論文
ディズニー・アニメーションとフェミニズムの受容/専有
―『ムーラン』における女戦士の表象をめぐって―

1 ディズニー・アニメの変遷

下記の簡易年表を参照してみよう。取り上げられている作品は,フェミニズムを観点にした本論の性格上,主としては,ヒロインものに限定してある。この表を見ると,明らかに1980年代末期からヒロインの造型が変化している。

1926:Walt Disney Studio opened.
1937:Snow White and the Seven Dwarfs (released in 1938)
1940:Pinocchio Fantasia
1949:The Adventures of Ichabod and Mr.Toad
1950:Cinderella
1951:Alice in Wonderland
1953:Peter Pan
1955:Disneyland opened. Lady and the Tramp
1959:Sleeping Beauty
1961:One Hundred and One Dalmatians
1963:The Sword in the Stone
1967:The Jungle Book
1971:Walt Disney World opened.
1983:Tokyo Disneyland opened. Mickey's Christmas Carol
1989:The Little Mermaid
1991:Beauty and the Beast
1992:Euro Disneyland opened. Aladdin
1994:The Lion King
1995:Pochahontas Toy Story
1998:Mu Lan
1999:Tarzan

1937年以来80年代末期まで,ディズニー・アニメはグリム童話やペロー童話などの古典童話(『白雪姫』『ピノキオ』『シンデレラ』『眠れる森の美女』)や伝説(アーサー王伝説の再話『石の剣』)や児童文学(『不思議な国のアリス』『ピーターパン』『ジャングルブック』)から題材を得てきた。すべてヨーロッパ産(より古い起源をたどればアジアやアフリカや中東かもしれないにせよ)の題材である。ヒロインは「女らしく」,ヒーローは「男らしく」というジェンダー化の明確な人物造型と物語構成がとられている。「童話」とは,フィリップ・アリエス(Philippe Aries)が指摘した「子どもの誕生」という歴史的変遷により,その源流である民話から,近代的ジェンダー体制と教育/学校体制の整備に順応するようリサイクルされて再話されたものである。庶民の現実の生活から生まれた民話には,あけすけな生存競争もあれば,スカトロジーもあれば,セックスもあるし,猥褻さもある。赤裸々な家族間闘争もあれば,暴力もあるし,近親相姦もある。マリア・テイター(Maria Tatar)の研究やジャック・ザイプス(Jack Zipes)の研究が示すように,「童話」は,これら民話の事実を「浄化」して近代的ジェンダー体制と教育/学校体制の浸透と強化に順応するよう書き換えたものである。ディズニー・アニメは,質と量(=伝播力)の面から見ても,その童話という近代的リサイクルの頂点にある。特に,20世紀後半に生まれて育った人間にとっては,童話とは,まさにディズニー・アニメのことなのだ。

そのディズニー・アニメが1980年代末期から見せた変化で,すぐに見て取れるものは,非西洋文化圏へのアプローチである。『アラジン』のようにイスラム圏の伝説を素材にしたり,『ポカホンタス』のように先住アメリカ人をヒロインにしたり,『ムーラン』に至っては,ディズニー・アニメ初のアジア登場である。こうした変化は,明らかに1960年代の公民権運動が70年代の沈滞に耐えて,1980年代に大学のカリキュラム内容の西洋中心主義への意義申し立てとして始まった多文化主義(multiculturalism)准進運動の形をとり,広範囲に社会的広がりを得たことに応じたものである。サミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)が分析したイスラム圏やアジアやアフリカなどの第三世界の台頭という冷戦後の国際政治の環境の変化が,アメリカ国内の多文化主義傾向と連動していることは言うまでもない。『ムーラン』の登場には,90年代クリントン政権の親中国政策も,もちろん影響している。

次に,1980年代以降からディズニー・アニメが見せた変化が,本論の冒頭に述べたフェミニズム傾向である。1989年の『人魚姫』を例にしてみよう。言うまでもなく,アンデルセン童話の原作は,恋する王子の命を救うために人魚姫は海のあぶくとなる。これも,また女性の自己犠牲を賞賛する伝統的「女性虐待物語」であるのだが,ディズニー・アニメ版の方は,人魚姫の声を失うという自己犠牲は王子を得るという報酬との交換という,あくまでも自己利益に発した意志的行動とされて,人魚姫は最後には,めでたく王子と結ばれる。このような物語内容の書き扱えと同様に,いかにも自由奔放さを暗示するエアリエル(Ariel)という名がつけられた人魚姫の人物造型は,ある程度フェミニズム的なものである。エリザベス・ベル(Elizabeth Bell)が指摘したように,この人魚姫は,ディズニー・アニメ初の「ジェンダー的な類型からはずれて行動的であり,親的人物の意向に抗して自分の夢を追求する知的な若い女性」なのだ(Bell,114)。

『人魚姫』に続いて製作された『美女と野獣』のヒロインも,本を読むのが好きで,自分が住む狭い町を出て広い世界を夢見る娘であり,強引なマッチョの求婚者ガストンなど歯牙にもかけない。この『美女と野獣』において,ディズニー・スタジオは,初めて女性の脚本家リング・ウールヴァートン(Linda Woolverton)を採用した。その結果,野獣に変えられていた王子の造型も,より説得力のあるものになった。男性性が持ちやすい残酷さや虚栄的プライドや情緒的貧しさを克服して,真に成熟した男性として王子が成長してゆくプロットが採用されたのである。「野獣」とは,「男性性の呪い」であり,従来のジェンダー化された男性性の否定的側面の記号表現であることが,はっきりと提示されている(Jeffords,170-71)。こうした物語内容や人物造型の変化においてのみ,フェミニズム的書き換えがなされただけではない。アニメであるから,アニメとしての「動き」にも,アニメとしての「絵」においても,親フェミニズム的な表現がとられたのである。

ディズニー・アニメの古典である『白雪姫』や『シンデレラ』『眠れる森の美女』のヒロインの動きは,クラシックバレリーナの動きを下敷きにしているが,『人魚姫』や『美女と野獣』においては,ロサンゼルスの即興ダンス集団のダンサーをモデルにしてヒロインの動きは,考案された(Bell,113)。古典的バレーの様式的美しさや規律的優雅さから,型から解放された自由な動きへのシフトは,伝統的童話のヒロインの受動性からの逸脱を,鮮やかに観客に見せつける。

行動的で自分の意志と欲望を持ったヒロイン像は,『アラジン』のジャスミン王女にも,『ターザン』に登場する冒険家の娘ジェインにも採用された。『ポカホンタス』のヒロインも,先住アメリカ人と白人の戦いを阻止しようと奔走する。この「王子様」の救助や,妖精や魔法の助けを待たずに自ら事態を拓こうと行動する女性のきわめつけが,『ムーラン』のヒロインである。このアニメは,中国の女戦士「花木蘭」の伝説を素材としているが,「てんそく」などの前近代の風習のイメージからか,15世紀あたりまでの中国史に記録され登場する「女戦士」は意外なようであるが,実際に少なからず存在した。戦争時には必ず一家に一名の戦士の徴兵が求められた時代に,家の名誉のために病身の父や兄弟にかわって男装して戦場で活躍した娘や,夫の不在を守って戦った妻の逸話は美談として残されている。その中でも,花木蘭(Fa MuLan)は,そうした女戦士の象徴であり,中国系アメリカ人などの間では絵本などで親しまれる伝説的キャラクターでもある。ディズニー・アニメにおいては,ムーランは,戦場で脚を悪くした父の鎧や武具を身につけて女であることを秘して軍隊に入り,努力奮闘の末,仲間の兵士からも信頼され,フン族との戦いにおいて軍団長の命や皇帝の命も助ける英雄となって大活躍する。

このヒロインが,ディズニー・アニメにおいて画期的なのは,初のアジア系ヒロインであることではなくて,初の「男のフィールドで男以上の業績を達成するヒロイン」であり,かつ「守られるお姫さま」ではなく過激に「守るお姫さま」であるということである。このヒロインは,父を守り家の名誉を守り軍を守り,皇帝を守り結局国家をも守ったのだから。1937年の『白雪姫』から1998年までの『ムーラン』までの変遷は,1960年代の第二波フェミニズム運動とその思想が,支配的イデオロギーの強化と補強と維持に最も貢献する装置となりやすい大衆通俗文化メディアにさえ浸透した経過を,反映している。このディズニー・アニメの変遷をフェミニズムの「成果」として考えてもいいのかもしれない。しかし,事はそう簡単なものではない。実際のところ,かなりのフェミニズム的問題を『ムーラン』は抱えている。