アキラのランド節

7か月間死んでいた  [10/20/2015]


すみません。すみません。すみません。なんと約7か月ぶりの更新だ。どんだけ、さぼってきたのか。

4月に入ってから怒涛の労働で忙しかったのは事実だが、まあ、それは昔から同じこと。

日々の愚痴や感慨みたいなものや、読んだ本の感想なんかは、Facebookに毎日書いているので、ついつい、更新が疎かになったということは事実だ。

けれども、実際のところは、要するに、長々と「停滞」していたということだ。テキトーに、あまり苦しむことなく「沈滞」していた。

今回の私が陥った「苦しむことのない停滞」つーのは、還暦過ぎないと経験できない類の「停滞」だ。これは、非常に厄介なんである。

若いころの「停滞」は大問題だ。若いころは、停滞なんかしている余裕はないからね。若いころは、まずは食ってゆくための闘争がある。社会の中に居場所を確保するために、もがかねばならない。ほんと「停滞」していたら、死ぬしかないからね。

なかには、ニートとか引きこもりとかで、「停滞」をやすやすと受け容れてしまうことができる人間たちもいる。

そういう類の親が延々と養ってくれる「お坊ちゃま」(たとえ貧乏な家でも)や「お嬢ちゃま」(たとえ貧乏な家でも)は、問題外。そんな貴族は私に関係ない。

普通は、若い時は「停滞」に抵抗できる。「停滞」から抜け出そうともがく。それがエネルギーになる。

ところが、還暦過ぎの「停滞」というのは、テンションが上がらないだけで、なんも面白くないだけのことで、そんなに苦しくない。

だって、もう社会の中に居場所をテキトーに確保して久しい。還暦過ぎると、定年退職という一種のゴールも見える。そうなると、心理的には、すでに退職している。そーいうもんなのよ。

だから、職場の抱える諸問題が、ほんとは他人事だ。定年まで、ルーティンに働いていれば、いいだけのことじゃん・・・という姿勢だ。

これからの大学は、大変だねえ・・・文部科学省も迷走しているからねえ・・・と、無責任な見物人の気分だ。ひどい話だけど、これほんとなのよ。

今の大学というのは、ほとんどの教師にとっては、寂しい場所だ。なんで、寂しいかというと、学生さんたちに知的好奇心とか知識欲というものがないから。

受験勉強はしたし、大学に入れば試験勉強はするし、レポートの締切日は守るけれども、自分で何か勝手に勉強するということはない。図書館に行かない。書店に行かない。本は買わない。読書はしない。

これが、今の大学生だもん。何をやっているのか、サッパリわからない。

私の勤務先は公立大学だけど、読書が習慣の学生なんてほとんどいないよ。ほんとだって。冗談じゃないって。

昨今の経済情勢のために、学業以外はアルバイトで忙しくて、自由に本など読んでいる時間はないという学生さんもいることは事実だ。優秀な人たちなんだけど、そういう学生もちゃんといる。

が、まあ彼らや彼女たちは例外的。

ということで、今や日本の大方の大学生は、私が思うところの「大学生 ではない。

教師としては、学生には、ひょっとしたら自分と志を同じくする知的共同体のプレ・メンバーであって欲しいなんて、密かなる願望や期待がある。けれども、そんなの見果てぬ夢だ。

先日も同僚が、「もう、ゼミのコンパはやりません。女子学生が前後不覚に酔っぱらってどうしようもなかった。飲み放題だから、元を取らなきゃと言ってガンガン飲んで、あげくに人に迷惑をかけていた。そんな下品な学生がゼミ生にいたことなど、今までなかった。もうコンパはしない。嫌です」と言っていた。

まあ、今の大学生の親の年代は、バブル期にだらしなく軽薄に生きていた世代だから、子育ても弛緩したものだったのだろう。学生を眺めていても、背後に気骨のある親がいそうな感じはないもんなあ。グジャグジャ偏狭で矮小なクレームはつけてきそうな感じはあるが。

とはいえ、昔から大学生らしからぬ学生というのは普通に大量に生息していたのだろう。大衆教育機関になって久しい大学において、知識欲旺盛で幅広く読書しているなんて学生は、よほど、天性のキャパシティが大きいのか、一種の貴族なのだろう。

悠長にリベラル・アーツ=教養を幅広く身に着けるなんてことは、人口の2割ぐらいしかクリアできないことなのかもしれない。

あと20年もすれば、人工知能の発達で、今は人間が従事している職種のかなりが機械化される。自動車もコンピューターが運転すれば、タクシーの運転手さんは要らない。物流トラックの運転手さんも要らない。運転免許を取らなくてすむから、自動車教習所も倒産する。

知識の伝達だけの教員も失業だ。いいソフトが開発されれば、まっさきに語学の教師は無用だ。学校に教職員は要らない。コンピューターの端末だけあればいい。はっきり言って、学校という容器すら場所すら消えても、知識の伝達はできる。

ホワイトカラーの仕事のほとんどは機械がやる時代は近いよ。

だから少子化なんか心配することない。若い労働力の吸収先は消えちゃう。若年人口が多いと、失業者が増えて困ることになるから、今の少子化進行でいいのだ。

高齢化といっても、1947年から1951年生まれのベビーブーマーが死に絶えるまでの現象だよ。ずっと続くことじゃない。

何の話か、つまり、今のままでは、今のままの大学を卒業しても、職は得られない時代が、もうすでに始まり、もっともっとそれは深刻になる。

ならどうするか?

大学は、将来の人工知能の時代に備えて、人間しかできないことができるような高度な熟練職業学校になるしかない。

機械化できない熟練した大工仕事、安全な食を保障できる農業、ケア仕事。人間の心の隙間を埋める類の広義のカウンセラー系仕事、ほんとに独創的で美味しい料理人。安全保障に危機管理。

というような将来構想について考えるべきだけれども、そんなこと話題にも出ないわ、ほとんどの大学では。

ほんとに、今の日本の大学は、入っても無意味な場所だ。

ということも、あと2年と5か月ぐらいで定年退職の身には、どうでもいいわけよ。

そんなことより、あと2年と5か月も、希望のない教師生活を続けて行けるんかしらん・・・という心配の方が大きい。

とはいえ、私も62歳だから、今までの日々で苦しいことはいっぱいあったので、まあ、希望のない中でも、何かを信じて生きていくぐらいのことは、できる。もっともっと苦しくて辛い時は何度も何度もあったからねえ〜〜♪

ということで、今の停滞状態は苦しくない。不快ではあるが、寂しくはあるが、さして苦しくない。

また、今の時代は、「苦しくない停滞」の気分を紛らわす方法はいっぱいあるしね〜〜安全で安価な現実逃避方法はいっぱいあるからね〜〜♪

iPadをいじくりつつ、一週間無料見逃し配信で連続TVドラマ見る。放映終了済みの連続ドラマは、韓国のサイトのPandraでseasonまるまる視聴する。映画館やTSUTAYAに行かずとも、ネットで映像検索して、いろんな映画をまるまる視聴する。

もちろん、これは非合法だ。でも、そんなこと構っていられますかいな。無料で楽しめるのは、ありがたいもん。

特に、労働のきつい2学期は、夏は、この手で、随分と慰めてもらった。『闇金ウシジマくん』や『銭の戦争』には、いろいろ教えてもらった。

『闇金ウシジマくん』は、気に入って原作も読んだ。映画版も観た。主演の山田孝之君が非常に良い。

出典:http://ecx.images-amazon.com/images/I/51zW%2BDFxlcL.jpg

漫画だろうが小説だろうが、読みたいなと思えばKindleですぐ読めるしね。

今年の秋のお気にいりTVドラマは、『下町ロケット』だ!

あの『メンズ・ノンノ』のモデルだった阿部君が、成長なさって・・・・

と言っても若い人は知らないよね。1980年代の人気モデル大学生だったんだよ、あの子は!!

あの子だってさ・・・

すぐに話が逸れる。

ともかく、還暦過ぎの「苦しくない停滞」というのは、延々と持続されちゃうのよ。

で、この7か月間は、表層は普通に元気だった。しかし心は死んでいた。

普通に生活費獲得労働はしていたけれども、家事もしてお弁当も作っていたけれども、夏休みになったら、痛い右脚をひきずりつつも、チョコマカとあちこち出かけていたけれども、心は「沈滞」していた。

アイン・ランドの『水源』の電子ブック化に向けての改訳作業は6月の末に終わって、出版社のビジネス社さんにファイルを送った。けれども、「新・訳者あとがき」は、まだ書き送っていない。

まあ、急ぐもんでもないし・・・ということで、「まだ電子ブックになりませんか〜〜?」と電話で催促すらしていない。

あんな長い小説を読みとおせる人間は限られている。読んで理解できる人間はもっと限られている。だから、焦って早く出すことはない。

紙媒体の小説自体は、誤訳は多くても、ちゃんと流通しているからね。

アイン・ランドを正当に評価できる日本人は、まだまだ少ないから、まあ、焦ってもしょうがないのよ。

ところで、なんで私が、ずうううう〜〜〜っと、沈滞していたか?

あのねえ、あなたも還暦過ぎて数年もすればわかるよ。

この世の中の仕組みがわかってきちゃうと、アホらしいことばかりよ。この世界に持っていた幻想が、きれいに消えるからね。

今の日本の大学なんて、全体の方向性なんか見えなくても勤勉に真面目にコツコツ働き、搾取されていても抵抗のしようのないサラリーマン奴隷生産工場よ。

教員なんか、その奴隷生産工場の現場監督よ。特に文系なんか、ほんとは過剰な労働力であって、生産しなくてもいい労働力だ。失業予備軍だ。

安保法制??反戦運動なんかやっても、特権層がやると決めたら、どんな事件を捏造してでも、戦争は起きる。

いくらこつこつと節約したって、貯金しても、公設暴力団みたいな政府が決めちゃえば、預金封鎖もデノミも起きて、少ない収入から蓄積した金銭も消える。

投資とかなんとか、ふつうの頭の程度の人間や、インサイダー情報が回ってこない庶民層は、損するようにできている。

「人権を守ろう!」とか、「みんなが幸せに生きる権利がある!」とか言っても、人権なんて物体じゃないから、存在しないものとして無視するのは簡単なこと。権利はしょせん権利という言葉であって、概念でしかない。だから何?だ。

ハラスメント禁止!!と言っても、ハラスメントが根絶するはずないし、男女差別も消えない。

歴史の本なんて読んでも、どこまで事実なんだか。

新聞だのテレビだののメディアなんか信じられないといっても、じゃあ、どうすりゃ、事実を庶民は知ることができるのか?そんな手段があるのかよ。

理想もヴィジョンもなくなっちゃった。

目指すべき方向が見えなくなっちゃった。

テンションがまったく上がらなくなっちゃった。

ということで、私は、この7か月間は死んでいた。ニヒリズムに陥っていた。

だけどさ、還暦過ぎると、このニヒリズムつーのも、重体にはならんのよ。

なぜかと言えば、普通に食べることができて、雨露凌ぐことができて、お風呂にも入れて、ありがたいことだなあ・・・これからの季節は、ホームレスさんは辛かろう・・・と思うことができるくらいの感謝の気持ちはあるからさあ。

沈滞し、ヴィジョンをなくし、希望なく、虚無的になってはいるが、感謝もしているという、わけのわからん状態にいながら、普通に仕事をし、家事をし、数週間ごとには名古屋に帰り、また福山に戻り・・・

ということで、7か月が過ぎてしまった・・・

すみません。

考えれば、アイン・ランドに出会ってから14年。走り続けてきたんで、くたびれたんでしょ。

2001年から続いてきたこのウエッブサイトだって、15年に1度くらいは「更新全くなしの7か月休暇」があったっていいじゃない。

が、やはり、私はアイン・ランドについて書きたい。

今年の9月は、ニーチェのランドへの影響について論文書いて、あらためて、私のランド理解は深まった(と思う)。

ただ、もっと気軽に、Facebookに書くよりは分量も多めに日々の(アホな愚痴じゃよ)を書き残したいので、このウエッブサイトとは別に「ブログ」を立てることにした。

http://aynrandassociates.com/です!!!

これは、この「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」とは違って、管理人さんに更新作業を頼まずに、自分で更新できる。

お気が向いたら、読んでやってください!ほんと日常のアホ愚痴しか書かないアホ・ブログですが。

で、このウエッブサイトには、、ちゃんと「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」らしく、アイン・ランドについてのことを、もっともっと書いていこうと思う。

次回は、ニーチェとアイン・ランドのことを書くよん。

しかし、そろそろ、「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」のコンテンツを、みんな紙媒体で残しておかないと、やばいかもなあ〜〜♪

まあ、今は天変地異時代。歴史の激動期。転換期。

太陽電磁波の直撃か、核爆発か、原子力発電所の事故か、大地震か、火山の爆発か、テロかで、デジタル情報が全部ぶっ飛ぶことだって、考えられるからな。オンラインを信じることはできんのよ。マイナンバーなんか、信じられるはずない。アホか。役人が信じられるならば、千年王国はとっくの昔に来てるわい。

実は、まあ、これも2年5か月後のフリー生活の準備のひとつなんですけどね・・・

ほんとは、大学なんかやめて、そのフリー生活に入りたい。

が、あと2年5か月くらいの希望のない、な〜〜〜んも面白くない教師生活を前向きに耐えることができないようでは、ダメだ!!そんなヤワなことでは、「私の人生の最終戦」という人跡未踏のアドヴェンチャーを耐えることができるはずない。

ということで、藤森かよこは、ぶーたれつつ、生還しました。7か月間の死から、停滞から、不景気な顔つきながらも、ちょっと覚醒しました。

これからも、時折、このウエッブサイトを覗いてやってください。

ブログも、覗いてやってくださいね!!