書評    Almost Monthly Book Review
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■2002年10月に読んだ本から

ハワード・ジン著/岩淵達治監修/竹内真澄訳
『ソーホーのマルクス----マルクスの現代アメリカ批評
こぶし書房 2002.9 \1900


本書は、アメリカ合衆国における代表的左翼系知識人のひとりであり、『民衆のアメリカ史』などの著書で知られる歴史学者のハワード・ジン(Howard Zinn:1922-)によって書かれた独白劇Marx in SOHO(South End Press,1999)の翻訳である。本書をマルクス経済用語満載の難解な政治劇なのではないかと、おびえる必要は全くない。『ソーホーのマルクス』は、大いに笑わせてくれる。「人間が関与する最も革命的な行為とは----真実を告げることだ」(本書39)というような鋭い風刺の効いた、かつ生きのいい台詞がいっぱいの劇である。訳文も読みやすく、よく考えられている。訳者は、私の同僚で桃山学院大学の社会学部の教授の方です。今年の9月11日に、東京の新宿で、この劇は劇団民芸の俳優さんが出演して朗読劇として上演された。立ち見客も出る盛況さだったそうだ。

冷戦終焉後「マルクスは死せり」などと言っている現代の人々に怒り、「名誉回復」するために、カール・マルクスがこの世に一時帰るのを赦されたというのがこの劇の設定である。ところが、古巣のロンドンのソーホーに送られるはずだったマルクスは、あの世の無能な役人(役人は天国でもそうらしい)のミスで、現代のニューヨークのソーホーに送り込まれてしまう。こともあろうに高度資本主義のメッカ、国際金融操作の本拠地に社会主義、共産主義の家元がやって来たのだ。帰ってきたマルクスは饒舌に語る。自分がマルクス主義者ではないこと(!)を。妻のこと、娘たちのこと(生まれた子どもは次々に死んでしまい、娘三人が生き延びた)、極貧だった生活のこと、女中と浮気したこと(これ有名な話で、女中との間にできた子どもは捨てたとかいう説がある)、同志たちとの確執を。そして、革命は必ず起きるが、その革命は「新たな聖職や新たなヒエラルキーを造り上げ」(44)、コミュニズムの名の下にろくでもない社会が一度は生み出されてしまうことを自分はちゃんと予想していたと、マルクスは語る。「自由なコミュニズムの到来は、世界が資本主義帝国と社会主義帝国に二分されてしまうので、100年は遅れるだろう。奴らが我々の美しい夢をめちゃめちゃにしてしまうだろう」(45)と、妻にちゃんと予言していたのだと語る。

しかしなあ・・・マルクスの思想や理論や洞察は正しいけれど、それを扱う人間の水準が低いから、うまくいかなかった・・・というのでは、その思想や理論は「宗教」になってしまうよ。どんな馬鹿集団でも、そのシステム作れば、なんとかまずまず人々が食っていけて、極端な搾取もなくて、まあまあの公平さが保てるっていうのが、正しいシステムなんじゃないの。生身の人間が集まっての社会だからなあ。聡明な人間でなければ維持できない制度とか構造というのは、実現しない方がましってぐらいに、やばいのではないの?

この劇の最後あたりでマルクスは、自分の理論と洞察の正しさが真に理解され、証明される時代の到来を予言する。「資本主義は『自由貿易!』と叫ぶ。なぜなら、より多くの利潤を得るために----もっと、もっと!----地球のどこへでも自由に進出する必要があるからだ。だが、そうすることを通じて資本主義は、本来は意図していなくても、世界文化というものを創造してしまう。人々は以前の歴史では考えられなかったほど簡単に国境を超えてしまう。思想も国境を超える。このことから必然的に新しいものが生まれることになる」(109)と。

ならば、マルクスの思想の正しさを証明するために、もっと資本主義を徹底させよう。何ならばグローバリズムも推進させる?行き着くところまで行き着つかないと、人類は考え直さないだろうから、このまま突っ走るしかないかも。逆説的に言うと、四人に一人が公務員か公務員の被扶養者で、公共事業が仕事の大半である企業が多い=税金の寄生者である国民の多い、実質的には社会主義国のような似非資本主義国ニッポンでは、「マルクスの正しさ」ってのを理解するのが遅れるかもしれない。このマルクス、なんで自分の思想の実践が、アジアとか半分アジアみたいなロシアでしか主体的になされなかったのかについては、何も話しませんです。

ともあれ、私はこの劇を読んで、岩波文庫『資本論』1巻から9巻を読んでみようと、思ったのであります。なんか方向は違うんだけど、アダム・スミスの『国富論』も読もうと思う。あああ〜〜私は来年は50歳になるのにも関わらず、あまりに無知だもんだから、勉強しなければならないことが多すぎて、死ぬまで「のんびり、ゆっくり」できない。みなさん、若い頃に勉強しなかった人間は、金輪際、優雅なんて日々を手に入れられないのであります。


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