Anthem(1938)全訳
アイン・ランド作/藤森かよこ訳『アンセム』

第六章

我々は書き記さなかった。ここに書くのも三〇日ぶりだ。三〇日間、我々はここに来なかったから。このトンネルに来なかった。我々は逮捕されていたのだ。

最後にここに書いたあの晩に、それは起きた。その晩、我々は砂時計のガラスの中の砂をちゃんと気をつけて見るのを忘れてしまったのだ。三時間が過ぎたことを我々に告げ、<都劇場>に戻るべき時刻を教えてくれる砂時計を見るのを忘れてしまったのだ。そのことを思い出したとき、しその時刻はすっかり過ぎてしまっていた。

我々は、<劇場>に急いだ。しかし、劇場の大きな天幕は空を背景にして灰色だった。そこからは何の音も声も聞こえなかった。<都>の街路は、我々の前に暗く空しく伸びていた。我々が、あのトンネルに戻り、そこに隠れたら、我々は発見されてしまうだろう。我々とともに、あの我々が作った光も発見されてしまうだろう。だから、我々は<街清めびとの館>に戻って行った。

<館協議会>が我々を尋問するので、我々は、<協議会>の会員たちの顔を見上げる。彼らの顔には好奇心などない。怒りもない。しかし慈悲もない。彼らのうち最長老の会員が我々に訊ねる。「お前たちはどこに行っていたのだ?」と。我々は、我々のガラスの箱と我々の光のことを思う。他のことはみな忘れる。だから、我々は答える。

「お話しするわけにはいきません」

<館協議会>のその最長老の会員は、それ以上我々を問うことはしない。彼らは、会員の中でも一番年下のふたりの会員の方を振り返り、言う。声はうんざりと退屈している。

「この我らが兄弟<平等七の二五二一号>を、<矯正監禁宮殿>に連行しなさい。彼らが自白するまで鞭を打ちなさい」

そういうわけで、我々は<矯正監禁宮殿>の地下にある<石の部屋>に連行された。この部屋には窓がなく、鉄の棒以外は何もなく空っぽである。ふたりの男が、鉄の棒のそばで立っている。鉄の前垂れをして、顔には皮の覆面をつけ、あとは全裸である。我々をそこに連れ込んだ<館協議会>の人々は、その部屋の隅に立っていたふたりの<裁きびと>たちに我々を託して、退室した。<裁きびと>たちは、小柄でやせっぽちで、白髪の猫背の男たちだった。彼らは、例の皮の覆面をかぶったふたりの屈強な男たちに合図する。

彼らは、我々の体から衣服を剥ぎ取り、我々を無理に乱暴に跪かせる。それから我々の両手を鉄の棒に縛る。

鞭が最初に振り下ろされたとき、背骨がふたつに折れたように感じた。二回目の鞭が振り下ろされて、最初の鞭によって起きた苦痛を中断させたので、一秒ほど我々は何も感じないですんだ。が、すぐに痛みが喉を突き、火が肺の中を駆けめぐる。息もできなかったのだから灰の中には空気はないはずなのに、激しい火が肺を駆けめぐる。しかし、我々は泣き声も叫び声ももらさなかった。

鞭は、風が鳴っているような、風が歌っているような音をたてた。我々は、何度鞭打たれたか、数えようとしたのだが、しかしどこまで数えていたのか覚えていられなくなる。鞭が、我々の背に振り下ろされているのは意識できるのだが、しかしもはや背中には何も感じないのだ。炎を上げて燃える格子模様がずっと我々の目の前で踊り続けていた。その格子模様のこと以外は何も考えられないのだった。格子、赤い四角形の格子・・・そのとき、我々は気づく。自分たちが、その<石の部屋>のドアについている四角形の鉄格子を見ているのだと。四方の壁にも四角形の石がある。鞭が我々の背中に四角形を刻んでいる。我々の背中の肉を斜めに横切り、また斜めに横切り、四角形を刻んでいる。

それから、我々は目の前に鉄拳を見た。それは、我々の顎を打ち砕く。ひっこんだ鉄拳に、我々の口から吹き出た血の泡がついていた。<裁きびと>が訊ねる。

「お前たちは、どこにいた?」

しかし、我々は頭をひっこめ、鉄棒に縛られた手に顔を隠し、唇をかみ締める。

鞭が再び振り下ろされた。いったい誰が、燃えさかっている石炭くずを床にばらまいているのかと我々は不思議に思う。周囲の石の床には、赤色の点々が散らばり、きらきら輝いているから。

そのときの我々には何もわからなかった。ただ、ふたつの声が、ずっと怒鳴っているのが聞こえるだけだ。彼らは何分かおきに、そう言っているだけだということは我々にもわかるのではあるが、彼らの怒鳴り声は切れ目なく次から次へと聞こえるのだ。

「お前たちはどこにいたお前たちはどこにいたお前たちはどこにいたお前たちはどこにいた?・・・」

我々の唇が動く。しかしそこからもれる音は、喉の奥にしたたり落ちてしまう。かろうじて次のような音だけが出る。

「ひかり・・・ひかり・・・ひかり・・・」

我々は、そのとき自分たちが何と言っているのか、もう自覚できなかった。

目を開けた。我々は独房の煉瓦の床に腹ばいになって寝転がっていた。我々の前からかなり離れたところの煉瓦の上にあるふたつの手を、我々は見つめた。それらを動かしてみた。で、その手が自分たちの手だとわかった。しかし、体は動かせなかった。そのとき我々は微笑した。あの光のことを思い出したからだ。我々は、あの光を裏切らなかった。

何日間も、我々は独房に寝転がっていた。一日に二回独房のドアが開く。一回目はパンと水を運んでくる役目の男たちであり、二回目は<裁きびと>たちだ。何人かの<裁きびと>が独房にやって来た。最初は、最も位の低い<裁きびと>が。それから最高の名誉を持つ<都裁きびと>たちが来た。白いトーガを身に着けて、彼らは我々の前に立ち、質問する。

「自白するか?」

しかし、我々は頭を振る。彼らの目前で床に横たわりながら。彼らは退室して行く。

我々は、過ぎていく日と夜を数えた。そして、今夜、我々は逃亡しなければならないと知った。なんとなれば、明日、<学識びと世界協議会>が我らの<都>で集会を開くから。

<矯正監禁宮殿>から脱出するのは簡単なことだった。そこの錠前は古くて、看守もいない。看守など配置する必要などないのだ。そこにいるように命じられた場所がどこにせよ、そこから逃亡するに至るまで<協議会>に反抗した人間など、未だかつて存在しなかったのだから。我々の体は壮健なので、体力はすみやかに回復していた。我々はドアに突進した。難なくドアは開いた。暗い廊下を縫い、暗い街路を縫い、我々はあのトンネルにたどり着いた。

蝋燭に明かりをともした。我々の場所は発見されず、何もかも手付かずのままだった。我々が置いておいたときのままに、我々のガラスの箱が冷たくなったかまどの上に、目の前に、あった。もう大丈夫だ。あんな連中が何だ!背中の傷が何だというのだ!

明日になったら、日の光がいっぱい差し込む中で、我々はこのガラスの箱を持ち、このトンネルを開けっ放しにして、<学識びとの館>まで堂々と街を歩いていく。我々は、彼らの目の前に、かつて人間に捧げられた贈り物の中でも最高のものを置いてやるのだ。我々は、彼らに真実を告げよう。我々の告白として、これらも、我々が書き記してきた何ページにもわたるこの記録も、彼らに手渡そう。我々は、彼らと手と手を結び、ともにいっしょに研究するのだ。人類の名誉を賭けて、空の力を究明する研究をするのだ。ああ、我らが兄弟たちに祝福あれ!明日になれば、君たち我らが兄弟たちは、我々を君たちの仲間に加えるだろう。我々は、もうはぐれ者でも浮浪者でもなくなる。明日になれば、我々は君たちのひとりになれる。我らが兄弟たちのひとりに再び戻ることができる。明日になれば・・・