチャイルドみたいな強烈に波乱万丈の人生を過ごしてきた人間と出会ったら、どこかにその足跡のようなものが、アイン・ランドの人生に残るはずだ。少なくとも、書いたものとか、話題とかに。

そりゃ非常に影響を受けたからこそ、非常に深い仲だからこそ、「秘する」ということはありえる。「秘するが花」ですね〜〜♪ 人間は、一番の秘密は、絶対に書かないだろうし、誰にも言わないだろう。

そうだとしても、やはり、どこかに出るものだよ。その影響とか、つながりを示唆するような何かが。アイン・ランドは、わりとあけすけだったから。

いやあ、ぶっちゃけて言えば、こんな波乱万丈の数奇なブリリアントな人生を送った男性と、アイン・ランドが愛人同士だったならば、私は嬉しい。ほんとは、そうであったら、面白かったろうなと思う。

もし、そうだったのならば、アイン・ランドのために祝福するよ、私は。ドラマチックじゃないの〜〜〜

が、残念ながら、アイン・ランドの人生は、こんなブリリアントな男性とは交差しなかった(と思う)。

人柄のいい天性の品位のある美男子であった夫と、ランドにいろいろ与えられながらも、ランドの死後にしょうもない評伝を書くしか能がなかった25歳年下の美男の心理学者の弟子くらいとしか、アイン・ランドは深くは関わらなかった。恋愛遊びみたいなことは、いっぱいあったけれども。

まあ、それだけでも、非常に幸運な女性であったよ。アイン・ランドは、男運は悪くなかったね。

でもさあ、しかし、どのみち、ふたりとも退屈な凡庸な男じゃん。

と、きっぱり決めつけていいのか?いいんだよ。

ほんとに面白い男、聡明な男、非凡な男なんてものは、小説の中でしか出会えない。それが普通。それが現実。それで安泰。それで幸せ。

って、ほんとうのことを言っていいのか?まあ、いいだろう・・・

「アイン・ランドはフィリップ・ロスチャイルドの愛人だった」説がデタラメであることの第三の理由としては、アイン・ランドは「飛行機」恐怖症だったということがあげられる。

いや、ほんと、そうだったのよ。旅行は、いつも自動車だった。海外旅行は一度も行っていない。ソ連からアメリカに来たとき以外は。ほんと。それも鉄道と船だからね、使った交通機関は。

一度だけ飛行機に乗ったのは、西海岸のオレゴン州の州都であるポートランドに行ったときだけだった。そこにある名門私立大学のルイス・アンド・クラーク大学(Lewis and Clark University)に、名誉博士号を授与されるために出かけたときだけだった。

奇遇にも、私は、この大学に3週間ほど滞在したことがある。1988年のことだ。当時勤務していた名古屋の女子大の夏休みの英語研修の引率のためだった。

この大学だけだった。アイン・ランドに名誉博士号を授与したのは。普通は、アメリカでは、彼女くらい高名な作家ならば、複数の大学から名誉博士号を授与されるのだけれどね〜〜

ルイス・アンド・クラーク大学は偉い!!

ところで、アイン・ランドが飛行機嫌いだったのは、あんな重いものが空飛ぶはずない・・・という理由だったそうだ。

アイン・ランドは、学生時代は数学が得意だったけれども、理科はダメだったんじゃないかなあ。機械には弱かった。自動車を運転するのは極度に苦手だった。

だから、『水源』の映画化権料で巨額のカネを手にして、ロスアンジェルス郊外に有名建築家の設計の邸宅を購入したのに、数年後には、そこをサッサと売却してしまった。ニューヨークはマンハッタンに引っ越してしまった。マンハッタンならば、自動車を運転しなくても、暮らせる。

何を言いたいかと言えば、つまり、アイン・ランドはフィリップ・ロスチャイルドに会ったはずがないということ!

『肩をすくめるアトラス』が、フィリップ・ロスチャイルドの影響で書いたとするならば、ふたりは、この小説が書き始められる前に会っていなければならない。つまり、1940年代末から1950年代にかけての時期に会っていなければならない。

ところが、この時期は、フィリップスさんは、第二次世界大戦終結後の疲弊したヨーロッパで再出発するのに忙しかった。財閥のお坊ちゃんといえども、やはり戦後復興はきつかったのよ。だから、アメリカになんか来ていない。もちろん、アイン・ランドはヨーロッパに行っていない。

いったい、どこで二人が会うんじゃ?

フィリップスさんは、カリフォルニアには1970年代にはよく来ていた。カリフォルニア州ナパ郡にアメリカ人のワイン醸造業者と合弁会社「オーパス・ワン・ワイナリー (Opus One Winery)」を設立したのは、1978年だったし。この事業で作られたワインが、「オーパス・ワン・ワイン」だ。

あ〜た、1970年代なんて、フィリップさんもアイン・ランドも60代後半だ。愛人関係なんかなりようもないよ、面倒くさい。

また、万が一、ふたりに接点があったとして、何語で話したというのか。

そりゃ、アイン・ランドは、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクのブルジョワ階級の子どもとして、子どもの頃に家庭教師についてフランス語を学んだ。学校でも学んだ。だからフランス語くらいは、ちょっとは話せたかもしれない。フィリップさんだって、英語ぐらいは話せる。教養のあるヨーロッパ人なら、当然のことだ。

だから、ふたりが会っていたとしたら、会話は成立したろう。けれども、愛人同士になれるほどの濃密なコミュニケーションが可能だったんですかねえ?

無理。

四つめの理由に行く。これが一番重要な理由だ。

ロスチャイルド家の人間の愛人だったならば、アイン・ランドは、もうちょっと経済的に豊かな暮らしができたはずだ。

実際のところは、本の印税しか収入はなかった。『水源』や『肩をすくめるアトラス』は、コンスタントに売れてはいたが、ベストセラー作品をいつも出版している類の作家ではなかったので、生活は中層中流階級の慎ましい水準だった。

講演やテレビ出演のギャラはあったけれど、アイン・ランドは「売れっ子」とか「マスコミの寵児」ではなかった。弟子&愛人のナサニエル・ブランデンが彼女の思想を広める研究所を作っちゃったので、カネはそちらの運営に流れた。

だから、せっかく、有名建築家のフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright: 1867-1959)に自邸を設計してもらっても、ニューヨーク郊外に瀟洒なカントリー・ハウス(別荘)を建設させるようなカネはなかった。

じゃあ、なんで設計を依頼したのかと、ライトは、カンカンに怒った。まあ、そりゃそうだけど、状況は変わるからさあ・・・

ほんとにカネがなかったのだから、しかたない。それに、アイン・ランドは、マンハッタンを離れたくはなかった。マンハッタンは、故郷はロシアの北の都サンクトペテルブルクによく似ているもの。街の空気が。

街中で育った人間は、やはり人の声や自動車の音などの喧騒が、さざなみのように遠く聞こえるところに住まないと寂しいものだよ。

というわけで、アイン・ランドは、死ぬまで、マンハッタンの分譲アパートメント暮らしだった。日本風に言えば、3LDKのマンション暮らしだった。

彼女の住居は、玄関にベルボーイ付きのアパートメントハウス内にあったから、品は良いものであったけれども、豪華というわけではまったくなかった。居間と寝室と書斎と食堂に台所があるだけ。もちろん、居間や寝室や食堂は、日本式に言えば10畳ぐらいの広さではあったろうけれども。

『客観主義者』(The Objectivist)という会報を出して、会員を募り、会費を徴収したのも、アイン・ランドの経済的安定を確保するために、弟子が考案したことだ。

アイン・ランドはカネには、わりと無頓着だった。親戚に金を借りておいて返済しなかったことがある。カネはずっと普通預金口座に預けっぱなしだった。投資するとかの発想もまったくなかった。

彼女は、『肩をすくめるアトラス』では、おおっぴらにカネを祝福しているから、金銭管理もきちんとしているかといえば、その反対だった。

まあ、そーいうもんよ。カネのことなどいっさい口に出さない人間こそが、細かくて、唯一の趣味が貯金だったりするもんよ。ほんと、ほんと。

1974年、69歳のときにアイン・ランドは肺がんの手術を受けた。そのあとも、いろいろ医療費がかかった。見るに見かねて、彼女の弁護士の所属事務所のコンサルタントが、高齢者用医療福祉制度(Medicare)を受けるように、しぶるアイン・ランドを説得した。それで、アイン・ランドは医療費に関する公的扶助を受けた。

このことについても、公的医療保険制度に反対していたのに、アイン・ランドは、その制度を使った〜〜〜と、鬼の首でも取ったかのように、反アイン・ランド派の人々は、彼女を嘲笑する。

嗤うのは簡単だよ。しかし、背に腹は代えられないということは、実人生につきものだ。そんな程度のことを嗤うなんて、ほんとに偏狭で卑しい連中だな。

というわけで、アイン・ランドの人生の経済的慎ましさを考えると、彼女が世界的財閥のメンバーの愛人だったなんてことは、まったく考えられない。

五つ目の理由をあげる。これが最後の理由。

そもそも、アイン・ランドがロスチャイルド家とつながっているような立場であったら、もうちょっと作家として優遇されたはずだ。

ところが、彼女は、彼女の小説の凄さを、まともに主流マスコミや文壇や(いわゆる)知識人から評価されてきていない。

言及されるときは、ほとんどの場合、「いろもん」扱いだ。まともに取り上げずに、からかう趣だ。作品の価値には関係ないのに、弟子との情事ばかりが指摘されたりしてきた。どうでもいいだろ、下半身のことなんか!

『ニューヨーク・タイムズ』なんか、アイン・ランドのことを、今でも、たま〜〜〜に記事にするけれども、いつも実に冷ややかに皮肉な調子で、上から目線で書く。

あの新聞は、ほんといけすかないね。

まあ、『ニューヨーク・タイムズ』は、代表的リベラル(=左翼系)新聞だから、集産主義や統制経済に反対したアイン・ランドに冷たいのは、わかる。しかし、なんか底意地の悪い扱い方だよ、いつも。

アイン・ランドは、いつも独りだった。弟子や読者はいた。いっぱいいた。弟子たちや読者は、世評ではなく、実際にアイン・ランドの作品を読み、それらが放つ光にのみ惹きつけられて、彼女の周りにやってきた。

それ以外は、アイン・ランドには、なにもなかった。

ほんとに、彼女は徒手空拳の作家だった。文壇つきあいなんてなかった。どんな「勢力」の中にも入っていなかった。特に、『肩をすくめるアトラス』発表後は。

というわけで、フィリップ・ロスチャイルドとアイン・ランドが愛人だったなんて、どう考えてもありえない!!!

アイン・ランドは、男の手なんか借りずに、凄い作家になったんだぞ。文句あるか。パトロンなんかいてたまるか。

ソ連から移民してきた英語もおぼつかない小柄な女の子が、アメリカの国民作家になったんだぞ。それが、いかに途方もないことか、正当にきちんと素直に評価するべきだ。

すごいよ、ほんと。

アイン・ランドの小説を読んだら、他の小説なんか、かったるくて、薄っぺらで、読めなくなる。

まあ、疲れていて、きちんとした専門書を読む集中力がないときは、私も小説を読む。現代日本の評判のいい小説を読む。

それは、疲れている時に甘いものが欲しいようなものだ。食べる必要もないケーキだ。

その種のケーキ小説を読みつつ、そこそこ面白がりつつも、私は再確認する。「アイン・ランドはやっぱり凄いね〜〜〜次元が違うね〜〜〜水準が違うね〜〜同じ小説といっても、ゴキブリホイホイと大聖堂の違いくらいはあるね〜〜〜」と。

次回の「ランド節」においては、『肩をすくめるアトラス』は「新世界秩序」を樹立したい国際銀行家たちの遠大なるプランを暗示した物語だという説について、クタクタに煮込んでやる。跡形もなく、グツグツ煮込んでやる。

いつ、グツグツ煮込めるかなあ・・・